ソウル旅行記(09年2月)再掲:The 旅行道:So-netブログ
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ソウル旅行記(09年2月)再掲 [海外旅行記]

13日にアップした旅行記が、なぜか15日に削除され、別の記事に置き換わっていました。再度同じものをアップしておきます。

だいぶ前のことになりますが、2009年2月のソウル旅行記です。
まずは朝鮮半島の近代史について少々。強国である中国と陸続きであった朝鮮半島は、冊封国として中国の顔色を伺いつつ自国を存在させて来ました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%8E%E6%81%A9%E9%96%80
1895年に日本が日清戦争で勝利し、そのときに結ばれた下関条約第1条によって冊封国から離脱しました。名実ともに独立国になりましたが、その当時の朝鮮半島は貧しかったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84
http://photo.jijisama.org/EdoSeoulColor.html
http://photo.jijisama.org/OldKorea.html
その後1910年に日本と併合された朝鮮半島は、日本の投資によってインフラ整備をされました。また李氏朝鮮時代には、貧しい人たちに知恵をつけたくない支配者側の意向もあり文盲率が高かったのですが、日本統治下でハングル教育がなされ、識字率がアップしました。
http://photo.jijisama.org/BeforeAfter.html
http://koreaphoto.hp.infoseek.co.jp/hg.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1132959811
従軍慰安婦については、現在の日本円にして月給133万円で一般募集していたとの資料もあります。
http://photo.jijisama.org/ianfu.html
中国人SHA EIKOUの著書「日本軍は韓国で何をしたか」では、
http://photo.jijisama.org/IHall.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4784503420/japankoreapho-22
「香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりも凶暴だった。この時、民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、殆ど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。当時、香港住民は日本軍よりも朝鮮人を激しく憎んだ」
と記述されているようです。私がバンコク旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-01-16)で紹介したフィリピン人の言葉「第二次世界大戦のころ、日本軍はフィリピンに来て悪いことをたくさんしたが、それは皆コリアンだ。日本人はみんな知らないが、フィリピン人はみんな知っている。現在フィリピンには多くのコリアン留学生がいて、大きな問題だ」とも符合します。
現在もその国民性に変わりはなく、日本とは比較にならない強姦発生件数を誇る国ですので、女性の方は気をつけてください。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2362/GOUKAN.htm
戦後の韓国は世界でも有数の受験勉強社会となり、四当五落(睡眠時間を4時間以下に削って受験勉強しないと合格しない)とまで言われているそうです。男性には2年間の兵役が課され、その間栄養不足になった彼らが好んで食べたのが部隊鍋(プデチゲ。安い魚肉ソーセージや辛ラーメン、野菜などをキムチ味のスープで煮込んだもの)だそうです。日本でも辛ラーメンを時々見かけますし、それにソーセージ、白菜、キムチの素があれば、結構簡単に部隊鍋に近いものを再現できます。
観光地では、私のお勧めは板門店です(http://www.seoulnavi.com/tour/)。ここは言わずと知れた韓国と北朝鮮の境界線であり、その境界線をまたぐ形でプレハブの建物が建っています。この建物内では国境を越えて相手国内に入ることが許されており、そこから窓の外を見ると北朝鮮兵士がすぐ傍で立っています。韓国側にいるのが国連軍兵士(アメリカと韓国の共同部隊)であり、ツアー客は国連のゲストであるという印をつけて行きますが、ジーンズ着用、飲酒など禁止事項が多いので、あらかじめ確認が必要です。このツアーは外国人にのみ解放され、韓国人自身は板門店に行くことはできないそうです。
余談ですが、北朝鮮の兵士は板門店近くにある韓国側の電光掲示板に表示される天気予報を見て、その精度に驚くそうです。サイパンでは普段沖合いに米軍艦隊が駐留していますが、高性能気象レーダーを備えたその艦隊がグアム基地に戻るためにいなくなると、台風が来るのだと悟って準備をするそうです。
なお私はソウル、水原、慶州、テグの世界遺産はすべて行ったことがありますが、どれも期待していくと少し物足りなさがあります。ロッテワールドも日本の遊園地を見慣れた目にはそれほど楽しく思えないかもしれません。ナンタ(乱打)は、様々な物を打ち鳴らしながらゼスチャーのみで物語が進んでいく少しコミカルな舞台ですが、ソウルに行ったら一度見ておいても損はないでしょう。

さあ、そろそろ今回の旅行記に移ります。
この時はJAL18500マイルを使って、行きは名古屋から成田経由でソウルまでエグゼクティブクラス(いわゆるビジネスクラス)、帰りはソウルから名古屋へ直行便エコノミークラスという航空券に引き換えました。成田にあるJALのサクララウンジが良いと聞き、それを体験するために企画した旅行ですが、ソウル旅行自体は14回目でした。成田でサクララウンジを堪能するために、名古屋から成田へは朝8時半の便で発ち、成田からソウルへは18時半の便で発つことにしました。ホテルは明洞にあるメトロホテルを、ホテルのホームページから直接予約しました。英語のメールを送ったのですが、日本語で予約確認の電話がかかって来ました。

そして出発当日となる2月6日の朝。セントレアのJALエグゼクティブクラスカウンターでチェックインを済ませた私はすぐにサクララウンジへと向かいました。ここで軽めの朝食を摂り、7時半から始まるマッサージサービスを申し込みました。このラウンジでは先客順で10分間だけ、無料マッサージをしてくれるのです。スキルは可もなく不可もなくでした。
成田行きのフライトに乗り、成田でもすぐにサクララウンジに直行しました。ここでは1日3回ビュッフェの内容が入れ替わり、朝はホテルの朝食のようなメニューが並んでいました。それを食べ、ワインを飲み、手持ちのパソコンでインターネットに接続し、ビーフカレーを中心とするランチを食べ、ここでも10分間の無料マッサージを受け、上質なシャワールームを利用し、夕方オープンするバーで「サクラ」と名づけられた日本酒ベースでサクラの塩漬けを浮かべたオリジナルのショートカクテルを飲み、ビーフカレーを中心にランチと少しだけメニューの変わった夕食をつまみ、飛行機に搭乗しました。ファーストクラスとエコノミークラスしかない機材であり、エグゼクティブクラスの私はファーストのシートに座ることができました。後方のエコノミーは2-3-2のシート配列なのですが、ファーストは1-1-1とゆったりしており、電動でフルフラットにもなりました。機内では炊き込みご飯、煮魚などの和食メニューを食べ、なぜか白ワインのシャブリを飲みました。
ソウルの気温はマイナス1度。空港での両替レートは100円1430ウォンでした。インチョン空港の到着フロアには、いつものことですがキムチ臭がそこはかとなく漂っていました。霧深い道を空港から市内に向かうバスの中、運転手はかかってきた携帯電話に出て、時速80キロで走りながらおしゃべりしていました。 バスの値段はその5年前に7000ウォンだったのが9000ウォンになっていました。ソウルの街中の車を見て思うことは、日本車がほとんどないということです。半分以上がヒュンダイで、普通タクシーもトヨタプレミオと似たシルエットのヒュンダイのソナタという車種を多く見かけました。レクサスを2台ほど見かけたのが唯一の日本車でした。私の知る限り、韓国はもっとも日本車の少ない国です。ホテルに向かう途中、ロッテホテル前の地下広場では直径30メートルほどの空間に数十人のホームレスがダンボールハウスで寝ていました。

翌7日朝、ホテルで朝食を摂り、ソウル駅へと向かいました。もはやソウル市内で観光したいところがなかったため、郊外の温泉に行くことにしたのです。地下広場を通りかかると、前日夜にいた数十人のホームレスは皆いなくなっていました。恐らく凍死しないように店が閉まった夜だけ泊まることが許されているのでしょう。その後、ガラス張りのモダンなソウル駅からKTXに乗って大田へ。乗り心地はベルギーで乗ったタリスと総じて同じでした。同じTGVベースだから当然といえば当然ですが。ただ日本並に山の多い韓国でTGVを無理やり走らせるために、トンネルは日本よりかなり広めに作ってある印象でした。きっとそうしないと、トンネル突入時の衝撃波に車体が耐えられないのでしょう。大田駅から地下鉄に乗り換えて儒城ホテルの温泉へ。儒城ホテルは5つ星ですが、駐車場の車は少数のベンツとフォルクスワーゲンを除いてすべて韓国車でした。これが中国だとレクサスとクラウンとドイツ車ばかりなのですけどね。施設内には露天風呂、ヨモギ湯など色々な湯があり、奥では垢すりも行われていました。私は以前ソウルで垢すりに行ったことがありますが、全裸になって同性(男)に全身をゴシゴシこすられても嬉しくなかったので、その時は遠くから眺めるだけにしました。昼食を駅のロッテリアで済ませ、KTXでソウルへ戻り、ソウル駅から明洞まで歩きました。道中、火事で消失した南大門は在りし日の姿をプリントした巨大な壁で覆われていました。南大門市場には相変わらずブランド品に似た粗悪な商品がいっぱいありました。あれは店の奥にもっと精巧な商品がありますよと言うサインなのだそうです。その先にはBANK OF KOREA MUSEUM がありましたが、日本銀行旧小樽支店金融資料館を一回り大きくした感じのところでした。その後、ロッテ免税店へ行きましたが、自分が持っているブランド品は総じて楽天で買ったほうが安かったので、「高いな」と思いつつ外へ出ました。以前、ルイ・ヴィトンのバッグを探したことがありますが、日本のデパートで14万、ソウルの免税店で11.5万円、パリの本店で9万円ほどだったと記憶しています。パリでは間接税の還付も受けらるため、実質8万円弱でした。
ソウル髄一の繁華街である明洞は相変わらず凄い人通りで賑わっており、しばしば日本語を耳にしました。5年前にプラウムスターコーヒー(スターバックスコーヒーとよく似た緑の丸いマークが目印)を発見したホンモノ館はなくなっていました。ホンモノ館でまがい物をみつけ、個人的には結構ツボにはまっていたのですが残念です。
夕食は明洞聖堂の近くにあるイムンソルロンタンという行きつけの店でソルロンタンを食べました。これは牛肉の入った白い薄味のスープです。これにキムチを浸して味付けするとともに、キムチを煮沸消毒して食べるのが自分流です。夕食後、何か変わったネタはないかと街中を歩いていると、明洞を移動しながらプラカードを手に持って何やら叫んでいる人たちの行列が、キタ━━< `∀´>━━!!!!!
その一団は「さあ、リン、チョン、コイ。い~ろ~は~と~」(と聞こえました)と叫びながら、明洞聖堂の前へ移動。若い男女がメインで、一部貧相な中高年男性が混じっているという構成です。つまり一言で言えば、職に就くのが難しそうな人たち。彼らは明洞聖堂の前で座り込み、主導者と思しき人が北朝鮮アナウンサーの口調によく似た絶叫で何やら演説を始めました。時折、みなが「お~~!」と歓声を上げ、私の周りの人たちも一緒に声を出していました。「今、日本語で変なことを口走ったらきっと殺される」と思いました。何のデモかと思って聞いていたら主導者に続いて皆が「イミョンバク、ミニモニだ」(と聞こえました)と叫び始めました。きっと反大統領デモだったのでしょう。一つ笑ったのが、紙コップにロウソクをつきさしたものを持っている人が多い中、ペンライトの先に炎の形をしたキャップをつけてろうそくの代わりにしている人がいたことです。ロウソクデモ用のそんな便利アイテムを発明して、今後もデモを繰り返す気満々ですねw。中国と違い、イミョンバク政権がこのデモを強制排除することはないだろうと思っていましたが、デモ集団が暴徒化しかけたらいち早く逃げるために、退路だけは常に意識していました。

翌8日もホテルで朝食を摂り、チェックアウト後に地下鉄に乗って世界遺産・宗廟と南山韓屋村に行きました。韓国の切符自動販売機は行き先を選んでからお金を入れる方式ですので、先にお金を入れるとそのまま下から出てきてしまい切符を買えません。分からずに困っている日本人を見かけたことがあります。しかしここさえ乗り切れば、路線ごとに色分けされて各駅に番号まで振られた地下鉄を駆使してどこにでも行けます。宗廟は宮廷行事の行われた建物とのことですが、普段は広々として飾り気のないさっぱりした印象です。南山韓屋村は韓国の古い伝統家屋や文化を伝えるテーマパークですが、初めての方なら足を伸ばしても悪くはないでしょう。
その後、ソウル一の格式を誇る新羅ホテルでピアノの生演奏を聴きながらコーヒー飲み(11500ウォン)、ソルロンタンの店で昼食を摂ってから(6000ウォン)空港バスに乗り、仁川空港地下の安食堂でトッポッキを食べて(2000ウォン)帰って来ました(一般に空港は物価が高いのですが、地下には職員向けの安い食堂やコンビニがあったりします)。話は変わりますが、ロッテデパートの電化製品売り場だとサムスンやLGを結構見かけるのですが、空港のロッテ免税店ではソニー、カシオ、東芝など日本ブランドの商品ばかりでした。韓国人向けと海外の旅行客(主に日本人?)向けでは売れるブランドが違うということなのでしょう。しかし日本人なら日本の電化製品は近くの安売り店で買った方が安いのですけどね。ちなみに空港にあるインターネットコーナーのパソコンはソニーとアップルでした。
以前も書きましたが、知人が職場旅行で韓国に行き、「日韓友好」と言って近寄ってきた韓国人の集団と一緒に飲みに行き、そこで恐喝されてカード利用枠含むかなりの被害にあったそうです。私なら見知らぬ韓国人に「日韓友好」なんて言われた時点で、危険アンテナがバリ3になっていたところです。こんな国ではありますが、個人旅行の経験値を稼ぐ上ではそれなりの利用価値がある渡航先です。衛生面、治安面、国民感情などすべての面で軽い緊張感が漂うものの、赤信号で止まったら後ろから射殺されるコロンビアや、時々地下鉄が無差別テロにあい、スキンヘッドのネオナチが金属バットを片手に「ヒャッハー。汚物は消毒だ!」と叫びながら黄色人種狩りをしているモスクワ、そして「100メートル歩く間に強盗にあう確率は150%。絶対に強盗にあい、その後2回目に襲われる確率が50%」と言われるヨハネスルブルクのような絶望感は漂いませんし、何を食べても下痢になり、周りの人から言いがかりのような理由でチップを要求されるインドほどの緊張感も強いられません。ただ、韓国人の日本人に対する複雑な感情を考慮し、「日本人だとばれたら負けかなと思ってる」をキーワードに行動したほうが無難でしょう。

なお北朝鮮に興味のある方は瀋陽旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-01-12)も併せてご覧ください。北朝鮮が出資する七宝山ホテルに宿泊し、朝鮮中央放送を見てきました。
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