ウルムチ旅行記(09年10月):The 旅行道:So-netブログ
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ウルムチ旅行記(09年10月) [海外旅行記]

今回はウルムチ旅行記です。
ウルムチは新疆ウイグル自治区の首府であり、元々ウイグル族が多く住む地方でしたが、現在は中国政府による漢民族の移民政策によってその人口比が逆転しています。古くはシルクロードの要衝として栄え、ユーラシア大陸の中央付近にあるため、世界で最も海からと遠い町と言われています。
私は以前から一度この地を訪れてみたいと思っていましたが、旅行先としてはマイナーであり、日本で航空券を買うと結構な値段になります。そのため08年12月にユナイテッド航空(UA)のマイレージを使って特典航空券を申し込みました。必要マイル数は2万で、09年10月9日、中国国際航空(CA)名古屋発北京経由ウルムチ行き。帰路は10月12日、ウルムチ発北京経由名古屋行きです。
その後09年7月、ご存じのようにウルムチで大きな暴動が起きました。暴動後はネットや電話も外部と切断されているらしく、あまり情報がない中で旅行を取りやめようか悩みました。治安もあまり良くないとのことであり、09年9月頃にはウイグル族が漢族を注射針で刺す事件が頻発していました。漢族に間違われて刺され、変な感染症をもらっても困ります。ですが結局、一部旅程を変更して無理のない範囲で行くことにしました。
当初の予定は9日深夜にウルムチに到着し、市内のホテルチェックイン。10日と11日朝は中国人相手の格安ツアーを募集している人民公園で当日ツアーに申し込み、中国のスイスと言われる天地、シルクロード時代の遺跡が残るトルファンに日帰りツアー。12日朝にウルムチを出て帰国するというもの。
しかしウルムチでの深夜のタクシーを避けるため、9日に北京で泊まることにしました。10日朝に北京を出て午後ウルムチ着、ホテルで翌11日のホテル発着ツアーを申し込み、12日帰国は変わらず。移動は漢族のドライバーが運転するタクシーのみと決めました。現地で危険を感じればホテルで終日引籠るつもりです。一応その場合でも自分自身に言い訳するため、屋内プールのついたホテルを予約し、世界一海から遠い町で泳ぐことにしました。
ホテルはオクトパストラベルというサイトから9日の北京中安賓館(北京駅近く、3つ星、素泊まり一泊2900円)、10、11日のミラージュホテル(ウルムチ市内、5つ星、朝食付き一泊5700円)を予約しました。

さあ、旅行当日です。
9日朝、プライオリティパスを使ってセントレアの大韓航空ラウンジに入り、そこでサンドウィッチの朝食。その後CA便で昼に北京着。空港バスで北京駅に移動し、そこから徒歩7~8分でホテル着。そこで荷物を置き、途中人であふれる北京市内の病院を見学し、王府井(北京の古くからある繁華街)近くにあるペニンシュラホテルまで歩いて行きました。ペニンシュラに着くころには、排気ガスの影響で喉が痛くなっていました。中国の大都市では私はいつもこうなります。
ペニンシュラホテルは元々香港随一の格式を誇る高級ホテルであり、現在はバンコク、マニラ、東京、北京、ニューヨーク、シカゴなどに姉妹ホテルがあります。英国式のアフタヌーンティーが有名であり、私はこれまで香港、マニラ、バンコクで楽しんだことがあります(なぜか東京には行ったことがありません)。今回もロビーラウンジでアフタヌーンティー(総額182元)を頼みました。吹き抜けの広い空間の一角に座ると、私の目の前にある透明なチューブの中をエレベーターが上下に動いていきました。ゆったりとした音楽の中、まずは紅茶が、その後スコーンやケーキ、サンドウィッチの載った3段重ねのプレートがやって来ました。スタッフが英字新聞を薦めてくれたので、何となくタイトルだけ流し読みしながら紅茶を飲んでいると、少なくなったポットにお湯を補充してくれました。スタッフからアンケート記入を頼まれ、和んだ雰囲気で会話していましたが、支払いの際に私がJALカードを出すとそれを見て少し戸惑っているようでした。
その後、王府井にある北京ダックの名店「全聚徳」に行きましたが、すでに結構満腹でした。北京ダックを半身(99元++)頼むだけでも結構な量になるため、たくさん残すのも勿体なく諦めることにしました。
帰りは地下鉄に乗って北京駅まで戻りましたが、電車内の液晶テレビでは中国建国60周年の式典風景が流されており、胡錦涛主席が何か叫ぶと人民がそれを唱和する場面、軍事ミサイルを載せたトラックが行進する場面を何度も目にしました。結局その日の夕食は駅前のファストフード店で丼飯を食べて終わりました。

翌10日、ホテルで10元の朝食を摂り、その後北京駅発の空港バスで空港に向かいました。CAの発着するターミナル3へは、ターミナル2と1で客を降ろした後に向かいます。チェックインをすませ保安検査場に向かうと、国内線ですがパスポート提示を要求されました。その後はプライオリティパスでCA国内線ファーストクラスラウンジに入り、そこでワインを飲んで時間を過ごしました。中国の富裕層を観察する良い機会でしたが、服や身の回り品はごく普通で、顔立ちは賢そうな人が多いと思いました。
さあ、いよいよウルムチ行きの飛行機に搭乗です。意外なことに機内は満席で、白人の旅行客も混じっていました。機内食はハラール(イスラム教徒が食べることを許されたもの)に基づいて調理されており、当然ながら豚肉はチョイスできませんでした。
ウルムチ空港に到着すると、そこはやはり人の群れ。私の危険センサーが反応しない平和な風景です。正規のタクシー乗り場からメータータクシーに乗り、ウイグル自治区博物館前で降ろしてもらいました(30元ほど)。そこ午後2時の開館を待っていると、自動小銃で武装した兵士を大勢載せたトラックが敷地内に入っていきました。本来は入館料が必要なのですが、「友情提示」で無料とのことでした。ここではウイグル族の民族衣装などが展示されていますが、一番の見所は楼蘭美女と呼ばれる推定40代で亡くなった女性のミイラです。非常に華奢な顔立ちをしていました。
その後、流しのタクシーを捕まえてミラージュホテルへ向かいました(20元ほど)。ホテルでチェックインをしましたが、ネットや電話が外界から切断されている影響でしょうか? 私の予約が届いていなかったようで非常に時間がかかりました。最後まで確認できず、諦めてチェックインさせたようにも見えました。そのルームキーを持って今度はフロント横の旅行会社へ。「Turfan 一日遊 明天 大人一人」というメモ書きを見せ、280元を払って翌日のトルファン日帰りツアー(中国語ガイド)を申し込みました。翌朝8時にロビー集合とのことです。
さあ、翌日の予定も決まったところで部屋に荷物を置いて少しホテルの外へ出てみることにしました。ホテルの外に広がる景色は、ごく普通の中国の大都会。たくさんの車や人が行き交い、その多くは漢民族です。時々5人組の兵士が自動小銃を持って行進していることを除けば非常に平和な風景であり、彼らのおかげで逆に治安面では安心できました。
本当はウイグル族の多いバザールに行きたかったのですが、それは諦めてすぐ隣のデパ地下にあるスーパーマーケット(超市)に行きました。そこでビール、水、カップラーメン、お土産用の干しぶどうを買い、今度は夕食に出かけました。今回は5つ星の高級ホテルであり、ホテル内のレストランはどこも立派なお値段です。あまり食指が動かず、ホテル斜め前にあるウイグル料理のファストフード店に入りました。カウンター横の大きなポスターにあるメニューを指さすと「メイヨー」(無い)と店員が答えます。それならポスターを外せよと思いつつ、ハンバーガーと羊の串焼きを頼みました。串焼きには独特の香辛料がかかっており、私は結構好きな味でした。
夕食後はホテルの屋内プールに泳ぎに行きました。プールサイドでは麦わら帽子をかぶった男性がギターで静かな曲を弾いていました。きっとこれもホテルのサービスなのでしょう。私の他にも5~6人が泳いでいました。これで「世界一海から遠い町で泳ぐ」ミッションは達成です。
その後、部屋に戻りましたが、本来客室からインターネット接続できるホテルだったにも関わらず、案の定ネットには接続できません。携帯電話も国際ローミングできる機種を持参し、アンテナマークは3本立っているのですが、通話もメールもできませんでした。テレビではウイグル語のチャンネルがありましたが、第二次大戦の頃をモチーフにした漢民族のドラマの吹き替え版ばかりでした。
その後、夜10時頃にホテルの外に出ましたが、昼間とはうって変わって静寂の世界であり、それ以上出歩くのはやめてすぐ部屋に戻りました。

翌11日はトルファン日帰りツアーです。ホテルでビュッフェの朝食を済ませ、ロビーでピックアップを待っていると、15分ほど遅れてガイドが現れました。その後も数軒のホテルを回って合計20人前後をマイクロバスにぎっしりと乗せ、トルファンに向かって走り始めました。と思ったら、程なくして停車。ガソリンスタンドで給油を始めました。客を乗せたまま給油なんて日本では経験がありませんが、まあそのくらいはご愛敬。その後は砂漠の中のまっすぐな一本道をどこまでも走っていきました。中国語のツアーですので、周りは中国人ばかりで、ガイドは中国語で何か説明していましたが私にはまったく分かりません。とりあえずはガイドと他のツアー客の顔を覚え、はぐれないようにすることにしました。あとは空気を読んで、大人しく控えめにしていること。これが今回の中国語ツアーで一番の情報弱者である私の処世術です。幸いにも英語を話せるツアー客が何人かいたので(もっともある程度の富裕層、知的階級層のツアー客が集まるのを期待して5つ星ホテルで少し高めのツアーを申し込んだ訳ですが)、何かの際は彼らに英語で聞けば大丈夫です。
すると突然、車内でガイドが100元を徴収し始めました。何かのオプショナルツアーでしょう。英語の話せる女性客から “Two places, 100yuan” と説明してもらいました。どこに行くのか分かりませんでしたが、大多数のツアー客が申し込んでいるため、私も申し込むことにしました。
最初に訪れたのはカレーズと呼ばれる地下水路を見学できる博物館。カレーズは砂漠の中のオアシス都市、トルファンにとってなくてはならない巨大建築であったようです。しかしそのおかげで現在もトルファンの町には葡萄の木が生い茂り、乾しぶどうはこのあたりの特産品となっています。この博物館でも地上では葡萄の木が栽培されており、私はここで葡萄ジュースを飲みましたがなかなか美味でした。
次に訪れたのはウイグル族の昔の生活を蝋人形で再現した展示館。ガイドはなにやら説明していましたが、やはりさっぱり分かりませんでした。
その後は、交河故城とよばれる日干し煉瓦の廃墟が連なる町へ。照りつける太陽の下、果てしなく広がるその遺跡はシルクロードの繁栄の日々を現代の我々に語り伝えているようでした。
交河古城を後にした我々は、土産物屋に立ち寄ってからウイグル料理レストランに行きました。今回、食事料金や入場料はすべてツアーに含まれており、レストランでは12人ほどが座れる円卓が2卓用意されていました。50代の男性客が手招きで自分の横の席を勧めてくれるので、笑顔で会釈をしてそこに座りました。男性客は運ばれてきた料理を次々に勧めてくれ、私はそれを控えめにとって食べました。向かいに座った老夫婦は私を日本人と知って目を合わせないようでしたので、こちらも気付かないふりをしていました。マトンの串焼き、トマト入りチャーハンなどが出されました。
昼食後、100元のオプショナルツアーを申し込んだ私たちはすぐにバスに乗り、蘇公塔というモスクに向かいました。申し込まなかった人たちはそのままレストランで待機しているようです。トルファンはウルムチと違ってウイグル族の比率が高く、ロバに荷車を引かせて黒い民族帽をかぶったウイグル族の姿を見かけました。また、各家には葡萄の木が植えられていました。蘇公塔はこの地方に多い日干し煉瓦の建物であり、建築様式から一見してモスクと分かる作りです。中には敷物が一面に惹かれ、庶民の祈りの場という雰囲気でした。
その後、先ほどのレストランに戻って残りの乗客をピックアップし、今度は乾しぶどうの専門店に行きました。ここも「100元で2カ所」の一つらしく、一部乗客はバスの中に残っていました。中に通された私たちは席に着き、机の前に置かれたウイグル族の帽子をかぶって待っていると、メロンやスイカが振る舞われ、それを食べながらウイグル族の女性が踊る民族舞踊を見ました。
その後、バスは砂漠の中の一本道を走り、火焔山へと向かいました。山の表面の乾いた砂が風に吹かれて炎のような紋様を作り出し、それが真夏になると陽炎で揺らめいて炎のように見えるため、この名がついたそうです。西遊記に出てくる牛魔王が住んでいたのがこの火焔山であり、ドラゴンボール風に言えばフライパン山です。ただし山というよりは山脈であり、道路の左側に延々と似た景色が連なっていました。しばらく進むとその一角に「火焔山」と書かれた観光スポットに到着します。山の麓には「牛魔王洞」と名付けられた真っ暗な洞窟があり、そこを抜けると山の頂上まで階段で上れるようになっていました。私は途中で引き返しましたが、ツアー客の中には山頂付近まで上った人もいました。山を下りてくると、ここでもスイカとメロンが振る舞われました。
その後もう1カ所、火焔山のスポットに行きましたが、ここでは山をバックに孫悟空や牛魔王の像が建っていました。夕方6時を過ぎ、少し涼しくなったと思いましたが、気温は34度とのことでした。湿度が極端に低いため実際より涼しく感じるようで、私は25度くらいかと思っていました。
ここから再び長い間バスにゆられ、夜10時頃ウルムチのホテル近くに戻ってきました。ホテル前までは行ってくれず、隣の通りで降ろされましたが、同じホテルの宿泊者が他にいたため、その人と一緒にホテルまで戻ってきました。夕食は昨日買っておいたカップラーメンと缶ビールで済ませました。人気の少ない夜道を一人で歩く気にはなれず、買っておいて正解でした。

翌朝は6時からホテルで朝食を摂り、その後タクシーに乗って空港に向かいました(35元)。タクシーはホテルスタッフが呼んでくれましたが、きちんとメーターで走る良心的なタクシーでした。(海外のホテルでタクシーを呼んでもらうと、ぼったくりタクシーをあてがわれることが時々あります)
ウルムチ空港ではナンと呼ばれるパンが売っていました。今回、ツアーバスとタクシー以外ではほとんど外出しなかったため、買う機会の無かったものです。しかし一袋あたりの量が膨大であり、持って帰っても翌日になると石のように堅くなると聞いていたため、諦めることにしました。飛行機の席は窓際になり、眼下に延々と広がる砂漠を眺めながら北京に戻ってきました。
北京首都国際空港で国内線から国際線に乗り換え、プライオリティパスでCA国際線ファーストクラスラウンジに入りました。午後の2時までは昼食の用意もあり、寿司やカレー、サラダなどで小腹を満たしました。こことソウルの大韓航空ラウンジは、私がこれまで訪れたラウンジの中でもお勧めです。あとはプライオリティパスでは入れませんが、成田のJALサクララウンジもお気に入りです。
帰国便は強風の影響で少し出発が遅れましたが、何とか無事に日本に帰ってきました。
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