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香港・北京旅行記(13年5月) [海外旅行記]

昨年8月にマイレージプラスの2万マイルを使い、下記のスターアライアンス特典航空券を発券しました。
17MAY NH1241 NGO 0945 HKG 1300
17MAY CA118 HKG 2000 PEK 2325
18MAY CA901 PEK 0835 ULN 1050
19MAY CA902 ULN 1150 PEK 1400
19MAY CA159 PEK 1700 NGO 2100
それぞれ名古屋(NGO)、香港(HKG)、北京(PEK)、ウランバートル(ULN)、全日空(NH)、中国国際航空(CA)の略で、0835は8時35分を指します。
空港税は別途76.5ドル(6113円)徴収され、搭乗区間マイルの200%にあたる10988マイルを220ドル(17581 円)で買い戻しました。要は23694円と9012マイルで、HKGとULNを周遊するチケット(空港税、サーチャージ込み)を手に入れた計算です。
今回はHKGにも立ち寄ったため2万マイル必要でしたが、NGOとULNの単純往復なら15000マイル相当で可能です(これに違和感を覚えたのであれば、マイルオタク中級です。でも上級者への道は遠いですよ)。
3日間でHKGとULNの双方に行くのは酔狂以外の何者でもありませんが、毎月海外旅行をしていると、このようなネタに走りたくなる時もあるのです。
ホテルは中国最大のホテル予約サイトCtripで Beijing Aulympic Airport Hotel (北京首都空港からの往復送迎付き、1泊328元)を予約し、IWB(http://www.instantworldbooking.com/?gclid=CJjUyMOpl7cCFYUhpQodfCUANA)でZaya Hostel(朝食付き、1泊28.95ドル)を予約しました。
中国のホテルで反日の嫌がらせを受けないために、あえてCtrip を利用しました。さすがに中国最大の予約サイトの利用客に喧嘩を売ることはないと信じたいものです。英語メールで到着時の送迎を頼んだところ、出口B付近でホテルの送迎スタッフが待っているとのことでした。
ちなみにモンゴルは外務省の海外安全情報のホームページでもかなり怖いことが書かれてあり、私も以前そこでデジカメを盗まれたことがあります。意外とヒャッハー度が高いので要注意です。

17日、セントレアでPEKまでのチェックインを済ませ、プライオリティパスでラウンジに入り、朝食をとりました。HKGには13時半に到着し、20時までフリータイムです。
エアポートエクスプレスの Same day return チケット(九龍まで同日の往復で90香港ドル)を購入し、バスに乗り継いでペニンシュラホテルへ。ここのアフタヌーンティーは有名で、いつものように行列ができていました。私も家族で来たことがありますが、今回は一人旅ですし、冷やかすだけです。
ホテルを出て、香港島を望むハーバーを散策してから、重慶マンションに向かいました。ここはバックパッカーの聖地として有名な場所ですが、私は初めて訪れました。インドやイスラムが入り交じったカオスな雰囲気の中、インド人がサムスンと表記されたスマホを売っていました。しかしそれが韓国製か中国製かは分かりません。そんなオーラが漂う場所です。物珍しくて写真を撮っていたら、フレームに入ってしまったムスリムから大声で怒鳴られ、当該写真を消去させられました。彼らの中には写真を嫌う人もいるので仕方ありません。
その後、再びバスとエアポートエクスプレスを乗り継いで空港に向かい、ラウンジで夕食をとりました。
定刻より遅れて香港を発ち、北京首都空港の出口Bから出てきた時には午前1時でした。その場では送迎スタッフと出会えなかったものの、すぐ隣にあるインフォメーションカウンターに頼んで電話して貰ったところ、10分で来てくれました。ホテルに到着し、当日朝6時半のシャトルバスを予約してから就寝しました。

18日、0620に ロビーに行くと、2つの航空会社の乗務員達がブリーフィングをしていました。航空会社の御用達と言うことは、少なくとも送迎に関しては信頼できるホテルなのでしょう。シャワー周りなどは値段の割に残念でしたが、ホテルの特性上、こちらは二の次です。
シャトルバスは定刻通りに出発し、10分ほどでターミナル3に到着しました。出国審査と保安検査を済ませ、プライオリティパスでCAファーストクラスラウンジへ。ここで朝食を済ませてからいざ出発ゲートに向かおうとしたところ、0835発のフライトが1400に遅延になっていました。気落ちしながら1時間ほど時間をつぶし、もう一度確認すると今度は2100になっています。これではウランバートル到着時には日が変わっているかもしれません。真夜中に一人でウランバートルのタクシーに乗るのは命がけですし、0950までに空港に到着するのであれば観光は一切できません。
そのことをラウンジスタッフに話し、ウランバートルまでの往復をキャンセルすることにしました。出国審査を取り消してもらって逆走し、出発ロビーを駆け回って何とか手続きできました。そのまま日本帰国を1日早めても良かったのですが、そちらはユナイテッド航空のチケットカウンターに自分で電話をかけて依頼する必要があるため、色々とハードルの高さを感じて断念しました。
こうして急遽北京に滞在することになったものの、今回は北京のガイドブックを持って来ていません。当然、宿泊も観光もこれまでの王道を踏襲することになります。
エアポートエクスプレス(25元)と地下鉄(2元)双方でのアクセスが容易なイビス三元橋で部屋を確保し、荷物を置いてから地下鉄で故宮(60元)に向かいました。最初はあまりの壮大さに感動した故宮も、何度も訪れた今となっては何の感慨もわきません。空気の汚さに喉が痛くなり、人の多さに疲れただけでした。その後、北京ダックの名店・全シュウ徳で北京ダック半身、トマトサラダ、ビール(合計203元)を頼み、地下鉄でホテルに戻ってきました。
ホテルの部屋で北京首都国際机場のホームページを見てみると、ウランバートル行きCA901便はキャンセルになっていました。朝10時に出発時間が14時から21時に変更になった時点で、そんな気はしていましたが・・・。

19日、朝食をとり、荷物を預けてからホテルを出発しました。フロントには一泊428元と表示されていましたが、30元の朝食込みで274.6元でした。MUFJプラチナアメックスで支払ったので、その神通力でしょうか?
後日、カード附帯の海外旅行遅延保険に問い合わせるために、同カードで北京に滞在した記録を残したかったのです。
地下鉄で天壇東口に向かい、世界遺産・天壇公園(35元)へ。これまでツアーで二度ほど来ましたが、一人で来るのは初めてです。通常のツアーでは訪れない斉宮、神○署(○は東の簡易体に近い文字、2カ所で10元)にも足を延ばしたところ、人口密度の低さに癒されました。
正午過ぎに観光を終え、地下鉄でホテルに向かい、預けてあった荷物を引き払い、エアポートエクスプレスで空港に着いた時には1340でした。
名古屋行きのチェックインは1410から始まり、出国審査後にCAファーストクラスラウンジで遅めの昼食をとり、定刻より20分遅れて名古屋に帰ってきました。


最後に余談ですが、つい先日、私はA型肝炎の抗体を持っていないことが判明しました。50カ国以上に旅行し、結構アグレッシブな食材にもチャレンジしてきましたが、実は食の安全に細心の注意を払って感染を回避していたようです。今回の旅行でも北京・王府井の屋台で臭豆腐を見つけ、再チャレンジしたい欲望に駆られましたが、廃油を利用していそうな気がして断念しました。
今回の帰国後に予防接種を受ける予定です。
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ソウル旅行記(13年4月) [海外旅行記]

今月は当初、敦煌に行く予定でした。
昨年6月にユナイテッド航空の2万マイルを使って敦煌行きのチケットを発券したのですが、今年2月になってフライトスケジュールの変更と減便が決まり、当初の日程では行けなくなりました。その頃には反日デモや大気汚染の問題もあって中国に行く気が失せていたため、これ幸いと航空会社側の事由でキャンセルにして、ノーペナルティーでマイルと空港税を返却してもらいました。
そしてかわりに4月26日に就航するエアアジアの名古屋、ソウル便の初日フライトでソウルに行くことにしました。事前座席指定料金700円や空港税、手数料を含め、往復で総額18780円です。ホテルはユートラベルノートでベスティンレジデンス明洞(朝食付き、2泊で8300円)を予約しました。
最近、北朝鮮がしきりに無慈悲な遠吠えをしていましたが、恐らくツンデレなのでしょう。萌えキャラ風に言えば「べ、別にアメリカのために二カ国間協議をしたいんじゃないんだからね! 私のことをちゃんと見つめてくれなかったら無慈悲な核攻撃をしちゃうからね!」くらいのニュアンスなので、現状ではあまり心配していません。

フライトの3時間前からチェックインが始まるとのメールを受け取ったため、出発当日(26日)はフライトの2時間半前に空港に着きましたが、結局チェックインが始まったのは2時間前でした。しかもカウンター係は皆不慣れなようで、呆れるくらいゆっくりしたスピードです。搭乗までの流れを型どおりに説明をしようとする係員に思わず「よく分かっているから大丈夫です」と断り、チケットを受け取りました。その時点で、私の後ろにはかなり長い行列ができていました。
ゴールデンウィークが始める前日だけあって出国審査も混み合っており、結局プライオリティパスでスタアララウンジに入ったのは出発の75分前である9時半でした。そこで遅めの朝食をとり、10時過ぎに搭乗口に向かうと、エアアジアに新しく就航したセントレア専用機の愛称が発表されていました。シャルクレッドと聞こえたのですが、セントレアから福岡、ソウル、札幌、福岡を1日で往復するエアバス320の機材です。初日フライトの搭乗記念にエアアジアと書かれたエコバックとシール、扇子をもらい、予定より少し遅れて搭乗しました。スタアララウンジで飲食を済ませたため、2時間弱のフライトで飲食しなくても不自由はありません。
13時にソウル仁川国際空港に着き、4050ウォン(W)の空港列車でソウル駅へ。そこから地下鉄4号線(1150W)に乗り換えて明洞駅に向かい、駅近くの宿に荷物を置いたときには15時を廻っていました。
小腹が空いていたので、まずは明洞にある行きつけの店でスンデ(腸詰め、3000W)を食べました。その後の予定は立てていませんが、明洞は私の庭のような場所なので「せっかくの休日だし、どこか出かけようかな?」というノリで何とかなるでしょう。
ただ一つだけ、ホンオフェを食べられる店(http://www.seoulnavi.com/food/704/)を調べてあったので、町を散策しがてら行ってみることにしました。メニューにはホンオフェ単品(10000W)もありましたが、それを一人で延々と食べ続けるのは切ないので、ホンオフェが少し載った刺身冷麺(8000W)を頼みました。
ホンオフェは世界三大臭い食べ物の一角をなすエイの刺身です。アンモニア臭がして、口の中に入れておくと口腔粘膜がただれる、舌が痺れるという噂を聞いていましたが、私が食べたものはあまり発酵していなかったらしく、コリコリした触感でキムチ味をした単なる海産物でした。 
ちなみに他の2つはシュールストレミング(外科の某先生が「開腹してこの臭いがしたら、まず助からない」と表現したスウェーデン産のニシンの缶詰)と臭豆腐(下水道の味と香りを楽しめる中国の豆腐)です。それらが期待を裏切らないパフォーマンスをみせてくれただけに、「The 臭い道」を極めんと日々精進する私にはやや物足りなく感じました。
その後、カロリー消費をかねてロッテ免税店まで歩きました。ネクタイを買おうと思ってほぼ10年ぶりにじっくりと見て回ったのですが、かつては日本語率ほぼ100%だったフロアの過半数を中国語が占めています。しかしコーチが「日本のパスポート所持者限り10% off」と銘打っていたり、免税店全体で「購入金額別プレゼント $300以上 ギフトカード 2万ウォン」というキャンペーンをしていたり、明洞では「にほんじん 10% DT」(DT=ディスカウント?)と書かれていたりしました(すべて原文そのまま)。日本人にしか理解できない、適応されない割引キャンペーンが存在するのは、日本人のほうが品の良い上顧客なのか、日本人の方が割引しないと寄りつかない貧乏人なのか、あるいはその両方でしょうか?
ちなみに東日本大震災の時のソウルでの応援メッセージも、わざと一部をひらがなにして中国人には理解できない表記になっていました。
私は歴史認識において韓国のスタンスと相容れない点がいくつかありますが、それでも中国よりは受容できます。面白いことに、韓国では「尖閣諸島は中国ではなく日本の領土」という意見が過半数を占め、中国では「竹島は韓国ではなく日本の領土」という意見が過半数を占めるそうです。直接利害関係がない第三者にはそう見えるのでしょうね。
帰路のコンビニでチャミスルを買い、夜は自室でそれを飲んで過ごしました。

翌27日は朝8時からホテルで朝食をとりました。トースト、菓子パン、トマトジュース、ミルク、シリアル、コーヒーをセルフサービスで食べられます。しかしチープで韓国らしさにも欠けるため、外に食べに出てもよかったかな?と思いました。
この日はソウル近辺でまだ行ったことがない場所ということで、戦争記念館と国立中央博物館(いずれも無料)をハシゴすることにしました。
9時前にホテルを出発し、地下鉄で戦争記念館に向かいました。ここは古代から南北戦争、ベトナム戦争までの韓国の戦争史を紹介した場所です。
入口階の奥には戦死者を慰霊するドーム状の建物があり、英語で「彼らはその人生を祖国の平和のために捧げた、韓国の真の英雄たちである」「英雄たちの崇高な犠牲は、韓国を守る永遠の光となった」と書かれていました。恐らくその言葉に嘘いつわりはないでしょうし、私は彼らの心情に理解を示します。しかし日本人が戦死者を慰霊しようと思えば、その行き先は自ずと靖国神社になります。韓国人と同じことを日本人がするだけで怒り出す彼らの言動は、被害者意識さえ振りかざせば何でも許されるという傲慢さをはらんでいますが、彼らが「可哀想な永遠の被害者」であろうとする限り、会話は成立しないでしょう。
ともあれ展示そのものは充実しています。退役となった戦闘機、戦車、軍用船、ベトナム戦争時代に作られた蟻の巣のような地下基地のミニチュアモデル、3D映画など、盛りだくさんです。軍用船の内部には、私より遅く生まれ、北朝鮮との衝突で20代にして命を落とした若者達の遺影と遺品が展示されていました。記念館内部で見た「自由は無料ではない」という英語のフレーズが重みを持ってのしかかってきます。
見学を済ませ、敷地内の食堂でソルロンタン(7000W)の昼食をとってから、地下鉄で国立中央博物館に向かいました。こちらの建物はやたら大きく立派ですが、現時点ではその箱に見合うだけの展示品がないように感じました。あまり価値のなさそうな物も散見し、それらが贅沢なスペースをとって展示されているため、歩きくたびれた割には満足感が得られません。
見学後、地下鉄で明洞に戻り、行きつけの店で夕食をとってからホテルに戻ってきました。この辺はもう、私にとって日常生活の延長になっています。

28日、朝7時半に起きてホテルで軽くトーストを食べました。明洞は夜眠らない町ですが、朝は眠っていて人もまばらです。この時間に観光できる場所はないので8時半にチェックアウトし、地下鉄と空港鉄道を乗り継いで10時に仁川国際空港に着きました。
ここではフライトの3時間前(10:10)からチェックインが始まったので、すぐに出国審査まで済ませ、プライオリティパスでHUBラウンジに入りました。プライオリティパスと LCC の組み合わせは私の胃袋にとって相性抜群です。このラウンジではプルコギも無料で食べられるので、最近では市内で高い金を払って肉を食べようという気も起きません。図らずもラウンジ乞食の道を極めてしまった気がします。
セントレアには定刻通りに到着しました。

今後は5月に香港とウランバートル、6月に貴陽と大同、7月にソウル、7~8月にロンドンとダブリン、9月にラロトンガ、10月にサイパン、11月にポナペ、12月にシンガポールとプノンペン、1月にヌクアロファ、2月にソウルへの旅行を予定しています。
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台北旅行記(13年3月) [海外旅行記]

今回は台北旅行です。
昨年8月にピーチアビエーションで往復18360円のチケットを購入しました。往復ともストレッチシート(足を伸ばせる最前列席指定料、片道1280円)を選択し、空港税や手数料を足して、総額23660円でした。
ホテルは楽天トラベルで、前泊用にスターゲイトホテル関西エアポートを予約しました。23時から翌朝5時までの時間限定、空港送迎シャトル付き、3月3日にバラマいていた500円割引クーポンを使い5200円です。また台北では、中央駅に近いリオホテル(朝食付き、2泊で2000台北ドル、以下T$)を予約しました。

14日夜、名古屋から近鉄特急と南海電鉄を乗り継いで、りんくうタウンへ。駅に隣接したホテルにチェックインし、就寝しました。

15日、朝5時にチェックアウトし、5:05発のシャトルバスで関空ターミナル2まで送ってもらいました。チェックイン手続き後、ターミナル内のセブンイレブンで朝食を買って済ませ、保安検査と出国審査後のエリアでミネラルウォーター(コンビニと同価格)を2本買い込みました。先月の至れり尽くせりだったビジネスクラスと、無料では水すら出てこないLCCAでは、かなりの落差です。しかし眠たくてほとんど寝ていただけだったので、睡眠の邪魔をされなくて幸いでした。
9時過ぎに台北着。9時半発の国光バス(125T$)で台北駅へ向かい、駅の窓口で台北パス2日間用(310T$)を購入しました。これは2日間の間、市内バスとMRTが乗り放題になり、割引などの特典も付いてくるものです。小さな日本語ガイドブックもついてきました。
MRTで忠孝敦化駅に行き、駅近くにある鼎泰豊の支店で、小籠包とピーナッツソースの冷麺(計319T$)を食べました。この店は昼時になると行列ができるため、早めに入店したのです。
食後、国父記念堂まで歩き、正午の衛兵交代式を見ました。台湾の衛兵交代式は統制の取れた動きで、靴音を響かせ銃剣を振り回すなど、ショー的な要素が強いものになっています。記念堂を出ると少し離れた場所に台北101が見えましたが、この展望台からの景色はどこまでも広がる灰色の街並みだけであり、今回は見合わせることにしました。
その後MRTで西門駅に行き、東京駅に似た赤煉瓦の建物と椰子の木が印象的な総統府の写真を撮りました。かつてはここでの写真撮影は禁止されていたそうです。
その後、ニニ八和平公園を通って国立台湾博物館(20T$)に向かい、台湾の自然と先住民を主テーマとする展示やミイラの特別展を見てから、ホテルにチェックインしました。部屋に荷物をおいて一休みしてから、今度は故宮博物院に向けて出発。台北駅の地下街で阿美族の料理(牛肉ぶっかけご飯、魚肉すり身スープ、ミミガー80T$)を食べてから、MRTで士林駅に行き、台北パスのガイドブックに書かれていた815番バスに乗り換えて到着しました。故宮博物院(160T$)には中国国民党が本土から持ってきた芸術品の数々が展示されており、他のアジア諸国にある国立博物館とは一線を画しています。やはりかつての中華民族は世界一精巧な工芸品を作る民族だったと思い知らされました。毛沢東が共産革命を起こして中国人の職人魂を破壊し尽くさなければ、今頃はGNP世界一の強国になっていたかもしれません。
その後再び815番バスで士林駅に戻り、駅近くの店でタイ風チキンカツと一人鍋のセット(149T$)を食べました。台湾では150T$もあれば、かなり腹一杯食べられます。食後、MRTで台北駅に戻り、駅前の三越地下で土産物を買ってから、民権西路駅に近い京劇シアター(台北アイ、550T$)に行きました。私はここ以外に北京でも京劇を見たことがありますが、一言で述べると「動と静の融合」です。ゆっくりとしたやりとりがある一方で、宙返りなどの激しい動きもあり、それを場面ごとにフリーズして見せたりします。他の民族舞踊はおおむね動か静のどちらかに分類できますが、京劇だけはその範疇にとどまりません。
ショーは21時半に終わり、ホテルにたどり着いた時には22時を廻っていました。
台北パスに無料のコーヒーとアフタヌーンティーが付いていたので、ネットで場所を調べてみると、コーヒーは中山堂の2階、アフタヌーンティーは国父記念堂の近くでした。

16日、ホテルで朝食をとり、8時半前に出発しました。MRTと新店客運のバスを乗り継ぎ、タイヤル族の住む山奥の村、烏来(ウーライ)へ。前回(花蓮旅行記参照)見損ねた民族舞踊のショー(10:40開始、300T$)を見ようと思ったのです。無料の博物館に立ちよってから10:20にショー会場に到着したところ、直ちに会場内に案内されました。どうやらすでに始まっているようでした。タイヤル族の踊りは典型的な動であり、かなりの運動量です。11時にショーが終わってから外に出ると、やはり看板は10:40-11:40になっていました。
その後、豚肉ソーセージ(30T$)、フローズン・マンゴー(25T$)、骨付き羊肉の一人鍋(120T$)を食べてから、バスとMRTを乗り継いで中山堂(入場無料)に向かいました。ここは日本統治時代に建てられたオペラハウスのような場所です。明治村にある旧帝国ホテル内のカフェを思わせる趣のある店内で、台北パスのおまけのコーヒー(本来120T$)を飲みました。
その後、若者向けのチャイニーズモダンな店舗が建ち並ぶ紅楼劇場を冷やかしてから、MRTで国父記念堂に向かいました。この日も15時からの衛兵交代式を見てから、光復南路と仁愛路四段の交差点を少し南下した西側にあるO'fiver という店で、台北パスのおまけ(本来100元)のアフタヌーンティーを頼みました。中国茶と4種類のドライフルーツが少しずつという内容で、やや物足りません。しかしこれとコーヒーだけでも220T$になるので、310T$の台北パスは十分に元を取った気がします。
その後再びMRTに乗り、行天宮に向かいました。ここは関羽をまつる廟ですが、「人がたくさんいた」という感想しかありません。どうも台湾の寺院や廟は私の心の琴線に触れてきません。更にMRTを乗り継いで、今度は淡水へ。ここは海に面して数多くの屋台が建ち並ぶ場所です。歩き疲れて空腹になっていたので、牛肉と海鮮の一人鍋(110T$)を食べてから、海沿いを散策しました。家族連れやカップルなど多くの人でにぎわい、所々で多種多様のパフォーマーを見かけました。薄暗くなると共に祭りの雰囲気が出てきます。
最初はその雰囲気だけ楽しんでから帰るつもりでしたが、道中で臭豆腐(55T$)を発見しました。私はこれまでシュールストレミングス(世界一臭いニシンの缶詰)、バロット(中身がピヨピヨしている有精卵のゆで卵)など数々のゲテモノに挑戦してきましたが、その中で唯一、ほとんど食べられなかった食品が臭豆腐です。ガクガクブルブルと震えながらも、もう一度リベンジしたい衝動に駆られ、思わず注文してしまいました。味と臭いは下水道を思わせますが、以前北京で食べたときほど強烈ではなく、完食できました。自分が新しいステージに進んだような満足感を味わえ、これだけで今回台北に来た価値がありました。
その後、台北駅まで35分間MRTに揺られ、ホテルに帰ってきました。

17日、6時にホテルをチェックアウトしてから、国光バスで桃園国際空港に向かいました。チェックイン後、プライオリティパスでラウンジに入り、朝昼兼用の食事をとってから搭乗。ラウンジで飲食を済ませておけば、LCCA利用も苦痛ではありません。
関空到着後、南海電鉄と近鉄特急を乗り継いで名古屋に帰ってきました。
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フィジー旅行記(13年2月) [海外旅行記]

今回はフィジーのナンディに行ってきました。私にとって51カ国目の渡航地です。
昨年春にユナイテッド航空(以下UA)の4万マイルで、KIX、AKL、NAN、AKL、NRTのビジネスクラス特典航空券を発券し、7月に搭乗区間マイルの200%にあたる27460マイルを557ドル(46075円)で買い戻しました。しかし8月にフライトスケジュールの変更があり、乗り継ぎができなくなったため、航空会社側の事由によるキャンセルとして、4万マイルと支払い済み空港税の払い戻しを受けました。結果として27460マイルを46075円で購入した件だけが残りました。
その後、日程と旅程を変更して、KIX、AKL、NAN、AKL、SIN、HKG、NGO(関空、オークランド、ナンディ、オークランド、シンガポール、香港、名古屋)のビジネスクラス特典航空券を発券し、4万ドルと空港税164ドルを支払いました。ここで再び搭乗区間マイルの200%にあたる33448マイルを669ドル(53462円)で買い戻しました。
要は60908マイルを99537円で購入し、その内の4万マイルを使ってフィジー行きビジネスクラス特典航空券を発券した計算です。99537円と空港税164ドルでフィジー行きビジネスクラス航空券を購入し、20908マイル貯まったと表現しても良いでしょう。
ホテルはExpediaで空港近くの Capricorn International Hotel, Nadi (デラックスルーム1泊4752円、朝食と往復送迎込み)を予約し、空港までの迎えを英語メールでホテルに依頼しました。
フィジーでの滞在時間は24時間弱と短く、目的地よりもビジネスクラスを楽しむ旅です。

22日、早めで軽めの昼食を撮った後、近鉄特急と南海特急を乗り継いで関空に着きました。到着後すぐにチェックインを済ませ、ANAのビジネスクラスラウンジへ。北側の滑走路に面した開放感のあるラウンジですが、ヌードルバーなどを備えた成田には見劣りし、広さも、雰囲気も、飲食類の内容も、セントレアのスターアライアンスラウンジと良い勝負です。
その後、優先搭乗にて機内に入り、ウェルカムドリンクのシャンパンを飲み、チーフパーサーから「○○様、ご搭乗ありがとうございます」との挨拶を受けてから離陸。
機内ではピノ・ノアールとシラーズ、2品種の赤ワインを飲み、ビーフの赤ワイン煮込みをメインディッシュとする夕食をとりました。ビジネスクラスと言えどもフルフラットシートではなく、少し寝苦しい夜を過ごしてから、現地時間で6時半(日本時間で2時半)に起こされ、フルーツカクテルとパン、アップルパイにコーヒーの朝食をとりました。

オークランドには23日の8時半に着き、すぐにビジネスクラスラウンジへ向かいました。食欲はなかったものの、豊富な銘柄のニュージーランドワインをいくつか試飲し、シャワールームを使用してから、11時のフライトに乗り込もうとしたところ、離陸時間が13時半に変更になっていました。ただでさえ短いフィジー滞在時間がますます短くなり、少しショックです。お詫びに12NZドルの食事用バウチャーをもらったものの、飲食はラウンジで事足りているので嬉しくありません。プライオリティパスで別のラウンジに入って時間をつぶし、バウチャーをミネラルウォーターに引き替えてから搭乗しました。
機内に入るとすぐ、通路に向けて斜めに設置されたビジネスクラスシートが目に留まりました。こうすることで前後長を十分取り、完全に足を伸ばせるようになっています。これは初めての経験だったので少し気を取り直し、機内ではやはり飲んで食べて過ごしました。
フィジーのナンディ国際空港で入国審査を済ませ、40米ドルを66.3フィジードル(以下Fドル)に両替してから、オープンエアのベンチでホテルスタッフと合流したものの、そこで30分ほど別の同乗客を待つ羽目になりました。到着時のアナウンスでは気温30度とのことでしたが、スコールが暑気を洗い流してくれたようでした。ようやく送迎車でホテルに送ってもらい、部屋に荷物をおくと、時刻は16時半を過ぎていました。暗くなってからの一人歩きは危険らしく、日没までの残り時間を考えると遠出は無理そうです。
周辺だけでも散策しようと思い、通りに出ると、そこを走る車の9割近くが日本車でした。ただし20年くらい前の古い車両が多く、道は整備不良で凸凹だらけです。周りには熱帯雨林が茂り、通りの景色だけを見ているとパラオを思い出します。
ホテル隣のスーパーを物色し、土産物を買ってから、ホテルのプールへ泳ぎに行きました。プールの傍には巨大な広葉樹や椰子の木が茂り、それらが低層の白い建物(客室)に囲まれています。南国リゾートのエッセンスは押さえてあり、レストランやバー、土産物もあるので、値段の割には満足できるホテルでした。
その後、小腹が空いたので夕食を求めて再び出かけました。フィジーはインド系の移民が多いため、そちらのレストランが充実していますが、フィジー独自の食べ物には出会えず、結局ホテル隣のファストフード店でチキンバーガー、フライドポテト、コークのセット(8.5Fドル)で済ませました。
ホテルに帰ると、プール傍にある麦藁屋根の小屋で、7~8人の男性がゆったりとした曲をギターに合わせて歌っていました。私は部屋のベランダに出てそれを聞いていましたが、ドアロックして部屋に入れなくなり、2階のベランダから大声で助けを求めるという間抜けな経験をしてしまいました。

24日は7時半過ぎに起き、ホテルで朝食を軽くとってから、外出しました。フィジーに来たからには一度は海を見たいと思い、海岸まで1キロくらいの寂れた道を歩き始めましたが、道中で犬にまとわりつかれ、元々苦手なのと狂犬病が怖いのもあって引き返しました。代わりに大通り(クイーンズ通り)を散策したものの、結局ホテル隣のスーパーが一番品ぞろえが多く、それ以外には見る物がないという結論に達しました。
この日のフライトは12:15であり、10時にはホテルからのエアポートシャトルに乗らなければなりません。残りの1時間をホテルのプールでつぶすことにしました。プールには、キリバス出身で日本のマグロ船に乗ったことのある男性とその家族がいました。男性は「フィジーは良いところだが、私はキリバスが好きだ。なぜなら私の国だから」と言っていました。私も日本が好きなので、立場は違えどもその考えには共感します。共感できないのは、愛国が反日に直結する某国のメンタリティーだけです。
10時前にチェックアウトし、シャトルバスの代わりにホテルが費用負担するタクシーで空港に送ってもらいました。一応メーターも動いており、7.0Fドルでした。短い滞在時間なりに振り返ってみると、思っていたよりも物価が安く、人々がおおらかな国です。インド系住人が半分を占めるため、えげつないチップ請求も覚悟していましたが、そういう気配もありません。
空港に着くと、この日も75分の出発遅延があることが分かりました。フィジー便に限ったことなのか、ニュージーランド航空の社風なのかは不明ですが、機材の運用方法を考えると恐らく後者でしょう。
チェックインと出国審査をビジネスクラス専用レーンで済ませ、ラウンジに向かいました。ラウンジにはフィジーのビールがあったので飲んでみましたが、東南アジアに似た、やや甘くて軽めのテイストでした。
私の滞在中は常に空が曇り、時折スコールが降りましたが、離陸時に見えた海も、空と同様にどんよりとした色をしていました。機内ではウェルカムドリンクがあり、低温でじっくりと焼いたビーフステーキをメインとするコース料理を食べ、最後にはデザートワインも頼みました。ポートワインや貴腐ワインが用意されていました。
オークランドに着き、入国審査を済ませたときには18時半になっていました。この時間から往復2時間かけて都心部に出たとしても、多くの店は閉まっており、スカイタワーの展望台に上るのが精一杯でしょう。以前にも上ったことがあり、4000円の費用と往復の労力を使ってまで再訪したいとは思いません。空港駐車場を見渡し、日本車の割合が6割程度であるのを確認すると、すぐに屋内に引き返しました。
ここまでのフライトはニュージーランド航空、そしてここから香港まではシンガポール航空です。シンガポール行きの便は翌日1:05発で、ナンディではオークランドまでしかチェックインできなかったため、チェックイン開始まで、空港内のベンチで本を読んで時間をつぶすことにしました。21時半過ぎにチェックインが開始されたのに気づき、チェックインと出国審査の後、ラウンジでシャワーを使ってから搭乗しました。

25日、機内に乗り込むと民族衣装を着たCAが迎え入れてくれました。30席あるビジネスクラスシートのうち29席は埋まっています。CAは各乗客の名前を覚えているらしく、私も「Mr. ○○」と呼ばれました。前菜、メインディッシュ、デザート、チーズ盛り合わせを食べましたが、私以外の人は途中で眠ってしまい、全メニューを完食したのは私一人だったかもしれません。
シートはフルフラットになる、ビジネスクラスでも珍しいタイプです。足を延ばして真横になるという地上では当たり前の行為が、機内ではプレミアムになるわけですが、やはりこれだけのことで寝心地が格段にアップします。到着の2時間半前に起こされ、朝食のフルーツ盛り合わせ、サーモンとエッグのメインディッシュも残さず食べました。
シンガポールに着き、次便の搭乗ゲートを確認してから、シルバークリスラウンジに入りました。このラウンジについても高い前評価を聞いており、私の中でも上位にくい込む満足度でした。
その後乗った香港行きの便でも、シートをフルフラットにできました。このあたりの快適性はさすがシンガポール航空です。ワインセレクションのニュージーランド航空、シートとエンターテイメントシステムのシンガポール航空と勝手に位置づけておきます。機内ではフルーツ盛り合わせ、ヨーグルト、中華風焼きそば、デザートを食べました。
香港で名古屋行きANA便のチェックインを済ませ、ユナイテッド航空のラウンジに入ったものの、山のようにある食べ物を前にしながら、もはや胃の余裕がありません。それでも名古屋行きの機内で出た、前菜、平目のソテー、タルトは平らげました。
今回身に染みて分かったことですが、ビジネスクラスとラウンジばかりでは食べ過ぎ、飲み過ぎになってしまいます。実は今回の旅行で、機内食、ラウンジ、ホテルの朝食をのぞくと、8.5Fドルのハンバーガーセットが唯一の食費でした。1泊4日、機中泊2回。ビジネスクラスを十分すぎるほど堪能した4日間でした。
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三亜旅行記(13年1月) [海外旅行記]

今回は中国最南端にある海南島のリゾート地、三亜への旅行です。
昨年4月に、ユナイテッド航空(以下UA)の2万マイルを使い、名古屋から北京経由で三亜に行く中国国際航空(以下CA)のフライトを予約しました。燃油サーチャージは不要で、日中の空港税61.8ドルのみ別途徴収されました。当初は4日間の予定でしたが、昨年9月に反日デモが起き、あまり中国に長居したくなくなったため、3日間に変更しました。
5月に12000マイルを300ドル(24428円)で買い戻したところ、日程変更後にもう一度マイルを買い戻すオプションが表示されたため、10月に10932マイルを219ドル(17554円)で買い戻しました。要は三亜行きの航空券(燃油サーチャージ込み)を41982円で買い、UAのマイレージ口座に2932マイル貯めた計算です。
ホテルは、agoda.comで三亜近くのビーチサイドに位置する Sanya Yelan Bay Resort(4つ星、朝食付きで1泊4973円)を、booking.comで北京首都空港に近い Ibis Sanyuan Beijing(3つ星、素泊まりで288元)を予約しました。

出発当日となる18日、セントレアで北京経由、三亜までの搭乗券を発券してもらいました。チェックインカウンターにはおびただしい数の欠航のお知らせが掲示されており、予定通りの便に乗れたのはラッキーだったのかもしれません。
スターアライアンスラウンジで朝食をとり、北京行きの飛行機に乗り込むと、搭乗率は6割前後でした。これでも反日デモ直後よりは客足が戻ってきた印象です。
機内食の後、仮眠をとってから窓の外を見ると、白い霧の彼方に茫漠とした北京の街並みが見えてきました。最近は汚染された空気が留まり、それによる死者も出ているらしく、気温は氷点下4度とのこと。日本人への敵意に満ち、極寒と毒ガスに包まれたこの町を、できることなら素通りしたかったのですが、今回は乗り継ぎの都合で帰りに1泊する事になっていました。
入国審査後、国内線の保安検査を済ませ、プライオリティパスでCAのファーストクラスラウンジに入りました。そこで牛腓面や点心を食べ、ワインを飲んで、時間をつぶしました。
時間になり三亜行きの飛行機に乗り込むと、こちらはほぼ満席です。三亜は冬がハイシーズンになり、飛行機の便数が増えると共にホテルの値段も上がります。機内ではビデオの上映があり、最初がアイスエイジ、次は反日映画でした。田中という男(天皇陛下万歳と叫んでいたので間違いなく日本人です)が中国の街並みをバックに頭蓋骨のボールでサッカーをしたり、文句を言う中国人を銃殺したり・・・。こういうのを見て、中国人はますます反日感情を高めて行くのでしょう。3つ隣の席では、中年の女性が目をつり上げながら画面に見入っていました。
三亜空港には19時過ぎに到着しました。気温は23度です。正規のタクシー乗り場でタクシーに乗り、運転手にホテルの中国名を書いた紙を見せたところ、スマートホンに「30」と打ち込んで見せてきます。メーターなら20元弱の距離ですが、三亜のタクシーはメーターを使わないことで有名らしく、どのタクシーでもほぼ同じ額を言ってくるそうです。彼らなりの公定料金なのでしょう。想定の範囲内だったので、すぐにOKしました。
運転手は南国特有の陽気な兄ちゃんで、信号待ちの間、隣のタクシー運転手と笑いながら話をしていました。私は日本を意味する「リーベン」と言う語が出てこないか、注意して聞いていましたが杞憂でした。ホテルに着いてから30元を払うと、笑顔でお礼を言いクラクションを鳴らして去っていきました。
ホテルのチェックインも、オープンエアーのロビーにいた若い女性が片言の英語とゼスチャーを使い、笑顔で対応してくれました。風は暖かく、ライトアップされたプールサイドにはゆったりとした音楽が流れています。部屋に入ると、ベッドサイドにはインドネシアで見かける白い石のレリーフが埋め込まれ、天井には木製のファンが廻る照明が取り付けられていました。行きの機内映画で意気消沈したものの、来てみれば普通に居心地の良いリゾートだったので一安心です。
その後ホテル内を散策してから、近くの海岸に行きました。暗闇の中、白い砂浜に荒々しい波が打ち付け、グアムやサイパンでは感じられない磯の香りがしてきます。そこでしばらく潮風を浴びてから、プールに泳ぎに行くことにしました。プールで泳げる時間は11時から23時半とのことですが、私は翌日正午までにチェックアウトするため、泳ぐなら今しかありません。しかし水は冷たく、バカンスと言うより苦行に近かったので、すぐにプールから出てきました。
その後はホテルの部屋でまったりと時間をつぶしました。

19日、朝7時半に起きてホテルで朝食をとりました。海南面というフォーに似たヌードルがありましたが、地理的に見てベトナムに近いため、食文化の伝播があったのでしょう。
この日は午前中をホテルで過ごし、正午までにチェックアウトしてからホテルで昼食をとり、午後は天涯海角遊覧区に出かけ、18時過ぎのフライトで北京に行く予定です。
食後、海岸線の散策に出かけました。しかし波が高くて泳ぐのは危険そうです。ホテルに戻り、ドーナツ型のプール中央に茂る椰子の木を眺めながら寛いでみたものの、半袖のTシャツでは少し肌寒く、この日も泳ぐ気にはなれません。もう少し暖かい時期に家族連れで5つ星ホテルに泊まるならともかく、比較的冷涼な時期に一人で4つ星ホテルに泊まった私には、ホテル滞在は半日で十分すぎるほどでした。
正午前にチェックアウトし、ホテル内のレストランに入ったものの、最初注文しようと思っていた海南○○鴨の写真にはご丁寧に鳥の頭がついています。何となく気がそがれ、海南○○飯というチャーハンと青島ビール(合計42元)を頼みました。
その後、天涯海角と書いた紙を片手にタクシーを探していたところ、サイドカー付きのバイクタクシーがやってきました。天涯海角まで普通のタクシーで40元くらいを覚悟していましたが、20元と言われたのですぐに乗車しました。地面の凹凸がそのままシートに伝わってきますが、南国の風を切って走るバイクタクシーも楽しいものです。
天涯海角は国家AAAA級(いわゆる4つ星、最高は5つ星)観光地で、入場料は89元です。1~2キロに渡って広がる砂浜に無数の巨大な岩が無造作に放り出された景観は、巨人の子供が積み木ごっこをした後のようですが、ある意味単調なのですぐに飽きてしまいました。
3時半に観光を終え、机場(空港)と書いた紙を片手にタクシーを探していると、一人の運転手が80元を提示して来ました。これにすぐ乗ってしまったのですが、これまでの区間と比較すると50~60元くらいが相場でしょう。今回は値切るべきだったと反省しました。
空港でチェックインと保安検査を済ませてからラウンジに入り、18:10発のフライトで北京に向かいました。北京首都空港から空港バス(16元)に乗り、ホテルに着いたのは午後0時前。バスが動き出してからホテル玄関に付くまで1時間でした。

20日、朝起きると昨晩とは打って変わった白銀の世界が窓の外に広がっていました。
ホテルで朝食(ビュッフェ形式で30元)をとってからチェックアウトし、地下鉄(一律2元)を乗り継いで、よう和宮(25元)へ。ここは北京最大のチベット仏教寺院であり、以前にも立ち寄ったことがあります。しかしその時はせっかく撮った写真ごとデジカメを紛失してしまったため、リベンジに来たのです。二度目とあって前回ほどの感動はありませんが、雪の中にたたずむチベット寺院には、夏とは違う物静かで厳粛な趣がありました。
それを存分に堪能した後、地下鉄に乗って全聚徳に向かいました。ここはかつて周恩来が通いつめたという北京ダックの名店で、私も北京に来たらここだけは外せないと思っています。砂糖が焦げたような色の皮はカリッとした歯ごたえで、噛むと旨みとほのかな甘みがあふれ出てきます。北京ダック半身とトマトサラダを頼んで、176元でした。個人的には中国に対してネガティブなイメージが強いのですが、「あえて言おう。美味であると!」
食後、地下鉄と机場快軌(25元)を乗り継いで北京首都空港に向かいました。汚染された北京の空気の中、もう立ち寄りたい場所もなかったのです。
フライトの3時間半前にチェックインを済ませ、お気に入りのCAファーストクラスラウンジへ。そこで寛いでいると、マフラーをだらりと首から垂らし、頸部を前屈させて顎を突き出した男性が通り過ぎていきました。顔はアントニオ猪木そっくりです。ここはファーストクラスラウンジなので、本人がいても不思議ではありません。羽田行きの全日空便が飛び立つ20分前、首からプレートをかけた専属スタッフに案内され、そちらのゲートに歩いていきました。
そして私自身はその後セントレア行きの便に乗り、名古屋に帰ってきました。帰りの搭乗率は3~4割でした。

ソウル旅行記(12年12月) [海外旅行記]

 今回はソウルに行ってきました。成田にあるJALのサクララウンジが好きなので、そこを利用するために往路のみビジネスクラスにして、復路はエコノミーです。JALの18500マイルを使い、2月に発券しました。宿泊は、楽天トラベルで明洞ゲストハウス(素泊まり、一泊3570円)を予約しました。
 
 14日、朝の便でセントレアから成田に飛び、出国審査を済ませてからSAKURA Lounge に入りました。この日は夜のソウル行きフライトまで、丸一日ラウンジを堪能する予定です。朝は和洋のビュッフェがあり、半熟のスクランブルエッグも用意されていました。実は卵を生で食べても大丈夫な国は珍しく、衛生状態の悪い国では一流ホテルであっても完全に固まったスクランブルエッグしか出てきません。その他にはスチームポテト、ソーセージ、サラダ、スープ2種類、パン、ご飯、明太子、出し巻き卵、赤味噌の味噌汁、鮭などが用意されていました。
 昼前から夜にかけてはカレーライスを中心としたメニューに代わり、午後3時からは滑走路の見えるバーもオープンします。ここには日本酒をベースに桜の塩漬けを入れた「サクラ」というオリジナルショートカクテルがあり、それを飲んでからシャワー室を利用し、マッサージを受けました。このラウンジを利用するのは久々ですが、やはり居心地が良いですね。
18:35のフライトでソウルに向けて発ち、ソウル到着後はA'REX(4050ウォン、以下W)でソウル駅に向かい、そこからは徒歩で明洞駅近くの宿に行きました。地下鉄で2駅の区間ですが、ソウルの地下鉄はかなり深いところにあり、乗って降りるだけで大変なので、いつも2駅くらいなら歩いてしまいます。
今回の旅行は、行きにSAKURAラウンジを使い倒すことが一番の目的だったので、あとはおまけです。

15日は行きつけのイムンソルロンタンで朝食をとってから、地下鉄(1850W)で水原(スウォン)に向かいました。韓国の世界遺産には一通り行ったことがありますが、水原の華城(ファソン)は12年ぶりだったので、もう一度行くことにしたのです。前回来た時には田舎のひなびた駅だったのですが、KTXも停まるようになり、現代的で立派な駅舎に様変わりしていました。まずは駅前のインフォメーションセンターで10:30発の無料シャトルバスのチケットを貰い、民族文化村(15000W)に向かいました。なお、12:30と14:30にもシャトルバスが出ています。
ここは韓国の伝統的家屋を集めたテーマパークですが、この日は幸か不幸か暖かく、雪解け水で地面がぬかるんでいたため、靴が泥だらけになってしまいました。暖かいと言っても、靴の内部にまで水がしみこむと、足が冷たくて仕方ありません。豆腐チゲ定食(7000W)の昼食をとり、13時からの馬術ショーを見た後、14時発のシャトル場で水原駅に帰ってきました。帰りは15:30と16:30のバスもあります。
なお馬術ショーの前にガンナムスタイルが流れ、観客の幼稚園児たちが皆で踊っていました。馬術ショーの最中にも、走る馬の上に立ってガンナムスタイルを踊る場面があり、やはり地元での人気を感じました。
水原駅到着後、徒歩でファソンに向かい、3500Wのチケットを買って華城行宮と外壁を散策してきました。ただし正直なところ、これがなぜ世界遺産になったのか不思議なレベルです。帰りはかなり足が疲れていたので、地球の歩き方に載っていたバス(1200W)で水原駅に戻ってきました。
そこから地下鉄でソウルに戻り、明洞にある行きつけの店でトッポッキとスンデ(合計5500W)を食べてから、宿に戻ってきました。

16日は明洞栄養餃子という店で鶏の粥(8000W)を食べてから、A'REXで空港に向かいました。プライオリティパスでMATINA ラウンジに入って昼食をとり、成田経由で名古屋に帰ってきました。

今回はお気に入りのラウンジを使うついでに行き慣れたソウルに行った次第なので、あっさりと旅行記が終わってしまいました。
来年は1月に三亜、2月にフィジー、3月に台北、4月に敦煌、5月にウランバートル、6月に貴陽と大同、7月にイギリス、9月にクック諸島、10月にサイパン、11月にポナペ島に行く予定です。

グアム旅行記(12年11月) [海外旅行記]

今回はグアムに行ってきました。
デルタ航空の25000マイルを使って発券したのですが、デルタ航空のマイレージは使い勝手が悪く、この時期にセントレアから出かけようと思うとグアム一択でした。ただそれだけなのですが、周りからは「まともなところに行くなんて珍しい」と言われてしまいました。みんな、どんな目で私のことを見ているのでしょう?
まあ、だいたい想像はつきますが・・・。
ということで気を取り直して、今回は珍しくまともなところに行きます。
ホテルは楽天トラベルで、 Holiday Resort And Spa Guam(朝食と往復送迎つき、2泊で170ドル+税)を予約しました。

23日朝、プライオリティパスでラウンジに入り、朝食を済ませてから搭乗しました。グアム到着後、送迎車でホテルに送り届けてもらい、チェックインを済ませてから散策に出かけました。
ホテルはグアム随一の繁華街、タモン通りを少し南下したところにあります。そこからアンダーウォーターワールド(以下、UWW)まで歩き、39ドルでデイ&海底ラウンジのチケットを買いました。これは7日間、UWWに入り放題で、夜のラウンジタイムにワンドリンクが付くというものです。
水槽内に作られたガラスのチューブを歩くアトラクションは、世界各地でこれまで何度か訪れたことがありますが、どこの展示でもエイと鮫は定番であり、似たり寄ったりの感は拭えません。
その後、赤いシャトルバスの5日券(25ドル)を買って、マイクロネシアモールへ。ここやグアム・プレミア・アウトレット(GPO)のフードコートには、ご飯、サラダ、好みの惣菜3品のセットメニューを8~9ドルで提供している店がいくつかあり、そこで地元民と一緒に食事をするのが好きなのです。
夕食後、一度ホテルに戻り、プールで泳いで時間をつぶしてから、夜9時オープンのUWW海底ラウンジに行きました。夜は昼間通ったガラスのチューブ内にテーブルとチェアーが用意され、ムーディーな音楽を聴きながら、魚を肴に一杯飲むバーに変身するのです。
周りはカップルだらけで、通常なら一人で飲むのはつらい場所です。というかチケットを買うとき、本当に一人なのか何度も尋ねられました。でも、一人で気にせずにUWWオリジナルカクテルを飲んできました。私も妻子持ちですし、一人で色々なところへ出かけるうちに、カップルに囲まれたくらいでは何とも思わなくなりました。
それよりも先月のように反日デモ後の中国人に囲まれる方がよほどストレスです。ただ、グアムでは日本人は良いお客さんなのでしょう。途中で見かけた中華料理の店に、わざわざ「日本人大歓迎」と張り出してありました。

24日は朝8時に起きてホテルで朝食をとりました。グアム時間は日本より1時間早いため、普段と同じ時刻に寝て、1時間遅く起きれば、時差の影響をなくせます。なお旅先では普段より1時間余分に寝るのが、旅行医学認定医でもある私の体調管理法です。
この日はチャモロ(先住民)文化のテーマパークであるグアムビーチ&カルチャーパーク(以下、GBCP)に行こうと思い、パンフレットに書いてあったDFSのバス乗り場に行きましたが、定時になっても送迎バスは来ません。やむを得ずニッコーホテルまで行き、ホテルスタッフに聞いたところ、バスはないものの徒歩20分で着くとのことでした。しかし炎天下を往復40分歩く気にはなれず、テンションも下がったので、そちらは諦めることにしました。
もう一度DFS前に戻り、UWWの水中トンネルでぼんやりと時間をつぶしてから、上のレストランでランチセット(21ドル+サービス料)を頼みました。その後、DFSから恋人岬行きのバス(往復と入場料で10ドル)に乗りました。恋人岬には断崖絶壁の上に作られた展望台があり、そこから緑豊かなグアム島や真っ青な太平洋を一望できます。
非常に居心地の良い場所ですが、チャモロ族の美しい女性が酋長の決めたスペイン人との結婚を拒み、やはりチャモロ族の戦士である恋人と共に崖の上から身を投じたという伝説があるそうです。真っ青な海は、サイパンのバンザイクリフや沖縄の平和祈念公園を思い出させますが、なぜかいずれも悲しい物語がつきまといます。
その後、バスでマイクロネシアモール、Kマート、GPOをハシゴし、GPOのフードコートで夕食をとってからホテルに帰ってきました。

グアムでは、ネクサス7やキンドルファイアHDなどの端末は日本の5割増しの値段ですが、映画(8.5ドル)は日本の半値以下です。Kマートでは、東芝製の40インチ液晶テレビが440ドルで床に山積みにされていました。これを見れば、日本の家電メーカーが赤字になるのも当然という気がします。
かつて日本のメーカーは「良い物を安く」をモットーに世界でシェアを獲得してきました。しかし韓国、台湾、中国の追い上げを受け、「変態的なまでの最高性能」に自らの拠り所を求めたため、顧客を失っていったように思います。しかもただ変態的なだけで、ニーズをつかんでいないことが多々あります。どうもマーケティングが下手な印象をぬぐえません。世界的な一般ニーズでは、プレステは2で完成していましたし、液晶テレビは40インチ以下で安くて壊れなければ御の字です。現に日本でもゲーム端末はスマホにとって代わられようとしていますし、電化製品の性能のボトムアップがなされた今となっては、高性能品への一般ニーズは確実に減っています。
そんな状況下で、日本企業はどうすれば生き残れるのでしょうか?
私なら数社のテレビ事業を合弁子会社化し、先進国では50インチ以下の市場から撤退します。これは最先 端の製造技術そのものを失わないため、そして利益の出やすい高額品にだけ資源投入するためです。いわば選択と集中であり、52インチ以上専門の富裕層向け高級ブランドに特化するのです。
一般の人に必要以上の性能を売りつけるのではなく、富裕層の所有欲を満たすブランドに専念した方が現状では勝算がある気がします。
その一方で世界的な工場をインドネシアやバングラデシュに移し、定時になれば自動的にコーランが流れる機能の付いた24インチ程度のテレビを大量生産して、150ドル以下で売れないか考えます。彼らには高画質よりも自国の文化に根ざした機能の方がよほど喜ばれるでしょう。そしてそこで価格競争力を身につければ、再度量販ゾーンに打って出る芽も出てきます。
現地での技術指導は日本が得意とするところですが、恩をあだで返す中国でそれを続ける必要はありません。また逆に中国企業は現地での技術指導をしないため、そこで差別化を図ることができます。
まあ、余談でした。

25日、ホテルで朝食をとってから、前日に行きそびれたGBCPに行くことにしました。ホテルニッコーまでバスで行き、そこからはテニスコートの裏を通って徒歩5分で着きました。
入場料は25ドルですが、二人の兄妹が世界を作ったというチャモロ族の神話を、6分間のビデオで紹介するビジターセンター、40メートル四方の熱帯雨林の散策道、6つのチャモロ族の家屋、豚や山羊などを飼育したミニ動物園という内容なので1時間もあれば十分です。次回家族と来ても、ここに案内することはないでしょう。
その後、付帯レストランでチャモロ料理(レッドライス、チキンをレモンで和えたもの、スペアリブのBBQ、トウモロコシ、キャベツのコールスローサラダで16ドル+チップ、GBCP入場者は3ドル割引)の昼食をとり、UWWで時間をつぶしてから、ホテルに戻ってきました。その後、空港に送迎してもらい、新しくプライオリティパスに解放された7番ゲート付近のラウンジに入ってから、名古屋に帰ってきました。個人的には10番ゲートのラウンジの方が開放感もあって好きです。

桂林旅行記(12年10月) [海外旅行記]

今回は中国の桂林に行ってきました。
4月にユナイテッド航空の2万マイルを使って発券し、その搭乗区間マイル+αである1万マイルを280ドルで買い戻しました。また空港税として68.7ドルを別途徴収されました。
つまり総額1万マイルと348.7ドルで桂林行きの航空券を手に入れた計算です。しかし桂林行きの格安ツアーは数多くあり、今回のマイル買い戻しレートが高かったため、あまり割安感はありません。現在は100マイルを2ドルで(ほぼ無尽蔵に)購入する秘法も分かったので、今回のレートなら見向きもしないのですけどね。
ホテルはEXPEIDAでイビス北京三元橋(素泊まり4977円)、楽天トラベルで桂林グランドホテル0773(朝食と空港からの送迎つき、2泊で396元)を予約しました。
北京でのホテル選びは、夜遅くに空港について翌朝早くに出発するため、その時間帯でもタクシーを使わずに公共交通機関で移動できる立地を重要視しました。夜遅くの北京首都空港では近距離の乗車を断られ、更に最近では日本人の乗車を断られるとの情報があったからです。

27日は 15:40 にセントレアを出発し、上海経由で 22:45 に北京着の予定です。
反日デモの影響で日中の交流が激減しているためか、普段なら行列ができているセントレアのチェックインカウンターがガラガラでした。その後上海で乗り継ぎ、北京には定刻より少し遅い23時過ぎに到着しました。そこからバスでターミナルビルに向かい、三元橋を経由する空港バス(16元)に乗り、別のターミナルを回っているうちにどんどん時間が過ぎ、三元橋のホテルに着いたのは翌28日の午前1時過ぎでした。

28日は朝5時に起床し、6:04に三元橋を出発する列車(25元)に乗って空港に向かいました。
チェックインと保安検査を済ませてから、空港ラウンジで朝食をとり、7:45発のフライトで桂林へ出発。ホテルで寝る時間が短かったため、機内ではほとんど寝ていました。
10:40に桂林空港に着き、送迎バスの運転手とはすぐに会えたものの、他の乗客を待っていたら11時半になってしまいました。12時半にホテルに着き、チェックインを済ませてから、フロント横の旅行サービスカウンターで翌日の漓江下りツアー(英語ガイド、480元)を申し込みました。ただ、この値段なら前もってオクトパストラベルで申し込むのと大差ない気もします。中国語のツアーならその半値近いのですが、反日デモから日が浅いこともあり、そちらへの参加は考えませんでした。
その後、部屋に荷物をおいてから、その日の観光場所をメモ帳に中国式の表記で書き出しました。いつもなら地球の歩き方に乗っている中国式表記をそのまま見せるのですが、今回はタクシー運転手に日本人だとばれないようにするため、余計な手間が増えてしまいました。
最初にタクシー(17元)で蘆笛岩に向かいました。運転手が "Korean?" と聞いてくるため、"Yes" と答えたところ、"Korean is good." と喜んでいました。私にはそこで"Japanese" と答える勇気はありませんでした。
蘆笛岩(90元)は青、黄、赤、緑、紫の光で照らし出された巨大な鍾乳洞です。色鮮やかで大変美しいのですが、私は以前にも海の桂林と呼ばれるベトナムのハロン湾で似たような展示を見たことがあります。途中、5元の追加料金を払って脇道に入っていく部分もありましたが、数匹の亀が飼育されているだけだったので、興味がなければスルーしても構いません。
鍾乳洞の外では、物売りたちが「20元、安いよ。いくらなら買う?」と日本語で私につきまとってきました。観光地では「商魂>領土問題」という中国人も大勢いるのでしょう。
その後、タクシー(17元)で独秀峰(70元)に向かいました。明の時代、皇帝に近い血筋の一族が王としてこの辺りを治めていましたが、ここはその王宮だった場所です。背後には桂林特有の険しい山がそびえ、その頂上から桂林の町並みを一望することができます。平地には中国様式のビルが所狭しと建ち並び、所々に緑で覆われた険しい山がつきだしている景色は、不出来な合成写真みたいでした。
途中、山麓の店で肉団子と冬瓜を煮込んだしょうが風味のスープ(5元)を頼んだところ、なかなか美味だったため、もう1杯追加注文してしまいました。
その後、タクシー(8元)で象山公園(75元)に行き、川沿いにある山の頂上からもう一度桂林の町並みを見渡してから、象の鼻のような形をした岩の写真を撮りました。
ここにはステージもあり、民族舞踊のショーが行われていましたが、周りの人たちは興味なさそうで、気づいたら観客は私一人になっていました。民族舞踊プチ評論家の私はそんなに悪くないと思ったのですが、どうしてでしょう?
この象山公園からホテルまでは徒歩で数分の距離です。公園を出た後、ホテル周辺の中級レストランで青菜炒め、麻婆豆腐、ご飯、ビールの夕食(32元)をとり、超市でミネラルウォーター(1.5Lで3元)を買ってから帰ってきました。

29日は桂林観光のメインである漓江下りです。8時にホテルロビーでピックアップしてもらい、途中バスを乗り換えて、漓江に向かいました。私は外国人専用ツアーを申し込んだつもりだったのですが、ガイドが英語も話すだけで、ツアー客の7割ほどは中国人でした。
2階建ての大きな船に乗り、9:40にクルーズが始まりました。ただしこの日は生憎の雨で、霧がかかる様は水墨画を彷彿とさせますが、写真を撮るには不適でした。
川の両側には様々なカルデラ式の山が連なり、そのうちのいくつかには観光客向けの名称がつけられていましたが、まあ似たり寄ったりなので、2時間も見ていれば飽きてきます。
正午から船内でビュッフェ式の昼食をとり、その後は14時過ぎに船を下りるまでの間、周りの乗客も読書やiPADなどで時間をつぶしていました。
船内で200元のオプショナルツアーの参加受付があり、私はガイドから笑顔で勧められたこともあって申し込んでしまいました。"No" と言えない日本人を自覚しましたが、興味はあったので良しとします。
そのツアー内容とは、竹を編んだ小舟に乗って川を遊覧するというもの。客が二人一組で乗船し、船頭が竹の棒1本で器用に漕いでいきます。ガイドからもらった雨合羽を来て、小一時間ほど舟に揺られていました。
その後バスで桂林に戻り、ホテル近くまで送り届けてもらった時には午後7時を回っていました。前日と同じレストランに行き、豚肉と小エビとセロリの炒め物、スチームライス、ビールを頼んで29元でした。

30日は11:45桂林発のフライトに乗り、北京経由で名古屋に戻る予定です。
ホテルで朝食をとり、チェックアウトしてから、エアポートバス乗り場まで歩きました。9時発のエアポートバスに乗り、40分で空港に到着。
その後はプライオリティパスでラウンジに入って時間をつぶし、北京で乗り継ぎ、無事に名古屋に帰ってきました。北京・名古屋便の搭乗率は4割弱で、そのうち大半は中国人であり、日本人は17人しかいないとのことでした。

台北にある故宮博物院の展示を見ても分かるとおり、元々中国人は繊細な工芸品を作る技術と情熱を持っていました。何百年も前に断崖絶壁に作られた回廊が今なお多くの観光客を支えていたりします。それが旧来のチャイナクオリティーです。しかし現在のチャイナクオリティーと言えば低品質の代名詞になっています。
その理由は、毛沢東の共産革命が徹底的に人民の民度と意欲を崩壊させたからではないでしょうか?
公社(公共)の物になら何をしても良い、良い仕事をするだけ無駄、財産である家畜が死んだら昔は悲しんだのに今は肉を食えるからハッピー、毛沢東が人民の意見を広く求めていたから本音を言ったら粛正された、という時代に中国人の民度は徹底的に破壊されたと想像しています。同じ中華民族の国でも、華僑が人口の8割を占めるシンガポールは民度が高いので、彼らの遺伝子に刻み込まれたものではないでしょう。
そして江沢民の時代に政府への反感を外部にそらすため、徹底的な反日教育が行われました。中国共産党は日本軍から逃げ回っていただけなのに、それを抗日戦争の英雄に仕立て上げ、ねつ造された歴史を教え込みました。反日感情が強いのはその時代に教育を受けた現在30代前後の世代であり、その中でも日本の実状を知る術のない情報弱者の低賃金、下流労働者に顕著です。
英語を話せる程度の教育を受けた中国人なら極端な情報弱者はいないので、日本人だとばれてもそれほど心配はないように思います。英語ガイドやホテル、空港スタッフは大丈夫でも、安食堂の店員やタクシー運転手には日本人だとばれない方が良いでしょう。

九寨溝旅行記(12年9月) [海外旅行記]

今回は世界自然遺産に登録されている中国四川省の九寨溝に行ってきました。
九寨溝へは成都からのアクセスが主流ですが、この路線は正規運賃の航空券しかなく、特典航空券には席を解放していません。いわば中国国際航空(以下CA)のドル箱路線になっています。
そんな割高なイメージの強い九寨溝ですが、2月にANAのホームページを見ていて、今年夏の間だけスターアライアンス特典航空券で上海から九寨溝に飛べることを知りました。そこですぐにユナイテッド航空の2万マイルを使って、上海経由、九寨溝行きの特典航空券を発券しました。行きは名古屋発ですが、帰りは名古屋着の空席がなく、関空着になりました。空港税として4900円徴収されましたが、燃油サーチャージは免除されました。なお今回の搭乗マイルの200%に当たる7852マイルを220ドルで買い戻しました。
ホテルは楽天トラベルで上海のマンハッタンビジネスホテル(準4つ星、素泊まり1泊で3587円)を、ChinaHotels.NETで九寨溝風景名●(月生)区管理局貴賓楼飯店(3つ星、朝食付き、2泊で960元)を予約しました。
最終日の関空着は20:30の予定ですが、上海発のCA便は遅延することが多いため、当日に名古屋まで帰ってくることは諦め、楽天トラベルで夜行バス(2500円)を予約しました。
なお今回の旅行には、去年買ったNECのLifetouch note(android 2.2)を持って行くことにしました。反日感情が著しい中国にあまり高価な機種を持って行きたくなかったこと、安い割には日本語入力が快適で無線LANも使えることがその理由です。あとはUSBにホスト機能があって有線LANも使えれば、個人的には神機だったのですけどね・・・・・・。

14日、13:40にセントレアでチェックインしたところ、機材到着遅れのため出発時間は未定であり、出国エリアにも進めないとのことでした。やむを得ずカードラウンジで時間をつぶし、17:30出発と決まってから、スターアライアンスラウンジに移動しました。昨今の日中関係の影響を受けてか、搭乗率は半分強と少なめでした。
上海には現地時間の19時前に到着し、入国後、地下鉄2号線(7元、63分)で河南中路に行きました。ホテルは和平飯店の北西にあり、道に迷わなければ駅から徒歩5分ほどでした。到着が予定より2時間近く遅れたため、この日は外灘の写真を撮りに出かけた程度で、あとはホテルでおとなしくしていました。翌日訪れる九寨黄龍空港は標高3448mにあるため、前日から無理をしないように気をつけていたのです。

15日はホテルで朝食(48元、前日の予約なら40元)を摂り、7:40にチェックアウト。すべての荷物(4.4Kg)をもったまま外灘を散策した後、地下鉄(3元)で静安寺(30元)に移動しました。
11:55のフライトに間に合うよう、9時までに観光を済まそうと考え、早くから開園しているこの寺に立ち寄ることにしたのです。ただ、高層ビルに囲まれた由緒ある古刹はどこか侘びしいというか、残念な感じがしました。
その後、地下鉄(7元、70分)で空港に向かい、チェックインと保安検査を終えてから、プライオリティパスでラウンジに立ち寄りました。
機内ではしっかりとした機内食が出たものの、アルコール類のサービスはありませんでした。まあ、たったの3時間で平地から標高3448mに到着するので、高山病予防の観点から言えば禁酒は当然ですけどね。
九寨黄龍空港の気温は9度であり、防寒具の販売コーナーもありました。九寨溝行きのシャトルバスがあったはずですが、なぜかバスチケット売場の女性から”No bus”と言われ、タクシー(200元)を使うはめになりました。空港から80Km離れている標高2000mの九寨溝入り口まで、所要時間はおよそ90分でした。
予約した管理局貴賓楼飯店は九寨溝入り口のすぐ隣にあり、チベット風の色鮮やかな内装が「いつかチベットに行かないと死んじゃう病」の私を癒してくれました。
部屋に荷物をおいてから夕食に出かけましたが、ホテル併設のレストランには一人では入りにくく、それ以外にはチケット売場の隣にある観光地値段の売店しかありません。結局その売店で四川風の極辛ラーメン(10元)、チキンケバブ(7元)2本、カレー風味のポテトの千切りを包んだパイ(5元)3個を食べ、ミネラルウォーター(550ccで5元、1.5Lで10元)を買って帰りました。この売店は18時に閉まってしまうため、翌日もそれまでに夕食を済ませた方が良さそうです。
日が沈んでから再び屋外に出ると、かなり気温が下がっていました。今回は半袖で来てしまったため、このままでは翌日の観光が心配です。大通りを空港方面に7~8分歩いていくと、夜8時過ぎまで営業している商店街があったため、そこでローカルビール(10元)とフリース(50元)を買いました。途中、24時間営業のATMも見つけました。その後、ホテル脇を流れる川の岸辺でビールを飲んでから部屋に帰ってきました。アルミ缶のような後味がする不思議なビールでした。機内の気圧は標高2000m相当なので、普段から機内で飲酒している人なら、この標高で飲酒しても高山病の心配はないはずです(ただし自己責任で)。

16日、九寨溝のオープンは7時からですが、ホテルの朝食は7時半からです。そこで朝食前に入場チケット(バス代込み310元)を買っておきました。朝食をさっと済ませ、前日の売店でカレー風味のポテトパイ4個を買い、入場したのは8時前でした。レストランで中国人と同じ行列に並びたくないし、時間も惜しいので、昼食はこのパイで済ませる予定です。
まずはバスに乗って標高2900mの天鶴海(湖)へ。九寨溝を一言で言うならば、川の流れに沿ってマイナスイオンたっぷりの滝とコバルトブルーの湖がたくさんある場所です。そのためバスで標高の高い一番奥まで行き、帰りは歩いたりバスに乗ったりしながら、川の流れに沿って下ってくることになります。美しい滝や湖があって、周りに中国人がひしめいている状況が、良くも悪くも丸一日続きます。後から見てもどこで撮った写真か分からなくなりそうなので、個々の観光場所の紹介は省きますが、景色そのものは世界遺産として文句のないレベルでした。
12:30、中間地点にある観光客センターに着き、今度は標高3100メートルの長海(湖)行きバスに乗りました。終点で下車してから五彩池まで1.7kほど歩きましたが、思ったよりも体は楽でした。
そこから再びバスで観光客センターに戻ってきましたが、観光客センター手前にあるチベット式家屋が並ぶ一角でバスが止まり、目の前にマニ車が見えました。「いつかチベットに行かないと死んじゃう病」の発作が起き、思わず下車してマニ車を回してしまいました。また青●(のぎへんに果)酒というチベットの地酒(?)を見つけ、10元出して飲みました。この辺はまだ標高が2500mほどありますが、チベットの地酒のためなら高山病も怖くありません(結局大丈夫でしたが)。アルミ缶のような後味がして、前日ローカルビールと思っていたのが実はこの酒だったことを初めて知りました。
その後、観光客センターを物色してから、バスと徒歩で川の流れに沿って下っていきました。途中、先程とは別のチベット文化村で青●酒をもう一杯飲み、入り口に戻ってきたのは16時過ぎでした。前日と同じ売店で適当に夕食を済ませ、ホテルのロビーで翌朝5時のタクシーを頼んでから部屋に戻ってきました。タクシーは最初500元という料金を提示されましたが、夜間の九寨溝と空港間の公定料金は260元だと言ったところ、300元と言ってきたので、そこで引き下がりました。たった40元のために熱くなって口論になれば、周りは中国人ばかりの完全アウェーで身の危険すら感じます。ある程度は仕方ありません。
部屋に帰ってから青●酒をもう一度飲みたくなり、前日と同じ店に買いに行きました。いつかチベットのラサに行き、この酒を見つけたとしても、標高3700mではさすがに飲めません。飲める時に飲んでおこうと思ったのです。
翌朝が早いため、この日は早く寝ました。

17日、朝5時にチェックアウトすると、すでに迎えの車が来ていました。運転手に「机場 300元」と書いた紙を見せたら頷いたので、これで行き先と値段の心配はありません。タクシーではなく一般車ですが、タクシーより高級な車種でした。
早朝で道路が空いていたため、75分で空港に到着しました。チェックインと保安検査を済ませた後、ペットボトルの水を買って中身を飲み干しました。そのまま栓をして、標高3500mの薄い空気をペットボトルに詰めたまま搭乗すると、上海到着時には見事につぶれていました。
時刻は11時半ですが、九寨溝で大阪までのチェックインができなかったため、大阪へのチェックインが開始される14時まで時間を持て余すことになってしまいました。往復2時間かけて市内まで遊びに行く時間もなく、そのまま空港内で時間をつぶしていたところ、13時半になぜかチェックインが始まっていたので、チェックインと出国審査を済ませ、やっとラウンジに入ることができました。
ターミナル2にはプライオリティパスで入れるラウンジが2カ所ありますが、ゲート66は貧弱なので、ゲート69に入ることをお勧めします。ラウンジで遅めの昼食を摂り、ワインを飲んだ後、シャワーを利用しました。
飛行機は定刻通り出発し、20:40に関空に到着しました。これなら新幹線の最終便に間に合ったのですが、予約してあった夜行バスで名古屋に帰ってきました。夜行バスに備えてファーストクラスラウンジでシャワーを使うという振れ幅の大きなことになりましたが、これも話のネタになるので良しとします。

ここで参考までに、今回の費用(セントレア発から関空着まで)についてまとめてみます。
使用マイル 20000-7852=12148マイル
マイル買戻し 220ドル
空港税4900円+上海ホテル3587円=8487円
九寨溝ホテル960元+タクシー往復500元+入場料310元=1770元
その他現地での食費、地下鉄、衣類など諸費用 上海で140元+九寨溝213元=353元
1ドル=80円、1元=12.5円で計算すると、52624円+12148マイルでした。

今後の予定ですが、10月は桂林、11月はグアム、12月はソウル、1月は三亜、2月はフィジー、3月は台湾、4月は敦厚、5月はウランバートル、6月は貴陽と大同へのチケットを発券済みです。7月は妻のリクエストを受け、家族でイギリスを周遊する予定です。
なおこれから中国に旅行される方は、日本人だとばれないように気をつけてください。私は旅行中、英語しか話さない国籍不明の人になっていました。
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ダッカ旅行記(12年8月) [海外旅行記]

今回はバングラデシュの首都ダッカに行ってきました。
周りの人からは「バングラデシュに何をしに行くの?」と聞かれましたが、初めてなので一度行ってみたかっただけです。これでインドより東にあるアジア諸国のうち、行ったことがない国はブータン、北朝鮮、東ティモールだけになりました。
3月にユナイテッド航空のホームページで3万マイルを使い、関空→バンコク→ダッカ、ダッカ→シンガポール→香港→名古屋の航空券を発券しました。往路はタイ航空、帰路の香港まではシンガポール航空、香港からは全日空です。その際に空港税など58ドルを徴収され、区間搭乗マイルの200%に当たる17220マイルを345ドルで買い戻しました。
要はダッカ行きの航空券を、総額403ドルと12780マイルで手に入れた計算です。本来なら燃油サーチャージだけで300ドル近くかかりますが、今回はマイレージプラスの特典航空券なのでこれが免除されました。
なおホテル予約サイトのagodaで、ダッカ市内のグルシャン地区(新市街)にあるトロピカルデイジー(3つ星、朝食付き、2泊で7245円)を予約しました。
ビザについては、あらかじめ代行業者に依頼して取得しておきました。

23日19時発の近鉄特急に乗り、南海電鉄に乗り継いで、関空に到着しました。
24日0:30発のフライトで関空を発ち、4:20バンコク着。プライオリティパスでCIPラウンジを2箇所ハシゴしてから、10:35発のフライトでバンコクを発ち、定刻より10分遅い12:20ダッカに到着しました。なおダッカ行きの機内食は、チキンとフィッシュの2択でした。バングラデシュはイスラム教国であり、ヒンズー教のインドに囲まれているため、この路線の乗客にはポークやビーフを食べない人が多いのでしょう。
ダッカ到着後、入国審査の係員が笑顔で「バングラデシュにようこそ」と歓迎してくれ、税関は素通り状態でした。
空港内の両替所で7000円を両替したところ、7000タカ(以下T)になりました。ちょうど1円=1Tです。クーポンタクシー(1000T)に乗車したところ、運転手が途中で道に迷ったものの、グルシャン2の近くにあるホテルまで30分弱で到着しました。時刻は13:20です。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置いてから、徒歩でグルシャン地区の散策に出かけました。
ホテルの正面にはボナニ川があり、木製の船を一本のオールで漕ぐ船頭たちが、乗船しないかと声をかけてきます。しかし乗った後で強盗に豹変する事例もあるらしく、それを笑顔で断ってからグルシャン通りに向かいました。途中モスクがあり、スピーカーから大音量で祈りを捧げる歌が流れていましたが、それが終わると、インドに似た服装に白い帽子をかぶった信者たちが大勢出てきました。
地球の歩き方2011に乗っているフォーク・インターナショナルという民芸品点で小物を買ってから、グルシャン2周辺を散策しました。人力車(リキシャ)やエンジンつき三輪車タクシー(CNG)が数多く行き交っているため、そこを走るセダンが通常よりも立派に見えます。私が見た限り、日本車の比率は99%であり、約8割がトヨタ車です。カローラやアリオン、プレミオを数多く見かけました。
道を歩いていると物乞いが大勢やってきますが、それはアジアでは見慣れた光景なので軽く流し、ウェスティンホテル北隣にあるダンシリというベンガル料理のレストランに入りました。ゆで卵入りチキンビリヤニ、マトンカレー、ナン、1.5Lのミネラルウォーターで合計455T(+チップ)でした。全体的にインド料理に近い印象を受けますが、メニューにビーフ料理があるのが最大の違いです。
その後、ピンクシティーというショッピングセンターの地下にあるスーパーで、土産物やミネラルウォーターを買い込んでからホテルに帰ってきました。スーパーでは600ccのミネラルウォーターが15T、2000ccが40Tでしたが、アルコール類は一切売っていませんでした。
この日は夜行便を利用してダッカに着き、翌日の夜行便でダッカを発つため、20時に就寝しました。

25日は7:30に起床し、ロビーでクラブサンドとコーヒー、ジュースの朝食を摂ってから、8時半にホテルを出発しました。ホテルのドアマンにCNGを捕まえてもらおうとしましたが、なぜか数台立て続けに乗車拒否され、隣のホテルのスタッフに500Tで旧市街のラールバケル・ケッラまで送ってもらうことになりました。9時にラールバケル・ケッラに到着し、10時のオープンまで時間があったため、近くにあるヒンドゥー教のダケシュワリ寺院まで歩きました。しかし小ぶりでさっぱりした寺院であり、あまり見ごたえはありません。その後も旧市街を適当に散策して時間をつぶしてから、10時過ぎにラールバケル・ケッラ(100T)に入場しました。ここはムガール朝時代に作られた未完の城跡とのことですが、インドのフマユーン廟を小型にしたような建物が広い庭の中央に建っているだけでした。
そこから大通りを徒歩で東に向かいましたが、未舗装で泥まみれの道路の脇に小汚い小型店舗が立ち並び、人力車が行き交う、とてもカオスな場所です。チョウク・バザールに行ったものの、小型店舗の密度が高い地区にしか見えませんでした。
そこからさらに東に向かい、アルメニア教会へ。入り口の扉が閉まっていましたが、地元の人がベルで管理人を呼んでくれ、敷地内に入ることができました。ここの庭にはたくさんのお墓があり、教会内には入れなかったものの、私が出てくるまで入り口で番をしていた管理人に100Tの心づけを渡しました。
そこからショドル・ガットまではリキシャを利用することにしました。料金は30T(観光客料金+α)です。ショドル・ガットはたくさんの船が出る船乗り場であり、入場料は4Tでした。「私には日本人の友達が大勢いる」という人がガイドを申し出て、しつこく付きまとってきましたが、"No, thank you." と笑顔で断り続けました。
その後、ダッカの領主が19世紀に建てたピンク・パレスへ。ここの入り口は東側にあるため、川と併走する道路を手前で離れ、少し北上する必要があります。
城の内部はもちろん豪華なのですが、先月ドイツで城めぐりをした私には、やや物足りなく感じられました。庭で写真を撮っていると、地元の男性が "Can I take your picture?" と聞いてきます。OKしたところ、友人に頼んで私とのツーショット写真を撮っていました。インドで「あなたの写真を撮ってあげるから、チップをください」というパターンは何度も経験しましたが、これは初めてのパターンです。よほど日本人が珍しかったのでしょう。
その後、城内部の売店でハンバーガー(40T)を買って食べていると、男性二人組が話しかけてきました。一方の人はかなり流暢な英語を話し、ダッカ大学のビジネス学部で国際ビジネスをしているとのことでした。私が日本人医師であることを明かすと、断ったにもかかわらず、売店でコーヒーをおごってくれました。店で買ってきたばかりのコーヒーを二つ置き、好きな方を飲んでいいというので、片方を飲んだところ、「中国人は相手を信用せず、コーヒーを飲まないが、日本人は飲む」と言います。きっと私の反応を試していたのでしょう。私もフィリピンで多発している睡眠薬強盗の手口は知っていますし、相手と状況によっては断っていたのですが、今回は名刺を貰っており、睡眠薬を混入するタイミングもなく、私に二つあるコーヒーから一つを選ばせてから残りを飲んで見せたので、信用した次第です。
この人(ムハンマド)がやたらもてなしてくれ、もう一人の人が運転するバイクで国立博物館まで送ってもらえることになりました。しかし途中の衣服店で彼が買い物をする間、20分ほど待たされ、それからダッカ大学に連れて行かれました。しかも3車線を4斜線として利用し、バス、乗用車、CNG、人力車が行き交うカオスな道路事情の中、バイクにノーヘルで3人乗りです。ムハンマドは「怖がらなくて良い。バングラデシュのアトラクションだ」と笑っていましたが、ノーヘルで事故を起こし、頭蓋骨が割れて脳みそが「こんにちは」している症例を見たことのある私は、激しく後悔していました。
ダッカ大学で彼の学舎の写真を撮り、空腹ではないと言ったにも関わらず、キャンパス内の不衛生なカフェで牛乳と砂糖の水菓子とサンドウィッチをおごってもらった後、ようやく国立博物館に送ってくれました。
悪い人ではないのですが、これならCNGで直行した方が良かったような……。
国立博物館(75T)は展示品数こそ多いものの、印象に残る展示物はほとんどありませんでした。外に出ると、時刻は16時です。ここからCNG(200T)でグルシャン2に行き、前日と同じカフェで(日本時間に合わせて)早めの夕食を摂り、ホテルに帰ってきました。
シャワーを浴びてから小休憩し、21時にチェックアウト。その後、ホテルの車で空港に向かいました(1075T)。
プライオリティパスで各空港のラウンジに立ち寄りながら、23:55発のフライトでダッカを発ち、シンガポール、香港を経由して、翌26日の18:55にセントレアに帰ってきました。

最近、中国国内の人件費が高騰し、工場が他の国に移転する話を耳にします。個人的にはその移転先として、バングラデシュ、ミャンマー、インドネシアが良いと思っています。ただしカフェの店員が客の衣類に水をこぼしてしまった場合、客が「気にしなくて良いよ」と言うのが日本人であり、店員が「気にしなくて良いよ」と言うのが東南アジアの人々です。そのメンタリティーの違いと宗教の違いについては、日本人スタッフの側が熟知しておく必要があるでしょう。
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ドイツ旅行記(12年7月) [海外旅行記]

今月は家族3人(夫婦と8歳の長男)でドイツ周遊旅行に出かけました。
名古屋からフランクフルトまでは数多くの航空会社が就航していますが、その中で圧倒的に安かった中国国際航空(以下CA)にしました。北京経由、燃油サーチャージと空港税込みで28万5040円です。CAはSKYTRAX社による航空会社の格付けでJALやANAと並ぶ4つ星(http://www.airlinequality.com/Forum/air_china.htm)の航空会社であり、機内食と乗っている中国人のマナーは今ひとつですが、他の航空会社と比べて3人で15~30万円ほど安いことを考えれば、まあ許容範囲だと思っています。
ホテルは、オクトパストラベルでフランクフルトのサボイホテル(2泊で14200円)、ミュンヘンのアトリウムホテル(3泊で31060円)を予約し、booking.com でベストウェスタンホテル(1泊108ユーロ、以下E)を予約しました。すべて4つ星、朝食付きです。
またミュンヘンからの日帰りツアーとして、オクトパストラベルで、ザルツブルグとザルツカンマーグート(11180円)、ノイシュバンシュタイン城とリンダーホフ城(11650円)を申しこみ、ジャーマンレイルパス(一等車、4日間、60400円+送料700円)を購入しておきました。子連れ、スーツケースありのため、予約なしでもまず座れる(はずの)一等車にしたのです。
上記を足すと約42万4千円になりますが、これは3人の総額であり、これに現地での食費、入場料などを足したものが、今回の総費用です。

今回の旅行にあわせて、MUFJアメックスプラチナカード(年会費21000円)を申し込みました。家族カードも1枚目は無料、それ以降は3150円で発行でき、本会員だけでなく家族会員も無料でプライオリティパスを申し込めます。家族で2人以上がプライオリティパスを持つなら、楽天プレミアムカードよりこちらの方が良いでしょう。海外旅行保険の家族特約や専用コンシェルジュサービスがつき、プライオリティパスカードホルダーの同行者も1回2100円でラウンジに入れます。(楽天プレミアムカードでは1回3150円)
我が家の場合は、私と妻がプライオリティパスを取得し、長男と3人でラウンジに入って、1回当たり2100円です。

出発当日となる22日の朝、セントレアに到着してから、機材繰りの問題で名古屋から北京への便が欠航になったことを知りました。1時間くらい振り回されましたが、結果的にルフトハンザの直行便に振り替えてもらえました。チェックイン後、プライオリティパスでスターアライアンスラウンジに入り、10:10にセントレア発、現地時間の15:20頃にフランクフルト着。現在、名古屋とフランクフルトの間には7時間の時差があります。北京での乗換えがなくなったため、当初の予定より3時間早く到着できました。
16:14発のSバーン(近郊列車)に乗り、フランクフルト中央駅へ(大人4.1E、子供2.45E)。今回は出発直前に12年ぶりの円高ユーロ安(95円前後)を記録したため、個人的には助かりました。なお、23日にフランクフルトで三菱東京UFJのキャッシュカードから300ユーロを引き出したところ、30391円+手数料105円でした。大体1E=100円と思ってください。
駅前のサボイホテルにチェックインしてから、長男と共に、フランクフルト中央駅を見下ろせる9階の屋内プールに行きました。今回このホテルを選んだ理由は、立地の良さ、プールがあること、そして朝食にスパークリングワインがあることの3点です。その後再び中央駅に行き、構内にある店でアジアンヌードル(4.5E×3)を食べ、駅地下のスーパーでミネラルウォーター(1.5Lで1.1E)を調達して帰ってきました。

23日、6:00からホテルのレストランで朝食を摂り、6:40チェックアウト。1泊分の着替えをセカンドバックに入れて持ち、大きなスーツケースはホテルに預かってもらいました。この日はルクセンブルグで宿泊し、翌日に再びこのホテルに戻ってくる予定です。
フランクフルト中央駅の有人カウンターでバリデート(鉄道パスの使用開始手続き)を済ませ、駅構内の本屋で時間をつぶしてから、7:43発の電車に乗りました。世界遺産ライン川の流れを右手に臨みながら電車に揺られ、9:13コブレンス着。街並みの雰囲気は昨年訪れたスイスと似ていますが、あちらが可愛らしい色使いの家が並ぶメルヘンチックな雰囲気なのに比べ、ドイツは茶色い屋根で統一された質実剛健というイメージです。
コブレンス駅でトリーア、ルクセンブルグ間の二等車チケット(大人10.4E、子供5.2E)を購入してから、9:40発の電車でトリーアに向けて出発。最初は左手に川の流れが見えていましたが、いつの間にか平原を走っていました。電車は予定より12分遅れて11:45にトリーア着。ここから先、ルクセンブルグまではジャーマンレイルパスが使えないため、あらかじめチケットを買っておいた次第です。電車は定刻の11:52より5分遅れて出発し、13時前にルクセンブルグに到着しました。
電車の長旅で疲れていたので、3人でアイスを食べてから、駅前にあるベストウェスタンホテルにチェックインしました。部屋に荷物を置いてから出発し、徒歩で大公宮に向かいました。2004年版の古い地球の歩き方には14時から衛兵交代式があると書かれていましたが、そもそも正面には衛兵がいません。そちらは諦めて、ボックの砲台(大人3E、子供2.5E)へと向かいました。ここは世界遺産にも登録されていますが、断崖絶壁をくりぬいて迷路のような要塞が作られています。最上階からの眺めは絶景であり、内部はひんやりとしていました。その後、ステントグラスの美しいノートルダム寺院を見学し、駅前のスーパーでビール(330ccで0.75E)、ミネラルウォーター(1.5Lで0.39E)、スパークリングワイン(フルボトルで3.19E)を調達してから、ホテルに戻ってきました。部屋で一服してから夕食の調達に出かけ、駅構内のカフェでサラミ、トマト、チーズ、レタス、エッグがはさまれた巨大なサンドウィッチ(4.5E)を3個買って帰りました。17時に部屋で夕食を摂ってから、腹ごなしの散歩に出かけ、今度はボックの砲台を下から見上げて帰ってきました。

24日、6:45からホテルのレストランで朝食を摂り、8:20発の電車でドイツのトリーアに向かいました(二等車、大人8.4E、子供4.2E)。
9:07に到着し、そこから徒歩で、世界遺産に登録されているローマ時代の遺跡であるボルタ・ニグラへ。ここは黒くすすけた巨大な門であり、家族チケット(6E)を買って最上階に上りました。トリーアの街並みを一望できる見晴らしの良い場所です。そこからやはり世界遺産である大聖堂まで歩き、内部を見学しました。
その後、宮殿と宮殿公園の写真を撮りながら徒歩で南下し、カイザーテルメン(家族チケット6E)へ。ここはローマ時代の皇帝の浴場跡ですが、テルマエ・ロマエが話題になっている今、ホットな場所かもしれません。敷地中央に皇帝の浴場があったと思われる半円形のへこんだ場所があり、その正面には高さ10メートルくらいの立派な壁が建っていました。また地下には薄暗くて狭い通路が張り巡らされていますが、長男は「迷路のアトラクション」と呼んで、その散策を楽しんでいました。
本当はその後、古代円形劇場にも足を伸ばしたかったのですが、時間的にタイトだったので諦め、途中のショッピングセンターで昼食用のパンやサンドウィッチ(6個で約14E)、ドリンク類を買ってから、トリーア駅に戻りました。
12:13発の電車に乗り、車内で昼食を済ませ、13:38 コブレンツ着。ここで14:13 発のIC(特急)に乗りかえるつもりでしたが、なぜか運休になったため、急遽 14:16 発のRE(快速)に乗りました。15:28 ケルンに着き、駅舎の隣にある世界遺産のケルン大聖堂に入りました。トリーアの大聖堂はぎりぎり世界遺産という印象でしたが、こちらは文句なしです。13世紀から600年以上かけて作られ、派手な装飾が施されたた高さ157メートルのゴシック教会で、どこもかしこも見所満載でした。長男に南塔の上まで階段で上りたいか尋ねたところ、すごい勢いで食いついてきたので、ファミリーチケット(6E)を購入して3人で上りました。頂上につくころには汗が滴り、脱水気味になりますが、美しいケルンの街並みがその疲れを癒してくれました。
その後、駅車内でサンドウィッチ3個と菓子パン2個(13E)を購入し、17:20 ケルン発フランクフルト行きのICE(超特急)に乗りました。乗客には知的な顔立ちのビジネスマンが多く、乗車率は35%前後でした。昨年のスイス旅行で、ガラガラの一等車に慣れた身には、割と混んでいるように感じれました。
フランクフルトには定刻より20分ほど送れて18:50に到着し、一昨日と同じサボイホテルにチェックインしました。長男がプールに行きたがるため、30分ほど泳いでから就寝しました。

25日、6:00から朝食を摂り、7:54フランクフルト発のICEに乗りこみました。ほぼすべての席が予約で埋まっていたものの、予約のない1席を見つけ、動き出してから予約が入っているのに乗車のなかった2席を確保し、何とか3人とも座ることができました。乗車率は9割前後です。一等車なら予約なしでも座れると高をくくっていましたが、平日朝夕のICEはビジネスマンで混み合うため、予約を入れておいたほうが良さそうです。
本来はニュルンベルクに立ち寄り、2時間ほど散策してからミュンヘンに向かう予定でしたが、それではニュルンベルクからミュンヘンまでの70分が立ち席になる危険を感じたため、ニュルンベルクでの観光を諦め、そのままミュンヘンまで行くことにしました。26,27日はミュンヘン発の日帰りツアーに参加し、28日にICEでヴュルツブツクに立ち寄ってからフランクフルトに戻ってくる予定ですが、28日のミュンヘン、ヴュルツブルク間の座席は念のため前もって予約することにしました。
11:12 ミュンヘンに到着し、駅のコインロッカー(6E)にスーツケースを預けてから市内観光に出かけました。まずは駅構内でパートナー1日乗車券(全員で10.2E)を購入し、北行きの17番トラムに14分揺られ、ニンフェンブルク城に到着しました。ここでバイエルンの城巡りチケット(全員で40E)を購入し、妖精の城と呼ばれるニンフェンブルク城の本城に入りました。大理石と黄金で彩られた高い天井の大広間はお勧めです。その後、南隣にある馬車博物館(城巡りチケットで無料)でルートヴィヒ2世の華美なそりや馬車を見学し、再び17番トラムでミュンヘン中央駅に戻ってきました。
駅構内にあるアジアンフード店で遅めの昼食(4品で18.6E)を摂ってから、地下鉄に乗ってレジデンスに向かいました。ここで美しい装飾のオペラ座、宝物館、金色の丸天井が彼方まで続くアンティクヴァリウム、貝だけで作られた装飾画などなど(すべて城巡りチケットで無料)、見て廻るだけで疲れ果てるほどたっぷりと見学してから、ペーター教会に行きました。教会の中には本物の骸骨とおぼしき展示がありました。
外に出ると時刻は5時ちょうどで、目の前にある新市庁舎の塔で、等身大の仕掛け人形が音楽に合わせて動いていました。そこからSバーン(近郊列車)に乗ってミュンヘン中央駅に戻り、コインロッカーのスーツケースを引き払ってから、10分弱歩いてアトリウムホテルにチェックインしました。3人とも疲れは溜まっていたものの、空腹ではなかったため、夕食(?)は手持ちのチョコレートやホテル前のスーパーで買ったブルーベリー(125gで1.29E)で済ませました。

26日、6:30からホテルで朝食を摂りました。今回のアトリウムホテルは中央駅から徒歩圏内で、朝食が充実しており、ミュンヘン名物のホワイトソーセージがついているという理由で選びました。ただしクチュクチュとした微妙に柔らかい歯ごたえと脂っこさがあり、長男は苦手のようでした。
7:50にホテルを出発し、ミュンヘン中央駅の道向かいにあるグレイライン(ツアー催行会社)の看板前まで歩き、そこでツアーバスに乗りこみました。この日は英語ガイドのツアーであり、乗客はロシアやUSA、メキシコなど様々な国から来ています。車内で遊覧船の代金(大人9E、子供6E)の徴収があり10:40 にザルツブルクのミラベル宮殿前でバスを降りました。
そこからモーツァルトの生家まで全員で歩き、10:50に解散。集合は13:20とのことでした。我が家の3人は、大司教の宮殿であるレジデンツ(ファミリーチケット20.5E)に入場し、ミュンヘンのレジデンツ同様に豪華絢爛な部屋の数々を見てまわりました。その後、その隣にある大聖堂も見終わると、時刻は正午を回っていました。レストランを探して周囲を散策したものの、あまり惹かれるものがなく、結局パンやサンドウィッチ(合計で11Eほど)を買い、レジデンツ広場のベンチに座って昼食を済ませました。
その後、緑豊かなサンクト・ペーター墓地を通ってサンクト・ペーター教会を見学し、コレーギエン教会前の屋台を冷やかしてから13:10頃に集合場所に行きました。そこから全員でミラベル庭園に向かい、各々で写真を撮ってからバスに乗りこみました。
バスはさらに東に向かい、ヴォルフガング湖へ。道中には可愛らしい色使いの家が見え、スイスに近い景色です。湖畔の町ザンクト・ヴォルフガングでバスを降り、25分のフリータイムの間に教区教会を見てから、15:30遊覧船に乗り込みました。湖畔には別荘がまばらに建ち、水着姿でボートに乗った人の姿も見えます。典型的なヨーロッパリゾートの景色でした。
16時ごろ遊覧船を降りて再びバスに乗り、18:30にミュンヘン中央駅に戻ってきました。前日と同じアジアンヌードルの店で夕食(2皿を3人でシェアして9.8E)を摂った後、地下のスーパーでアイス2個、スパークリングワインのミニボトル2本(合計4.9E)を買い、店の外で飲み食いしました。別にやせ我慢をしたつもりはなく、これで十分満足です。というか、チップを気にしないといけないヨーロッパのレストランは元々苦手で、ファストフードで写真メニューを指さすほうが性に合っています。それにヨーロッパでは時差ぼけを少なくするために早寝早起きが基本であり、夜7時からレストランに行っていたら寝るのが遅くなってしまいます。個人的には、朝食ビュッフェの充実したホテルでしっかりと朝食を摂り、昼と夜はパンやファストフードで軽めに済ますのが体調管理の上で好ましいように感じています。
食後、DB(国鉄)の窓口で、28日のミュンヘンからヴュルツブルクまでのICEの席を予約し(3人で8E)、ホテルには19時半前に帰ってきました。

27日、やはり6:30からホテルで朝食を摂り、7:50にホテルを出発。前日と同じ場所でツアーバスに乗り込みました。録音テープで日本語の案内もあるツアーのため、半数弱は日本人です。ガイドは英語を話していましたが、聞き取りやすくて不自由はしませんでした。
バスは8:30にミュンヘン中央駅を出発し、10時過ぎにオーバーアマガウにあるリンダーホフ城に到着。途中、車内でリンダーホフ城とノイシュバンシュタイン城の入場料として、大人21E、18歳未満2Eの徴収がありましたが、25日に購入したバイエルンの城巡りチケットをガイドに預けることで、3人合計で2Eで済みました。もしこのツアーに参加するのであれば、あらかじめ城巡りチケットを購入しておくことをお勧めします。10:30から日本語音声案内(録音テープ再生)のツアーでリンダーホフ城に入場しました。ここは中世騎士道の妄想に溺れ、孤独な生涯を送ったルードヴィヒ2世が作らせた城の一つです。従者を近づけずに生活できる豪華絢爛な部屋の数々が、誇らしくも寂しい彼の人生を語り伝えていました。
その後バスで移動し、町中の土産物屋に立ち寄りましたが、ツアーにありがちな暴利を吹っかける店ではなく、良心的な値段でした。
再びバスで移動し、13:30にフュッセン着。バスの車内でガイドからノイシュバンシュタイン城のチケットを受け取り、預けてあったバイエルンの城巡りチケットを返してもらいました。しかしノイシュバンシュタイン城の入場時間が3人一緒でなかったため、ガイドに頼んで同じ時間にしてもらいました。そうこうしている内に、我が家の3人を含めた日本人7人が取り残されたため、7人で隣にあったホテルのレストランで昼食を摂り、ノイシュバンシュタイン城に向かうことにしました。我が家以外の4人は、70代のリッチな老夫婦と節約旅行の20代女性2人です。私と妻は老夫婦お勧めのソーセージとポテトの郷土料理(10E)とグラスワイン(6.5E)、長男はサンドウィッチ(8E)とオレンジジュース(3E)を頼みました。
14:30に食事を終え、山の上のノイシュバンシュタイン城までバス(1.8E)、馬車(6E)、徒歩(無料)のいずれかで向かうことになりますが、バスと馬車は凄い行列です。老夫婦が20代女性2人の馬車代を出すという話になり、4人は馬車で、我が家3人は待ち時間のない徒歩で向かうことにしました。チケットに記されたノイシュバンシュタイン城の入場時間は15:20であり、我が家の3人は14:50に城周辺にたどり着いて写真を撮りながらゆっくり過ごしたものの、他の4人は時間ギリギリでした。待ち時間込みで考えるなら、徒歩が一番早いと思います。
ノイシュバンシュタイン城はドイツで最も有名な観光資源ですが、世界遺産には登録されていません。リンダーホフ城同様に、破産してまで中世騎士道の妄想と城作りに明け暮れたルードヴィヒ2世の孤独な生涯を語り伝えていました。国王が財政を傾けてまで作った建造物としては他にインドのタージマハールが有名ですが、これらより遥かに壮大な故宮を造りながら国家運営に支障のなかった中国皇帝の権勢はとてつもないものだと改めて思い知らされました。
その後、徒歩で山を下り、16:40にバスで集合。そこからノンストップで18:25にミュンヘン中央駅に帰ってきました。夕食は前日と同じ店で同じメニューを頼み、地下のスーパーでシャンパンや土産物のお菓子などを買いこんでから、ホテルに帰ってきました。

28日、6:30からホテルで朝食を摂り、7:40にホテルを出発。駅構内の本屋で時間をつぶしてから、8:16発のICEに乗り、10:27ヴュルツブルクに到着の予定が20分以上遅れました。車内の乗車率は3~4割ですが、最終駅までの間に予約が入っているシートは7割ほどでした。駅構内のコインロッカー(4E)にスーツケースを預けてから、徒歩で世界遺産のレジデンツ(城巡りパスで無料)に向かいました。外観は壮麗な宮殿という印象です。一部のコーナーはガイド案内の団体でしか入れませんが、ドイツ語の説明を聞き流しつつ団体に揉まれる元気もなかったため、そちらは諦めました。壮麗な大広間や階段を見てまわり、それから徒歩で大聖堂に向かったものの、入り口が分からず、結局そこからメイン通りを歩いて駅に戻ってきました。
途中のパン屋でサンドウィッチやアップルパイを買いこみ(3人で計9.1E)、駅構内で食べてから、再びICEに乗りました。12:57 ヴュルツブルク発、14:04 フランクフルト着の予定でしたが、出発が10分、到着が20分遅れました。今回は延べ4回ICEに乗り、そのうち3回で到着が20分以上遅れました。駅の電光掲示板にも遅延の案内が目立つため、ドイツのICEは頻繁に遅れると考えた方がよさそうです。
フランクフルト中央駅でコインロッカー(6E)にスーツケースを預けてから、Sバーン(近郊列車、ジャーマンレイルパスで無料)でハウプトヴァッヘに向かいました。駅を出たところで屋台を見つけ、フランクフルトソーセージ(2E)を食べてから、旧市庁舎レーマーと、ブリュッセルのグランプラスを髣髴とさせるレーマー広場を見て、大聖堂に向かいました。ここは規模は大きいものの、内装はややさっぱりとした印象です。
その後、賑やかな通りや地下商店街で、ビール(2E)、アイス(1E)、カットフルーツ盛り合わせ(1E)などを買って食べ、中央駅に戻ってスーツケースを引き払ってから、Sバーンで空港に向かいました。
空港でチェックインを済ませ、妻と長男が本屋に入り浸っている間に、私一人でプライオリティパスを使い、Luxxloungeへ。フランクフルトソーセージが山のように用意してあるのが印象的でした。
20:15にフランクフルトを発ち、翌29日の正午に北京着。プライオリティパスを使って3人でCAファーストクラスラウンジに入り、昼食を摂りながら時間をつぶしました。17:00に北京を発ち、21:10にセントレアに帰ってきました。

今回の旅行中にドイツで使ったお金は6万5千円ほどであり、最初の42万4千円とあわせて50万円弱です。夏休みシーズン中に3人で8日間のドイツ周遊旅行をしてこの値段に抑えられた理由は、燃油サーチャージ込みのCA航空券が安かったことと、ユーロ安に尽きます。1ユーロが170円だった頃は割高な印象でしたが、現在は「ふはは、見ろ。ユーロがゴミのようだ」と言いたくなるくらい安くなりました。
なおドイツには世界遺産をはじめとする観光資源が目白押しであり、8日間の旅行ではかなり観光地を絞り込む必要がありました。また機会があれば、ベルリンなど旧東ドイツ圏にも足を伸ばしてみたいと思います。
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マニラ旅行記(12年6月) [海外旅行記]

今回は5回目のマニラ旅行です。
前々回(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-10-12
前回(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2011-10-24
の旅行記を先に読んでいただくと、理解が深まりやすいと思います。
デルタ航空の25000マイルを使って、名古屋マニラ間の往復特典航空券を発券しました。アメリカ系航空会社のマイレージなので燃油サーチャージは不要であり、セントレアの空港税2500円だけ徴収されました。オクトパストラベルでパールマニラホテル(4つ星、朝食付き、3泊で12900円)を予約し、World Airport Transfer.com で往復の送迎(40.3ドル)を予約しました。

出発当日となる21日の朝、デルタ航空からメールが届きました。19:40 名古屋発のフライトが、遅延で21:30 になったとの案内です。同便はデトロイト発、名古屋経由、マニラ行きなので、デトロイト発が遅延した時点で名古屋での遅延も見込んでメールを送ってきたのでしょう。遅延はともかく、おかげで無駄に早く空港に行かずに済みました。
21:30 に名古屋を発ち、翌22日 0:20頃にマニラ着。入国審査と税関を通り過ぎ、エイビスの窓口で送迎車を呼んでもらい、ホテルに着いたのは午前1時過ぎでした。途中、深夜にもかかわらず、10歳に満たない子供たちが信号待ちの車に花輪を売りに来ました。

22日は8時過ぎに起床し、ホテルで朝食を摂ってから9時過ぎに出発。その際ホテルのフロントで両替したところ、1万円が4978Pになりました。1P=2円と思ってください。
古い町並みが残る歴史地区、イントラムロスに徒歩で向かい、サン・オウガスチン教会(100P)に入りました。平日午前中のため入場者はほとんどなく、世界遺産の教会をほぼ独り占めできました。フィリピンでの布教の歴史を反映してか、白人の宣教師が原住民に殺害される現場を描いた宗教画が数多くありました。そしてそれらがフィリピンの高温多湿の環境で傷んでいるのは以前にも書いたとおりです。
その後、国立博物館(無料)へと行きましたが、8割方が工事中で閉鎖されており、数年前に感じた充実感はすっかり失われていました。
そこから徒歩でマニラホテルに移動し、前回行きそびれたシャンパンルームに入りました。きらびやかな内装とシャンデリアの明かりの元、ピアノの生演奏を聴きながら、スープ、パスタ、ビールを頼み、パンとチョコレートがサービスでついて892Pでした。その後タクシー(86P)に乗り、マルコス大統領時代の迎賓館であるココナッツパレスに行きましたが、予約していないと入場できないらしく、二カッとした笑顔で警備員に断られました。
そこから徒歩で文化センターに行き、アニメのラフ画のしょぼい展示(無料)を見た後、メトロポリタン美術館(100P)へと向かいました。しかし入り口付近のメイン展示スペースが工事中で閉鎖されていたため、消化不良感が残りました。
その後、やはり徒歩でハリソンプラザとロビンソンコマーシャルコンプレックスをはしごし、土産物を買ってからホテルに戻りました。
ホテルのプールで泳いでカロリーを消費してから、18時前に再びホテルを出発し、ロビンソンコマーシャルコンプレックスへ。1階にある、前回も訪れたフィリピン料理のビュッフェの店 Cabalen (368P)で、カレカレや豚の丸焼き(レチョン)など50種類ほどのフィリピン料理を堪能しました。ミミガーやゴーヤなど沖縄に近い食材もある一方で、ココナッツミルクを使ったデザートは他の東南アジア諸国と何となく似ています。この日はザンボアンガという民族舞踊のディナーショーの店に行くことも考えたのですが、すでに何度も見ており、もう一度見たいという気持ちが沸いてこなかったのでやめました。
食後にロビンソンコマーシャルコンプレックス内を散策しましたが、液晶テレビのブースがあり、ソニー、シャープ、日立、サムスン、LG、エイサー、フィリップス、DEVANTなど各国のメーカーがしのぎを削っていました。30~60型の液晶テレビに関しては、どこの国でも作れるありふれた工業製品になり、もう日本の優位性は感じられません。そうなると「ユーザーの都合には目もくれず、最高性能の製品を作りました」的な日本企業が「あなたの国で必要十分な機能はこれですね?」を得意とするサムスンに勝つのは難しいでしょう。もはや草刈場でなくなった液晶テレビの大規模生産からは撤退するのが正しい道かもしれませんが、技術立国の日本としては製造技術そのものを失うわけにはいかないというジレンマがあります。
ところで現在、日本では反原発の声を耳にしますが、日本が原爆を作らない平和な国である限り、原発からの撤退は、日本が将来的に原子力関係の技術を失うことを意味します。すでに今年の大学受験でも原子力学科の倍率が落ちるなど予兆は出ており、もしこのまま日本が原発を否定したら、数十年後の日本は原子力がらみの幅広い技術や産業で出遅れるでしょう。原発という核の平和的利用が、「現時点で原爆は持っていないけど、その気になればいつでも作れる日本」を諸外国に印象づける外交上の武器にもなっていますが、それをも失うことになります。私は反原発を叫ぶ人たちの心情も分かるものの、実際にそれをしてしまったら将来的に日本の国益がどれほど失われるかも分かるため、原発には消極的賛成という立場です。
それに現在の世論は、電力会社を叩きすぎのように感じます。相手を叩いて、その人の仕事のアウトプットが上がることはありません。停電率の低さ世界一を誇る電力会社を叩く現状が、WHOも認める世界一の医療を叩いて医療崩壊を招いた時と、だぶって仕方がありません。
話がわき道にそれてしまいましたが、この日はホテルに戻って早めに就寝しました。

翌23日、やはり8時過ぎに起床して、9時にホテルを出発しました。今回のマニラ旅行でしたかったことは前日に済ませてしまったため、この日はマニラの高架鉄道をぐるっと一周することにしました。まずはLine 1でU.N.アベニューからカリエドに移動し、庶民の市場であるキンタ・マーケットへ。蒸し暑い中、果物や生の豚肉が売られており、その一角では母親が2歳くらいの子供を桶に入れて体を洗っており、かなりカオスな雰囲気です。
その後、前々回に追い出されたゴールデンモスクに向かいました。入り口で入ってよいか尋ねたところ、モスクの建物に入らなければOKとのことだったので、モスクの外から中を覗き込む形で、初老の男性が読み上げるコーランを聞いていました。かつてムハンマドがイスラム教を広める際、疑いの目を向ける人たちに「コーランが神の言葉であることを疑うなら、お前たち自身でこれ以上美しい言葉を作ってみよ」という趣旨の反論をして相手を黙らせた逸話もあり、コーランを読み上げる旋律は純粋に美しいと思います。ただ音楽のつもりで聞いていただけなのですが、コーランを読み終わった男性から建物内に招かれ、色々な人に話しかけられ、握手を求められ、英語版のコーランの解説冊子を貰い、入信させられそうな勢いだったので、頃合いを見て脱出しました。イスラム教の文化に興味はあっても、飲酒できなくなるのは嫌なのです。ごめんなさい。
モスクを出たその足で、今度はキアポ教会へと行きました。ここには17世紀に作られたブラック・ナザレ像(十字架を持ったキリスト像)があり、信者たちがその手足を撫でていくため、足の裏と手のひらは黒い塗料がはげおちています。
私自身はアインシュタインの唱える神を信じていますが、それはつまり「この宇宙に存在するあまりに美しい自然法則の向こうに、万物の創造主である神の英知を感じる」というものであり、その唯一絶対神をキリスト教徒のように主と呼ぶか、ムスリムのようにアラーと呼ぶかにはあまり関心がありません。
それはさておき、モスクと教会を見学した後、Line 1 を北上してアバト・サントス駅に行きました。そこから中国人墓地に行こうと思ったのですが、入り口が分からなかったため、一つ北のロメロ・パパ駅まで歩き、高架鉄道の車内から遠景を見渡して済ませました。人が住めそうなくらい大きなお墓が数多く建っていましたが、特段の興味がなければ車窓からの見学で十分かもしれません。Line 1のドロテオ・ホセ駅で降り、今度は Line 2 でレクト駅からクバオ駅まで移動し、駅近くのファストフード店でチキンBBQ、白米、スープのセット(99P)の昼食を摂りました。その後、ジョリビーでストロベリー・サンデーズ(25P)を食べてから、ショッピングモールを通り抜けて Line 3 のクバオ駅に移動し、タフト・アベニュー駅まで乗車。そこから Line 1 のエドサ駅まで歩き、ペドロ・ギル駅まで高架鉄道に乗って、ほぼ1周です。
ペドロ・ギル駅からU.N.アベニュー駅に近いホテルまでは、ロビンソンコマーシャルコンプレックスを通り抜けて徒歩で帰ってきました。時刻は16時すぎです。ホテルの部屋で一服してから、18時前に再びロビンソンコマーシャルコンプレックスへ。前日と同じCabalen でビュッフェの夕食を摂りましたが、前日とは少しメニューが変わっていました。
食後ホテルに戻り、1時間ほどプールで泳いでから、早めに就寝しました。都会の喧騒が聞こえる中、日の落ちたプールをほぼ貸切状態で泳ぐのも乙なものです。

24日の午前3時、手配してあった送迎車でホテルから空港に向かい、チェックイン。6:15 発のフライトで、11時過ぎにセントレアに到着しました。
追記:フィリピン出国時に550Pの空港税が必要になります。
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クアラルンプール旅行記(12年5月) [海外旅行記]

今回はクアラルンプールに行ってきました。
昨年8月、エアアジアXのホームページで予約を取りましたが、片道5000円のチケットは予約しようとして個人情報を入力している途中に売り切れてしまい、残っていた片道18000円のチケットでもまだ安いと思って、そちらを申し込みました。(追記:往復で36000円です)
実際には空港税、手数料などが加算され、クアラルンプールのLCCT(ローコストキャリアターミナル)とKLセントラル間のバス往復送迎、サンドウィッチ2個、機内食1食をつけて合計で42634円でした。(追記:往復での料金です)
座席の選択、毛布、受託手荷物もすべて有料ですが、それらは申し込みませんでした。
夕方に仕事を終えてから家でシャワーを浴びて関空発23:15のフライトに間に合わせようと思うと、近鉄特急では間に合わず、行きはぷらっとこだま(1ドリンクつき4200円)を利用することにしました。帰りは近鉄特急のデラックスシート(チケットショップで3600円)です。ホテルは楽天トラベルでシトラスホテルのクラブフロアを予約しました。3つ星、クラブラウンジと屋外プール利用可、朝食付きで1泊158リンギット(以下R)でした。

18日、18:45発名古屋のこだまに乗り、19:50新大阪着。地下鉄と南海特急ラピートβ(往復で2240円)を乗り継いで21:09関空着。帰りのラピートβは1回だけ時間変更が出来るため、21日の最終便にしておきました。
エアアジアでは機内持ち込み手荷物の重量が7Kg以下と決められていますが、私の荷物はバイオXと地球の歩き方込みで4.0Kgでした。その後、保安検査と出国審査を済ませてからペットボトルのお茶を買い込み、23:15のフライトで関空を発ちました。

19日の朝4時半過ぎにクアラルンプールLCCT着。こんな早い時間だと言うのにターミナルは凄い賑わいです。入国審査後すぐの場所で現地通貨をキャッシングしようとしたら、なぜかエラーが出たため、隣の銀行で両替しました。12000円が414Rになりましたが、外に出てからこれよりかなり良いレートで両替できたので、すぐに後悔しました。ターミナル内のファストフード店でチキンとライスのワンプレートディッシュ(10.5R)を食べ、あたりを散策してから、6時発のエアアジア直営バスに乗りました。バスにはバウチャーを見せるだけで乗れ、7時過ぎにKLセントラルに到着しました。駅のコインロッカーに観光中は必要のない荷物を預け(5R)、KTMコミューターに乗って(2R)、郊外にあるバトゥ洞窟に向かいました。ここは切り立った崖と鍾乳洞を活かして、そこにヒンズー寺院を立てた場所です。入り口には仮装大会のような姿をした神様の巨大像が「キリッ」とした顔で立っています。夜行フライトで到着した数時間後に、暑い中272段の階段を上るのは大変で、汗が全身から噴出しました。しかしヒンズー教徒の参拝風景を目にする機会は少ないので、それなりに良い経験でした。
その後再びKTMコミューターに乗って、趣のあるクアラルンプール駅(KLセントラルの隣にある旧駅舎の駅)で降り、そこから徒歩で国立博物館(5R)に向かいました。ここでは時代別に4つの展示室でマレーシアの歴史を紹介していました。
その後、国立モスクに行き、見学をしました。イスラム教の建造物は、大変凝った模様のものが多い気がします。ここのモスクも白と青を基調として、無機質で幾何学的な印象ながら大変美しく、私はこれだけでご飯3杯はいけそうです。
その後、マレーシアイスラム美術館(12R)に行き、世界各地のイスラム寺院の精巧な模型や美術品などを見学しました。地球の歩き方によると、ここのカフェで中東料理を食べられるらしく、立ち寄ってみました。というか実は最初からその予定で、他の観光地を先に廻って時間を調整していたのです。前菜とデザートはビュッフェ形式で、メインディッシュを5~6種類の中から選べました。私が選んだのは、ラムをケバブ風に焼いてうすく切り落としたもの。雰囲気も素敵で、ドバイでも食べたことのある前菜やデザートと共に楽しみました。ただし49.5Rと割高なので、それだけの価値を見出せない人も多いでしょう。
その後、バタフライ・パーク(20R)に行きました。ネットで囲まれた熱帯雨林を様々な蝶が飛びかっているのですが、蝶が多すぎるあまり蛾のように思えてきて、「害虫がたくさんいる蒸し暑い森」にしか思えませんでした。蝶が好きなら違う感想になるのでしょうが……。
それからKTMコミューター(1R)でセントラル駅に戻り、コインロッカーの荷物を引き払ってから、LRTを乗り継いで(2.5R)、ホテルにチェックインしました。
部屋に荷物を置いてからクラブラウンジに行き、水やグアバジュースを飲み、サンドウィッチやフライをつまみました。3つ星ホテルのラウンジなので高級感はありませんが、ちょっとした飲食が自由というのはありがたいものです。
17:20に再びホテルを出発し、KLモノレール(1.2R)に乗って、地球の歩き方に載っているスリ・ムラユというレストランに行きました。ここは10年以上前に私が初めてクアラルンプールに来た時にも訪れた店で、その時と雰囲気は変わっていません。サテー、麺、羊や鶏などの肉料理、サラダ、ライスケーキ、デザート、フルーツなど多彩な料理をビュッフェ形式で食べられ(72R)、20:30からは45分間の民族舞踊のショーがあります。見ていて思ったのですが、半分くらいはフィリピンのマニラにあるザンボアンガという民族舞踊のディナーショーの店と演目がかぶっていました。来月またマニラに行く予定なので、記憶が新しいうちにザンボアンガで再確認しなければw
隣の席には子供連れの家族が座っていましたが、母親が中東で見かける目元だけ出した真っ黒なブルカを着ており、顔の前の布のすき間から上手に食べていました。一方、10歳くらいと思われる娘はTシャツ姿でしたが、13歳くらいになるとあの子もきっと母親同様の真っ黒なブルカを着ることになるのでしょう。
ショーの後、再びKLモノレールに乗ってホテルに戻りました。

20日は朝7時半に起床し、ホテルで朝食を摂ってから、8時半に出発しました。とは言え、前日の寝不足と猛暑で蓄積された疲れが残っており、あまり外を歩き回る気になれません。この日は屋内観光を多めにして、早めに切り上げることにしました。
まずはLRTに乗って(1.2R) マスジット・ジャメに行き、インドのムガール建築の影響を受けたというモスクを見学しました。たしかにニューデリーのフマユーン廟やレッドフォートと建築様式がよく似ています。
その後セントマリー聖堂に行ったところ、ミサの最中でしたが、聖堂のスタッフが手招きで中に案内してくれました。信者と共に長いすに座って神父の話を聞くふりをしていたところ、みなが起立して歌い始めたので、一緒に起立しました。歌詞を知らないので歌うのは無理でしたが……。なおマレーシアではスカーフをした女性をよく見かけますが、あれはイスラムの教えに則って女性が肌の露出を少なくするためのものなので、教会内にはスカーフをした人はいませんでした。
その後、イギリス、スペイン、インドの建築様式をミックスした旧連邦事務局ビルの写真を撮ってから、国立織物博物館(無料)に入場しました。内部には布地や民族衣装の展示があり、クーラーがよく効いていたので、必要以上に長居しました。
それからLRTに乗ってダン・ワンギ駅に行くと、近くにクアラルンプールタワーが建っているのですが、そこに進む道が見当たらず、大回りする元気もなかったので、写真だけ撮ってあきらめました。
再びLRTに乗ってKLCCへ。ここはペトロナスツインタワーの足元にあるショッピングセンターです。カフェでトマトライスとフライドチキン(9.5R)の昼食を摂り、スーパーマーケットでお土産を買ってから、KLCC水族館(45R)に行きました。巨大な水槽の内部をガラスチューブの歩く歩道に乗って移動するという展示形式で、私にとっては見慣れた光景ですが、比較的大規模で見ごたえがありました。魚の説明も英語で書いてあるので、ある程度分かりました。
その日はそこで観光を切り上げ、先ほどのスーパーで夕食用の弁当(5.6R)を買ってからホテルに帰りました。クラブラウンジとスイミングプールで時間をすごし、翌朝に備えて早めに就寝しました。

21日は午前3時半に起床し、4時前にチェックアウト。KLセントラルに行くためタクシーを呼んでもらったところ、ホテルスタッフから25Rと告げられました。KLセントラルで4:20発のバスに乗り換え、空港に着いたのは5:25でした。
チェックイン後、プライオリティパスで出国審査の近くにあるプラザプレミアムラウンジに入り、お粥、パスタ、チャーハン、ゆで卵、豆の煮込み、デザートなどを食べ、出国審査を済ませてから、8:15発のフライトでクアラルンプール発。
定刻より10分遅れ、15:55関空着。その後、最速で入国審査を済ませ、16:05発のラピートβに乗り、17時発の近鉄特急で名古屋に帰ってきました。
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銀川旅行記(12年4月) [海外旅行記]

今回は中国内陸部にあるシルクロードの地、銀川に旅行しました。
ユナイテッド航空の2万マイルを使って、中国国際航空(以下CA)で名古屋発、北京経由、銀川行きの航空券を発券しました。日本の世論は脱原発に舵を切っていますが、私はそれにつられて世界中が脱原発を言い出し、化石燃料が高騰し、今後も燃油サーチャージやガソリン代、電気料金に上昇圧力がかかると予想しています。そんな中でアメリカ系の航空会社は特典航空券の発券時にサーチャージが要らないため、とても重宝しています。
特にユナイテッド航空は日本発着時の必要マイル数が少なめであり、特典航空券で搭乗した区間マイルの200%までを安価に買い戻すこともできます。今後もユナイテッド航空のマイルを使って、8月にダッカ、9月に九寨溝、10月に桂林、1月に三亜、2月にフィジー(ビジネスクラス利用)への旅行を予定しています。今年2月からは、ユナイテッド航空のホームページからこれらの特典航空券を発券できるようになり、最近の私はユナイテッド航空のマイレージプラスに魂を売り渡したと言っても過言ではありません。普段使用するクレジットカードも、JALカード(100円で1マイル)からセゾンマイレージプラスカード(1000円で15マイル)に変えました。
ホテルはChinahotels.net で銀川新崎特マンションホテル(4つ星、朝食付き、1泊258元)を予約しました。

20日朝、セントレアでチェックインと出国審査を済ませ、プライオリティパスを使ってスターアライアンスラウンジで朝食を摂りました。その後、北京に飛び、やはりプライオリティパスでCAの国内線ファーストクラスラウンジに入りました。ここでは粥、点心、ヌードルなどを食べることができます。北京から銀川へのフライトが遅延していることをラウンジ入り口で教えてもらい、それにあわせて搭乗口へと向かいました。
機内では清真(イスラム教徒が食べても良いもの)マークのついたハンバーガーが出てきました。銀川は寧夏回族自治区の首府であり、このあたりにはイスラム教徒の回族が住んでいるのです。銀川の空港には16:50頃に着き、空港ターミナルを出てすぐのところに停まっていたエアポートバス(20元)に乗って、終点で降りました。ちょうど西港航空酒店の正面であり、勝利北街と長城東路の交差点にあたります。帰りの空港へと向かうバスもここから乗れるようです。シルクロードの雰囲気が漂うバザールを眺めながら北上し、ミニ天安門のような南門の写真を撮ってから、あらかじめグーグルアースで確認しておいたホテルの場所まで行くと、すぐに見つかりました。ちなみにホテル予約サイトの地図は間違っていることが多く、Chinahotels.netの地図も間違っていました。
今回このホテルを選んだ理由ですが、ここのアパートタイプの部屋が70平米と広くてメゾネットタイプになっているらしく、そこに惹かれたのです。しかし実際には天井の低いバストイレ洗面所が2階にあり、1階部分は無駄に広いだけの、使い勝手の悪い部屋でした。雰囲気は悪くないのですけどね。
部屋に荷物を置いてから、地球の歩き方2007年に載っていた陳義羊肉泡●(食へんに漠の右半分)に向かいましたが、情報の新旧ではなく、どう見てもその一角には寧夏回族自治区博物館の高い塀しかありません。間違いだらけの地球の歩き方クオリティーは今日も健在でした。近くにある清真料理の店に入り、マトンのしゃぶしゃぶ、白菜、ホワイトブロッコリー、パイナップルビールを頼み、合計で78元でした。

翌21日は7:30からホテルで朝食を摂り、8:10にフロントでタクシーのチャーターを頼みました。フロントでは最初、現地発着の団体ツアーを予約しようとしたようですが、そちらはすでに申し込めず、結局専用車をチャーターすることになりました。ホテルから西夏王陵(60元)と賀蘭山岩画(60元)を廻り、ホテルに戻ってくるコースで、タクシー代が260元、入場料込みで380元と言われました。色々と時間がかかり、ミニバンタイプのチャーター車がホテル前に来たのは9:30でしたが、フロントの若い女性が片言の英語で必死に対応してくれたため、個人的には好印象でした。
10時に西夏王陵へと着き、運転手がチケットを買って渡してくれました。そこから電動車に乗って博物館へと行き、西夏王朝時代の遺品や暮らしぶりを再現したジオラマなどを眺めてから、王陵へと向かいました。延々と広がる乾いた砂の大地、まばらに茂る低木や草。その一角に岩がこんもりと盛り上がったような王陵がそびえていました。
その後、賀蘭山岩画へと向かい、運転手にチケットを買ってもらってから入場しました。まず最初に世界中の岩画を集めた博物館があり、そこを見てから電動車に乗って、川の両岸に岩山がそびえたつ一角へとやってきました。ここの岩肌にヘタウマの人物像がたくさん描かれており、地球の歩き方に載っているファンキーな太陽神の絵もありました。ちなみに太陽神の絵は、正面に見える川を渡ってから左手に進み、100メートルほど行ったところに"The God of Sun"という案内があるので、そこの階段を上って10メートルほどのところで左手に見えてきます。しかし太陽神の岩画がを含め、一つ一つの絵は50センチ四方程度の小さなものであり、それほど見ごたえはありません。
賀蘭山岩画を見終わり、銀川市内に戻るために車に乗り込んだところで、通りすがりの男性が車内に向かって中国語で何か言ってきました。よく分からずに困っていたら、妻子を連れて車に乗り込んできました。きっと銀川市内まで一緒に乗せてほしかったのでしょう。シートには余裕があり、私としてもホテル前まで送り届けてくれさえすれば嫌がる理由もなかったので、黙っていました。車は私のホテルまで直行してくれたので、そこで当初の約束どおり380元を払って降りました。運転手はきっと同乗してきた家族からもタクシー代を取るのでしょうが、彼が私との契約を守ってくれた以上、そこから先は "It is not my business" です。時刻は15時ちょうどでした。
ホテルから徒歩で承天寺塔・西寧回教自治区博物館へと向かう途中、清真料理の店を見つけたので、そこで遅めの昼食を摂りました。赤辛いスープに1.5センチ四方の薄い麺、羊肉、大根などが入ったヌードルが10元でした。承天寺塔・西寧回教自治区博物館の入場料は18元であり、その中央にそびえたつ承天寺塔(高さ64.5メートル)に上ることができます。しかし急峻な階段だったこともあり、最上階で写真を撮ってから下りてきた時には両足に乳酸が蓄積していました。博物館部分にはすべて鍵がかかっており、入場することはできませんでした。
そこから南関清真大寺まで歩き、10元のチケットを買って入場しました。ここは回族が作ったイスラム寺院であり、中には丸くて白い帽子をかぶった回族の男性がたくさんいました。私が庭岩に座って休憩していたら、二人の男性が現れ、そこで鶏の屠殺を始めました。鋭い刃物で鶏の頚部の前半分を切断し、動かなくなるまで待っているのですが、イスラム教では自分たちが食べる家畜の屠殺方法まで決められていたはずなので、きっとそれに基づいたものなのでしょう。17時半にベルが鳴り、境内にいた信者たち全員がモスクの中に入って祈りを始めました。そこにいるのはすべて男性です。女性は男性が祈り終わった後に入れ替わりでモスクに入り、カーテンで仕切られた一角で祈りを捧げているようでした。
その後、地球の歩き方に載っていたイスラム料理の老舗、老毛手●(手へんに爪)に行き、羊肉の塩ゆで、野菜をゆでたもの、油揚げパン、西寧ビールを頼みました。全部で114元でした。

翌22日は10:05発のフライトで銀川を発つ予定です。ホテルの朝食会場は7時過ぎにしか開かないため、先にチェックアウトしてから(アジア諸国ではチェックアウト時に客室内のチェックをすることが多く、時間がかかります)朝食を摂りました。7時半にホテルを出発し、7:50に空港バス乗り場にたどり着きました。地球の歩き方2007年には、フライトの2時間前にバスが出発すると書かれていましたが、最初から信じていません。2012年4月22日現在、西港航空酒店から空港に向かうバスは6:10、6:30、そして8時半から22時まで30分毎(毎時0分と30分)に出発しており、所要時間は30分です。私が乗ったバスは8時半に出発し、9時少し前に空港に着きました。
そこで北京経由、名古屋までのチェックインを済ませ、10:05のフライトで銀川を発ち、11時半過ぎに北京着。出国審査で時間を取られ、CA国際線のファーストクラスラウンジに、プライオリティパスで入ったのは12時半でした。ここでは食事時間に合わせてビュッフェがオープンします。牛肉の黒胡椒煮込み、鶏肉の煮込み、チキンカレー、チキンパスタ、温野菜、チャーハン、点心、寿司、サラダ、チキンサモサ、サンドウィッチ、フルーツ、ケーキ、ビール、ワインなどが用意されており、そこで昼食を摂りました。天井が高く開放的で、シャワーや仮眠室まであり、個人的にお気に入りのラウンジです。
そこで時間をつぶしてから、17時のフライトで北京を発ち、21時にセントレアに到着しました。
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ハバロフスク旅行記(12年3月) [海外旅行記]

今月はロシアのハバロフスクに行ってきました。
去年10月初旬に燃油サーチャージが少し安くなってから、ANAの22000マイルを使ってスターアライアンス特典航空券を発券しました。サーチャージや税金など、別途22840円がかかりました。
旅程としては、16日夕方にアシアナ航空(以下OZ)でソウルに飛び、17日午前にハバロフスクへ移動、19日夕方のフライトでソウルに戻り、20日の午後便で名古屋に帰ってくるというものです。ソウル、ハバロフスク間は便数が少なく、このような形になりました。
ソウルのホテルは、楽天トラベルでデウモーテル(朝食付き、1泊3000円強の格安宿)を予約し、ビザの手配とホテルの予約はロシア・トラベル・ビューロ(http://www.rtb.co.jp/visa.htm)に依頼しました。インツーリストホテル(1泊9300円)2泊と、ビザ手配料7350円で計25950円です。
ロシアはこれまで、その旅行難易度の高さから二の足を踏んできた場所です。調べた限りでは、税関で因縁をつけられて金品を没収されたり、スキンヘッドのネオナチが「ヒャッハー! 汚物は消毒だ!」と叫んでアジア人狩りをしていたり、警察官が因縁をつけて賄賂を要求してきたり、タクシーに乗るとひとけのない場所に連れて行かれて金品を奪われたり、ハバロフスク空港には両替所がなかったり、インツーリストホテル周辺で日本人が強盗にあってフルボッコにされた報告がたくさんあったり、そこで意識をなくしたら氷点下十度の世界で凍死する危険があったり、ホテルにチェックインしたらしばらくの間パスポートを預けなければいけないのに、パスポートなしで街中を歩いていたら警察官に罰金を要求されたり、旧社会主義国オリティーで店員が冷たかったり、英語がほとんど通じなかったり、個人的にはキリル文字はまったく読めなかったりと、かなり大変そうな場所です。
そこで周りの人には「今回の目標は生きて帰ってくること」と説明し、妻には自分が海外旅行先で死んだらカードの保険から保険金が下りることを改めて説明しました。パソコンも普段使うウィンドウズ’7ではなく、失くしても惜しくないXPノートを持っていくことにしました。
ハバロフスクの空港からホテルまでは1番のトラムバス(15ルーブル、以下R)一本で行けますが、日本で調達できる1000R札ではお釣りがない可能性が高く、空港での両替もできないため、どうしようか困っていたところ、研修医のH君が気を利かせて、名駅地下で50R札を調達してきてくれました。これでホテルまでたどり着く算段がつきました。なお後から分かった情報で補足すると、ハバロフスク空港の国内線ターミナル(国際線ターミナルの出口から見て左前方の大きな建物)にはATMがあるそうで、裏面にPLUSマークがあり、キャッシング枠のあるクレジットカードを持って行けば、そこで100R札を調達できるかもしれません。

16日、17:45にセントレアを発つフライトでソウル仁川国際空港へと飛び、エアポートトレイン(3950ウォン)に乗ってソウル駅に移動、そこから徒歩で宿泊施設に移動し、チェックインをしたのは22時前でした。ソウルで雨が降っていたため、布製の靴が濡れてしまいましたが、翌日そのまま氷点下のハバロフスクに行くと、足が凍傷になる恐れがあり、オンドル(床暖房)の上に逆さにおいて乾かしました。

17日、再びエアポートトレインで仁川国際空港に向かい、プライオリティパスでHUBラウンジに入って、朝食を摂りました。そして10:30のフライトで、いよいよハバロフクスへ出発です。機内は満席であり、乗客のほとんどがロシア人とおぼしき白人でした。現在、日本や韓国とハバロフスクの間には2時間の時差があり、3時間のフライトでハバロフスクに着いたのは15:30過ぎでした。入国審査が無事に済み、おっかなびっくりだった税関も荷物をX線の機械に通すだけであっさりと通過できました。事前情報の通り、国際線のターミナル内には売店も両替所もありません。貴重品を3カ所に分けて隠し持ってから外に出ると、1番のトラムバスが走っていくのが見えました。これは空港と教会広場を往復する路線なので、間違えて反対方向に乗り込むことはないはずです。それに乗り込み、車掌になけなしの50R札を渡して切符と35Rのお釣りを受け取りました。その際、地球の歩き方・シベリア2011年版に載っていたインツーリストホテルのキリル文字表記を見せたところ、うなずいてくれました。目的地付近で車掌がホテルを指さしながらロシア語で何かまくし立てるため、「スパシーバ」とお礼を言って降りました。
ホテルでパスポートとバウチャーを見せてチェックインしましたが、滞在証明も含めて5分ほどであっさりと終わり、パスポートもその場で返却してもらえました。ホテル入り口にATMがあり、ここで100、500、1000,3000、5000などの決められた額のルーブルを手数料なしでキャッシングできます。英語表記も選べたので、難なくルーブルをゲット。年17%の利子で1~2ヶ月借りる形になりますが、それでも通常の両替よりはレートが良いと思われます。
ホテルには売店もあり、ミネラルウォーターやウォッカ、お菓子、カップラーメンなどを買うことができます。現在1R=2.9円くらいですが、1.5Lのミネラルウォーターが35R、250ccのウォッカが99Rでした。
来るまでは色々と最悪のシナリオをシミュレートしていたのですが、ここまで想定外と言って良いほど、あっさりと来てしまいました。
ホテルの部屋に荷物を置いて、17時頃に再び外出しました。ホテル近くに広がるアムール川は凍結しており、かなりの寒さです。教会広場のウスペンスキー教会に入ると、人々が神父と共に祈りを捧げていました。その後、そこから東に延びるメインストリート(ムラヴィヨフ・アムールスキー通り)を歩いてみましたが、どの建物も入り口はこぢんまりとしており、看板はキリル文字なので、中を覗いてみないと何の店だかさっぱり分かりません。
それでも土産物屋でマトリョーシカを見つけ、デパートを2軒散策してから、ガイドブックに載っていたチョープラエ・メステチカというロシア料理の店に向かいました。しかし地図の場所には、漢字の看板を掲げた中華料理の店しかありません。
やむを得ずホテルに戻り、その1階にあるレストランに入りました。チキンヌードルスープ(100R)はボリュームがあったものの、サラダ(120R)は小鉢くらいの量で、ライス(50R)やメインディッシュのチキンカツレツ(220R)も、アイスカップ大のものが一つずつ、同じ小皿で出てきました。結局それでは物足りず、オレンジジュース(16R)とインスタントスープ(26R)を売店で買って帰り、部屋で食べました。こういう時のために、プラスチックのナイフ、フォーク、スプーンをいつも旅先に持って来ています。また、お湯を沸かす電熱器は部屋に設置されていました。暗くなってから出歩くのは危険なので、その後は部屋でウォッカを飲んで過ごしました。

翌日は朝8時半(日本時間6時半)に起床し、ホテルでビュッフェの朝食を摂りました。何となくロシア料理はトルコ料理に近い気がします。食後、部屋に戻って準備を整え、10時前に出発。インツーリストホテル周辺を早朝に歩くのは危険らしく、遅めの出発です。
最初に、徒歩でウスペンスキー教会、スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂をハシゴしました。両者共に日曜のミサが開かれていましたが、椅子はなく、人々は立ったままで祈りを捧げていました。ロシア正教の教会はどこもこんな感じなのでしょうか? なお両者ともにタマネギ型の屋根がついていますが、これは元々イスラムの建築様式です。神父が立位と土下座の姿勢を繰り返しながら祈りを捧げていましたが、このスタイルもイスラムに近いですし、ロシア料理がトルコ料理に近いと感じたのは、イスラム文化の影響もあるのでしょうか?
その後、アムール川に近いムラヴィオフ・アムールスキー公園に行きましたが、凍結した川から吹きつける風が底冷えし、私のMAX防寒具でも耐えられないほどでした。
それから考古学博物館(220R)、郷土博物館(330R)、極東美術館(240R)をハシゴしました。説明文がすべてキリル文字のため、このあたりの民族衣装がアイヌに近いことは分かったものの、後は何となく眺めるだけでした。なお赤軍博物館だけはなぜか笑顔で入場を拒否られ、パンフレットだけ手渡されました。
その頃には14時近くになっていたため、地球の歩き方に載っているウクライナ料理の店、カバチョークに行きました。ここの定番、バターが入ったキエフ風カツレツ(450R)にパン(30R)、ミートパイ(40R)をつけて520Rでした。1000R札で払おうとしたところ、店員が請求書の20の部分を指さしてなにやら言ってきます。何となく雰囲気を察し、20Rを出したところ、500R札のお釣りが帰ってきました。どうやらチップは不要のようです。ちなみに以前、バンコクのフォーシーズンズホテルでこれと逆のことがあり、例えば520バーツの支払いに1020バーツを出したところ、チップを払いやすいように意図的に細かいお釣りを返してきたことがありました。
食後は徒歩で東へと歩き、レーニン広場を超えて、エヌ・カー・シティというショッピングセンターに行きました。途中2回ほど警察官を見かけたため、一度は交差点を渡って避け、もう一度は相手が複数だったので、不自然な行動を取らずに死んだ魚の目をしてすれ違いました。不良警察官に因縁をつけられ、ワイロを要求されることを恐れたのです。事前情報のせいで、一般人よりも警察官のほうが悪人に思えてしまうのですから、困ったものです。なお駅周辺は警察官の頻出スポットらしく、そちらには近寄らないことにしました。
ここの1階にはスーパーマーケットが入っており、夕食用にイワシのムニエル326グラム(104.32R)、ピロシキ178グラム(58.74R)、キャベツと人参のビネガー和え498グラム(46.21R)、合計219.27Rを買いました。なおスーパー入り口の正面に両替所らしきものがあり、日の丸の横に、33.05と 36.15という数字が書かれていました。恐らく1万円を両替したら、3305Rになるのでしょう。ハバロフスクでは貴重な、日本円の両替ができる場所ですので、報告しておきます。
その後、1番トロリー(15R)に乗ってホテルに帰り、部屋に着いたのは17時半でした。夕食を冷蔵庫にしまい、ウォッカをあおってから、再び街の散策に出かけました。ほろ酔い加減で歩く氷点下の世界はとても心地よく、雪で覆われた白い街並みがそれまで以上に美しく見えました。来る前は北斗の拳の世界を想像していましたが、実際にはエジプトやインドより旅行難易度は下かもしれません(と言っても、初心者が一人でおいそれと行ける場所ではありません)。午前中に立ち寄った二つの教会をもう一度ハシゴし、19時頃に帰ってきました。
その日はそれ以上出歩かず、ホテルの部屋で夕食を摂り、ウォッカを飲んで過ごしました。

翌19日は8時に起床してホテルで朝食を摂り、チェックアウト後ホテルに荷物を預け、10時過ぎに出発しました。と言っても小さな街であり、前日までに観光したい場所は行き尽くしたので、これと言ってすることもありません。結局、前日に行ったウスペンスキー教会、エヌ・カー・シティ(ショッピングセンター)、スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂の3カ所を再び回って時間をつぶし、13時になるのを見計らって、地球の歩き方シベリア2011に載っていたルースキーというロシア料理のレストランに行きました。
ここでは平日昼にビュッフェ(450R)があるらしく、店員に”I heard about lunch buffet on weekday.” と言ったところ、分かったようなそぶりで奥に行き、しばらくしてランチセットを持ってきました。スープ、パン、サラダ、ハンバーグとポテト、ジュース、細長いお菓子がテーブルに並べられ、最初は値段が分からずに戸惑いましたが、結局当初の想定より安い330Rでした。
ホテルに戻って荷物を引き取ったところ、100Rを要求されましたが、正規の料金か、チップをふっかけているのか分からず、言い値を払ってしまいました。
その後、ホテル近くのバス停で1番トロリーバス(15R)に乗り、終点の空港で降りました。出国の手続きも機械的に流れ、悪徳審査官からワイロを要求されることもありませんでした。
アシアナ便でソウル仁川国際空港に18時半に到着し、エアポートトレインに乗り換え、宿泊施設にたどり着いたのは20時過ぎでした。

20日は16時のフライトまでフリータイムですが、これまで幾度となく訪れたソウルで、もはやこれ以上観光したい場所もありません。前日、名古屋までの搭乗券を発券してもらっていたこともあり、朝一番で空港に向かうことにしました。格安宿での朝食もついていたのですが、それよりは空港ラウンジの方が上質なものを食べられるため、その日の摂取カロリーを空港ラウンジと機内食だけで済ませようと思ったのです。
エアポートトレインで空港に向かい、出国診査後、HUBラウンジで朝食を摂ってから、まったりとくつろぎました。プライオリティパスで入れる仁川国際空港のラウンジのうち、ソファーでゆっくり寛ぎたいならHUBラウンジ、短時間でがっつり食べたい時や、シャワーを使いたい時はマティーナラウンジを利用すると良いでしょう。日系航空会社のフライトで離れのターミナルに移動する場合なら、暗めの照明で落ち着いた雰囲気のアシアナラウンジ、滑走路が見えてポップで開放的な大韓航空ラウンジも利用できますが、今回はOZ便なのでこれらを利用することはできません。
11時半にHUBラウンジを後にし、腹ごなしのために空港を歩き回ってから12時過ぎに今後はマティーナラウンジへ。昼食を摂り、シャワーを利用しました。その後、もう一つのHUBラウンジに移動して時間をつぶしてから、夕方のOZ便で名古屋に帰ってきました。

これまでガイドブックを読む度にその旅行難易度の高さを実感したロシアでしたが、こうして何とか無事に帰ってくることができました。これで47カ国目です。
なお今後の旅行計画が一部変更になり、7月にドイツとルクセンブルグ、8月にバングラデシュを訪れる予定なので、それで50カ国になる予定です。
来月は沖縄と、中国内陸部のシルクロードの地、銀川に行ってきます。中国内陸部は、ウイグル自治区で暴動が起きた数ヶ月後にその省都ウルムチに行って以来(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-01-05)なので、久しぶりです。
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延吉・図門旅行記(12年2月) [海外旅行記]

今月は、北朝鮮との国境に近い中国の延吉・図門へと行ってきました。昨年5月末、燃油サーチャージが一段と上がる直前に、大韓航空のホームページから発券し、28000円のチケットにサーチャージや空港税などが諸々込みで41950円でした。しかし行きは乗り継ぎの関係で、その日のうちに延吉に着くことができないため、ソウルで一泊、延吉で一泊することになりました。楽天トラベルでソウルの大祐旅館(格安宿、朝食付き)を3000円強で、Chinahotels.net(http://www.chinahotels.net/jp-homepage.html)で延吉の延辺民航翔宇ホテル(四つ星、朝食付き)を200元で予約しました。
今回のメインイベントは、中国から北朝鮮との国境を見ること、そしてポシンタン(犬鍋)を食べることです。ヒャッハー!

24日朝、セントレアでチェックインを済ませ、プライオリティパスでスターアライアンスラウンジに入り、そこで朝食を摂りました。9:30発の機内でも軽い食事が出て、正午前にソウル・仁川国際空港着。エアポートトレイン(3800W)でソウル駅へと向かい、そこからは徒歩で20分ほどかけて旅館に向かいました。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置いてから、近くの店でサムゲタン(13000W)を食べました。その後、町を散策しているうちに、以前も訪れたことがある韓銀博物館(無料)の前を通りかかったため、入場しました。以前とは展示内容が少し変わっていましたが、日本統治時代に建てられたそれは、相変わらず豪奢な建物でした。奥の方にはおしゃれなカフェもあったため、カフェ・ラテ(1400W)で小休止。
その後、明洞の繁華街を散策しましたが、もう行きつくした感があり、これ以上することもありません。キムパブ(6000W)をつまんでから、宿に戻って休憩し、サチョム(http://www.seoulnavi.com/tour/221/)を見るために19時過ぎに再び出かけました。正規料金は5万Wですが、チケット売り場の横に3割引の券が置いてあるため、3.5万Wで購入できました。
これはダンスと歌のショーですが、日本語の字幕もあり、かなり楽しい舞台でした。美男美女の二人とその取り巻き、冴えないのび太君キャラが出てくるのですが、みな切れの良いダンスを見せてくれ、笑いもあり、最後は観客も立ち上がって一緒に拍手をして盛り上がりました。
その後、明洞でマグロの海苔巻き(2500W)を食べてから、宿へと戻ってきました。

翌25日は朝6時過ぎに宿を出て、エアポートトレイン(4100W)で空港に向かい、チェックインと出国審査を済ませてから、HUBラウンジで朝食を摂りました。
10:15発のフライトで延吉へと向かい、現地時間の正午前に到着。入国審査を済ませ、正規のタクシー乗り場からタクシーに乗りましたが、動き出すとメーターが75元から始まっています。それを指摘すると「50元、OK」みたいなことを言ってきますが、メーターを使えば20元少々のはずです。その場でタクシーを止めて降りる手もあったのですが、つい面倒になって50元払ってしまいました。かなり荒い運転で冷や冷やしているうちにホテルに着き、そこで荷物を預けてから、別のタクシー(7元)で延吉駅へと向かいました。
駅近くのバスターミナルにある切符売り場で、地球の歩き方に書かれた図門の中国表記を見せてバスチケット(15元)を買い、ボロボロのバスに中国人と一緒にすし詰めにされて、1時間ほどかけて図門へ。このあたりは朝鮮族が多く住んでいるため、街中でも漢字とハングルが併記されていました。
図門のバスターミナルから北朝鮮との国境の川までは2キロ弱です。徒歩で向かい、そこから川に沿って1キロほど歩きました。それほど太くない川の向こうは北朝鮮であり、阻止されなければ、凍った川の上を歩いて向こう岸にたどり着くのは難しくなさそうです。中国と北朝鮮を結ぶ橋もかかっており、数年前までは橋の中央まで歩いていくことができたようですが、現在は軍がその付近を厳重に警戒しており、写真撮影も不可でした。
再びバス(15元)に乗って延吉へと戻り、そこからタクシー(8元)で、地球の歩き方2010~2011に載っている英子狗肉火鍋へと向かいました。ここでポシンタン(犬鍋、55元)と韓国風お好み焼き(12元)を注文しました。犬肉は鶏の胸肉やシーチキンに近く、先入観念を捨てれば食べられない味ではありません。しかし薄味の白湯スープと犬肉だけでは味が物足りず、かといって一緒に出てきた唐辛子味噌を入れれば辛すぎて、最後の方は食べるのが苦痛になってきました。
食後はタクシー(6元)でホテルに戻り、二日続けて朝が早かったため、早めに就寝しました。

26日はホテルで中国式ビュッフェの朝食を摂り、チェックアウトしてから、すべての荷物を持ってタクシー(5元)で西市場へ。地球の歩き方によると、ここで犬肉が売っているそうで、見てみようと思ったのです。いくつかの建物に分かれ、朝鮮族の衣類、雑貨、野菜、鮮魚など、様々なものが売られていますが、少し分かりにくいところで、ようやく肉コーナーを見つけました。そしてその一角で、死後硬直した姿で仰向けに並べられた白い犬の群れを発見。
どこからか「ヒャッハー! 肉だ、肉だ。犬肉が食い放題だぜー!」という幻聴が聞こえてきましたw
その後、タクシー(12元)に乗って、朝鮮族の暮らしぶりなどを展示した延辺博物館へと向かいましたが、韓国の博物館で似たような展示を山ほど見てきた私は、「ふーん」で終わってしました。
そこからタクシー(5元)に乗って空港へと向かい、ソウル経由で名古屋へと帰ってきました。

さて、今後の予定ですが、3月はハバロフスク、4月は中国の銀川、5月はクアラルンプール、6月はマニラ、7月は家族でドイツ周遊、8月は家族で国内旅行、9月は九寨溝、10月は未定、11月はグアム、12月はソウルに行く予定です。
このうち5月と7月以外はマイルを貯めた特典航空券であり、12月の往路だけビジネスクラスです。
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韓国旅行記(12年1月) [海外旅行記]

 今月は釜山旅行をしてきました。
 昨年3月31日にJALの10800マイルを使って、往路は午前便、帰路は午後便で、中部から成田経由、釜山行きの航空券を発券しました。サーチャージや空港税など別途6480円が必要でした。ちょうどアラブの春という言葉が飛び交った頃で、その後はしばらく燃油サーチャージが高止まりすると予想したので、値上げ前に駆け込みで発券しました。中東は民度が低く、独裁者がいた方が短期的には国が安定するのに、それを倒してしまったら、しばらくは混乱するだろうと考えました。
 最初は釜山から安東に行く予定でしたが、10月頃、フライトスケジュール変更で午前便には乗れなくなったので午後便にしてほしいと、JALから通知がありました。往路は先月とまったく同じ旅程だったので、先月同様に有無を言わさぬ旅程変更を呑まされました。初日の夜に釜山着だと安東まで往復するのはきついので、2日目の旅程を変更することにしました。
 ホテルは楽天トラベルで釜山の東新ホテルを予約しました。2泊で5840円です。


 27日午後、14:50中部発、成田行きの国内線にチェックインし、カードラウンジで時間をつぶしてから搭乗しました。
 成田に到着後、IASSラウンジに入り、時間をつぶしてから18:20の便に搭乗しました。今回はエコノミークラスにも空席が少しありました。釜山到着後、バス(1800W)と地下鉄(1200W)を乗り継いで中央駅に行き、東進ホテルに22時頃チェックインしました。

 27日は7時半に起き、ホテル近くにある行きつけの天安コムタンでコムタン(7000W、牛肉のスライスを煮込んだ白湯スープ)を食べてから、地下鉄(1400W)に乗って1号線最北端のNOPO駅に隣接した釜山総合バスターミナルに行きました。そこからバス(4500W)に乗って慶州市外バスターミナルに行き、そのすぐ北にあるバス停から203番バス(1500W)に乗って、良洞民族マウルへと向かいました。マウルとは昔ながらの村落のことであり、ここと安東のマウルが2010年に世界遺産に登録されました。着いてから知ったのですが、良洞民族マウルまで来る203番バスは本数が少なく、慶州バスターミナルから来るバスは8:00、9:35、11:00、13:00、14:30、16:15、17:30、19:20にマウル着、慶州バスターミナルへと向かうバスは7:25、8:35、10:25、11:55、13:45、15:15、17:05、18:15にマウル発で、所要時間は35~40分ほどです。
山間にわら葺きや瓦葺きの昔ながらの家屋が立ち並ぶ、のどかな場所であり、飛騨の合掌造りが世界遺産なら、こちらも世界遺産で不思議はないと思えます。しかし現在も人が住んでいるため、外から一般の民家を眺めるだけの場所です。私は30分ほどで飽きてしまい、11:55のバスで慶州バスターミナルへと帰ってきました。
 そこで海鮮鍋(7000W)の昼食を摂り、今度は10番バス(1200W)に乗って新羅ミレニアムパーク(15000W)へと向かいました。バスターミナルから25~30分くらい乗ったところで、右手にヒルトンホテルが見えてきたらそこで降り、左折して700メートルほど歩くと見えてきます。ここは昔ながらの韓国風家屋や映画のセットやが建てられた場所です。一番奥のステージでは武術や馬術の公演が行われていますが、武術の方は日本で一流の剣術や殺陣を見たことがある人には少しぬるく見えるかもしれません。馬術の方は鞍の上でアクロバチックな姿勢を取ったり、韓国式の短弓でやぶさめをしたりするもので、こちらは割と楽しめました。
 その後、11番バス(1500W)、釜山行きバス、地下鉄を乗りついでホテル近くに帰ってきて、行きつけのソウルサムゲタンという店でサムゲタンを食べて帰ってきました。


 28日は9時前に起床。私にとっては釜山も行き尽くした場所なので、もはやこれと言ってしたいこともなく、朝寝坊していました。
 なんで、そこまでして海外旅行するのだろう?
 と思われる方がいるかもしれませんが、日本語の通じない適度な緊張感の中、初めての場所に行くのが好きなのです。
 それはともあれ、ホテル近くの行きつけの店で味噌味の鍋(3500W)を食べ、それから釜山近代歴史館(無料)へと向かいました。内容は予想通り、韓国文化である「恨」を十分に発揮した、日本への恨みつらみに満ちた内容でした。台北で似たような博物館に行くと、もう少し客観的に日本支配の功罪を紹介しているのですけどね。
 その後、地下鉄とlight railway(合計2700W)を乗り継いで空港に向かい、プライオリティパスで大韓航空のラウンジには言って時間をつぶし、成田経由で中部に帰ってきました。
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韓国旅行記(11年12月) [海外旅行記]

 今月は韓国周遊の弾丸旅行をしてきました。
 2月にJALの10800マイルを使って、往路は午前便で中部発、成田経由、釜山行き。帰路は午後便でソウル発、成田経由、中部行きの航空券を発券し、サーチャージや空港税など6890円を別途支払いました。
 韓国国内の移動は、大韓航空(KAL)のマイルが余っていたため、1区間当たり6000マイルと空港税&サーチャージ13900Wで、釜山~済州島、済州島~ソウルの2区間を発券しました。こちらはビジネスクラスに相当するプレステージクラスです。初日にJALとKALを乗り継いで済州島に行き、そこで一泊してから翌日のツアーに参加し、2日目の最終便で済州島からソウルへと飛ぶ予定でした。また、春にオクトパストラベルがポイント制度を改定したため、それまで貯めていたポイントが5000円のクーポンになり、それを使って済州島のホテルを予約していました。
 しかし10月頃、フライトスケジュール変更で午前便には乗れなくなったので午後便にしてほしいと、JALから通知がありました。それでは同日の釜山~済州島に乗り継げません。初日の朝に名古屋を発ち、KALの釜山~済州島最終便に乗り継げる範囲で別便をアレンジしてほしいと要望しましたが、受け入れてもらえず、泣く泣く済州島のホテルをあきらめることになりました。キャンセルしてもクーポンは帰ってこないため、JALのせいで5000円を無駄にしたようなものです。釜山~済州島は2日目の始発便に変え、釜山とソウルのホテルを予約しました。


 16日午後、14:50中部発、成田行きの国内線にチェックインしたところ、スタッフが画面を見ながら電話をかけ始めました。
「はい、はい、そうです。間違いありません」という声が聞こえた後、「お客様、成田・釜山間はお一人ですか?」と確認してきました。「はい」と答えたところ、「エコノミークラスが満席なので、ビジネスクラスにアップグレードします」とのこと。一応JALも気を遣ってくれたのかもしれません。これで、スケジュール変更の件は水に流すしかないでしょう。
 成田に到着後、ビジネスクラスラウンジはさすがに用意してもらえなかったので、ダイナースカードでIASSラウンジに入り、時間をつぶしてから18:20の便に搭乗しました。エコノミークラスはもちろんのこと、ビジネスクラスも満席です。シートは旧型で、食事は寿司を含む三段重ねの弁当にお吸い物がついたものでした。しかし寿司は作り置きですし、やはり地上で出来たてを食べたほうが美味いですね。
 釜山到着後、軽鉄(1300W)と地下鉄(1400W)を乗り継いで中央駅に行き、東進ホテルにチェックインした時は22時を廻っていました。

 17日は5時前に起き、ホテル近くにある24時間営業の食堂で味噌雑炊のようなもの(3500W)を食べてから、5:40中央駅発の地下鉄に乗りました。空港についた時には6:30を廻っており、プレステージクラス専用カウンターでチェックインしてからラウンジで小休止し、7:30のフライトに搭乗しました。プレステージクラスとは言え、シートは旧型でドリンクサービスしかない国内線だったので、何の感慨もありません。
 地球の歩き方には、済州空港の国内線ロビーにある総合観光案内所で当日の定期観光バスを申し込めると書いてありましたが、観光案内所のスタッフによると、扱っていないとのことです。急遽自分でその日のスケジュールを組む羽目になり、済州島にある世界自然遺産の中で一番アクセスしやすそうな万丈窟に行くことにしました。空港で手荷物を預けた後(2000W)、100番バス(1000W)で市外バスターミナルに行き、そこで萬丈窟(Manjang Cave)までのチケット(2000W)を買ってから、9:40のバスに乗って出発しました。10:30に萬丈窟のバス停に到着しましたが、そこから2.5Km歩く必要があります。朝食が5時だったので、萬丈窟入り口に着いた時にはかなり空腹になっており、先に入り口近くの食堂で7000Wのビビンバを食べることにしました。
 万丈窟は通常なら2000Wの入場料が必要ですが、今月末までの期間限定で入場料が無料になっていました。鍾乳洞内部を1Kmほど歩くことができますが、割と単調な作りであり、少しがっかり感が漂いました。更に最終地点に着いたら元来た道を戻ってこないといけないため、地上と地下をあわせて往復で7km歩いた計算です。
 その後、再びバスに乗って市外バスターミナルに向かいましたが、途中で済州国立博物館を見つけ、そこで降りました。ここは済州島の歴史などを紹介した博物館(無料)であり、2000年ほど前に済州島に集落ができ始め、5世紀頃になってからタムナという済州島にできた国が史書に出てくるようになったとのことでした。
 個人的に興味を持ったのは、年代別に日中韓の出土品を並べた展示で、紀元前10世紀から紀元後の時代の出土品は、明らかに日中の技術レベルが高く、韓国はそれに及ばないことです。以前からたまに耳にすることですが、刀剣にしても土器にしても、当時韓国の技術水準は日本未満だったのではないでしょうか?
 その後、10番バスに乗って市外バスターミナルに向かいましたが、東門ロータリーを見つけたため、やはりそこで急遽降りました。ここで市場や地下商街を散策し、刺身(5000W)を買いました。醤油の代わりに赤い味噌をつけて白身魚を食べるのですが、これと同じ量を釜山で食べたら10000Wくらい取られそうな気がします。全体的に済州島は物価が安いですね。
 その後、済州KALホテルのカジノをのぞきましたが、客は中国人ばかりであり、雰囲気だけ見て立ち去りました。
 それから三姓穴(2500W)に行きましたが、ここはタムナを作ったとされる三兄弟を祀った場所です。ジオラマ展示によると、今から4300年前、地面の穴から生まれ、原始的な暮らしをしていた三兄弟のところに、チマチョゴリを着た三人の女性が、五穀の種と家畜を持ってやってきて、三組のカップルが生まれてタムナを作ったとのことでした。
 しかしこの物語はあまりに虫が良く、時代考証も破綻しているため、史実を含んだ神話というよりは、竹取物語や韓流歴史物ドラマと同様にフィクションと捉えた方が良さそうです。屋内展示にあった三兄弟の服は、靴の紐がどう見ても20世紀以降に工場で作られたものでした。
 ちなみに三人が生まれたとされる地面の穴は24本の柱で囲まれていました。意図的に2の三乗×3という数字にしたのであれば、物語にちなんで3という数字を二つ忍ばせたことになり、なかなかの策士だと思いますが、多分私の考えすぎでしょう。
 その後、隣にあった済州民族自然史博物館(12月末まで入場無料)に入り、市外バスターミナルに戻る途中にあった食堂でキムチチゲ(6000W)を食べ、バス停から行きと逆方向の100番バスに乗って空港に向かおうとしましたが、乗る際に"airport"と言うと、バスの運転手が"No"と答えるため、諦めてタクシー(2800W)で空港に戻ってきました。
 預けてあった荷物を引き取ってからチェックインし、ラウンジで時間をつぶし、20:40のフライトでソウル金浦国際空港に向けて出発しました。到着後、地下鉄(1300W)に乗りかえ、ホテルに着いたのは23時でした。

 18日は、前日が朝5時前の起床であったため、十分な睡眠時間を取って朝9時に起床。10時にホテルを出発し、地下鉄(1000W)と空港鉄道(3800W)を乗り継いで、11:30にインチョン国際空港に到着しました。
 チェックインと出国審査を済ませ、プライオリティパスでMATINAラウンジへ。ここはシェラトンウォーカーヒル直営のレストランであり、ブッフェ形式の昼食を摂りました。13:40のフライトでインチョンを発ちましたが、帰りはエコノミークラスのままであったため、ビジネスクラスのシートに慣れた身には非常に狭く感じました。16時過ぎに成田着、ダイナースカードでIASSラウンジに入って時間をつぶし、18:25発の国内線で中部に帰ってきました。
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ネパール旅行記(11年11月) [海外旅行記]

今回は46カ国目、101回目の海外旅行です。
1月にANAの43000マイルを使って、スターアライアンス特典航空券を発券しました。その際に空港税やサーチャージなど総額19900円を別途請求されました。往路は関空発、バンコク経由、カトマンズ行き。岐路はカトマンズ発、バンコク経由、ソウル経由、中部行きです。ホテルは、5月にオクトパストラベルが一予約あたり500円の割引券を乱発していたので、それを使ってタメル地区のヘリテージホーム(2つ星、朝食付きで一泊2500円)を一泊2000円で2泊予約しました

出発当日の25日、19時名古屋発の近鉄特急デラックスシート(チケットショップで3600円)でなんばへ向かい、南海電鉄のラピートβ(1390円)に乗りかえて、22時過ぎに関空着。そこでカトマンズまでのチェックインを済ませました。

26日00:30発のタイ航空(以下TG)でバンコクに向かい、現地時間05:00到着。バンコクで一度出入国をすると700バーツの空港税を徴収されるため、その節約を兼ねてプライオリティパスでCIPラウンジに入り浸っていました。
再びTGに乗って、10:30バンコク発、12:45カトマンズ着。あらかじめ用意した写真と機内で配られたビザ申請用紙を提出し、25ドル支払って、入国時にビザを取得しました。
ところで今回はうっかりVISAカードを忘れてしまいました。VISAがあれば、少なめに両替しておいて、カードを併用しながら最後まで現地通貨の残高を調整できるのですが、その手が使えないと現地通貨が足りなくなった時点で支払い不可能になる恐れがあります。やむを得ず、少し多めに12000円両替したところ、12170ルピー(以下R)になりました。1円=1Rと思ってください。なお結果から言うと、一番の繁華街であるタメル地区には日曜夜までオープンしている両替所がたくさんあり、あとから不足分をこまめに両替しても何とかなると思いました。
空港のタクシーカウンターで100R払い、まずはパシュパティナート(入場料500R)へ。ここはガンジスの支流バグマティ川のほとりに建てられたネパール最大のヒンズー寺院です。川にはたくさんのゴミが流れ、腐臭が漂っていました。ここは火葬場をかねており、遺体を川のほとりの台に乗せ、材木や藁と共に火葬していました。火をつける直前まで遺体の顔が観光客に丸見えであり、その後上にわらを敷き詰めて火をつけるのですが、風下の高台で確認したら、材木や藁の燃える臭い以外に、電気メスを使ったときと同じ臭いが混じっていました。ちなみに火葬後の灰は川に流され、ガンジスまで流れていくそうです。
その後、タクシーに乗って旅行者の集まるタメルチョークへ(200R)。そこからホテルまで歩き、チェックインをしました。部屋に入ってから気付いたのですが、どうも先程の火葬の臭いが体に染み付いてしまった気がします。少し休んでから再び散策に出かけましたが、そのときには15時を廻っていました。タメルチョークからアザンチョークまで、最もネパールらしいと言われる通りを歩きましたが、確かに異世界へ迷い込んでしまったかのような独特の味わいがあります。ただしスズキの小型車や1970年代の古いカローラなどがたくさん走っており、排ガスによる大気汚染がひどいため、途中で喉が痛くなってしまいました。たまにきれいで立派な車を見つけたと思ったら、1989年型のカローラでしたw
今回は少し多めに両替してしまい、現地の物価を見て48時間ではとても使いきれないと悟ったこともあり、地球の歩き方に載っていた民族舞踊のディナーショーに二日続けていくことにしました。当日はバンチャ・ガール、翌日はボジャン・グリハという店に行くつもりですが、予約と場所の確認をかねて店まで歩いていきました。その後、カトマンズモールというショッピングモールに行きましたが、衣類や雑貨の店しかありません。カトマンズは停電がひどく、まともに電化製品を使えないからかもしれませんが、電気製品の店はあまり見かけません。
18:30に予約してあったバンチャ・ガールに行き、1100Rのセットメニューと350Rのエベレストビールを頼んだところ、税金やサービス料が上乗せされて1800Rでした。食前酒の後、前菜としてモモ(香辛料の入った小籠包のようなもの)やコリアンダーで味付けした植物の種などが出され、その後丸い金属のプレートの上に長粒米、チキンカレー、ほうれん草、豚肉の煮物、ピクルス、ミックスベジタブルを載せてもらいました。その後も私が食べる状況を見ながら、足りなくなったご飯やおかずを足してくれるため、ついつい食べ過ぎてしまいました。最後にヨーグルトのデザートで締めくくり、19:20から民族舞踊のショーが始まりました。全体的に見て、アクティブに動き回るスリランカのシギリアンダンスのテイストが2/3、指先の表現を大事にするタイのテイストが1/3混ざったような踊りでした。
帰りは食後の運動をかねて、20分ほど歩いてホテルまで戻ってきました。

前日が夜行フライトで疲れがたまっていたため、翌27日は8時前まで寝ていました。ホテル屋上でオーダー式の朝食を摂り、9時前にホテルを出発。徒歩で世界遺産のダルバール広場(300R)へと向かいました。ここには様々な建築様式の寺院が立ち並び、人々でごった返しています。
また、ここには生き神とされるクマリの家もありますが、このクマリはネワール仏教徒の僧侶の家系から初潮前の少女が選ばれ、親と別れて神としての振舞い方を教え込まれるそうです。このクマリは王室への預言を行う役目を担い、2008年に王室が廃止されるまで、王ですらクマリの前に跪いたそうです。でも現在の仕事は、誰かがお布施をしたら窓から顔を出し、肖像権関係なしに絵葉書にされるだけのようです。絵葉書で見る限り、小学校低学年くらいの年齢であり、選ばれた娘はなんとなく不憫です。初潮が始まれば次のクマリに地位を譲るのでしょうが、それで元の生活に戻れるのか疑問です。
広場の建物を一通り見て廻った後、徒歩で25分ほどかけて国立博物館(150R)へと行きました。ここには仏教美術のコレクションがありますが、モチーフは鼻の高い白色人種です。金属製の像は良いのですが、木製の像はそのほとんどが鼻の部分を削り取られていました。カンボジアのアンコール遺跡でも、時の王が仏教徒だったりヒンズー教徒だったりして、その都度それまでの芸術品が破壊されてきたそうですが、それと似た理由でしょうか? 地球の歩き方に載っている歴史を見る限り、偶像崇拝を否定するイスラムに支配されたことはなさそうです。
その後、再び徒歩でダルバール広場に戻り、ハヌマン・ドカ(旧王宮、250R)へと入りました。ここは三種類くらいの建築様式が組み合わさった長い歴史を感じさせる建物で、一番高い場所からはカトマンズの街並みを一望できました。王室に関する展示もあり、国王と昭和天皇が握手をする写真ではお互いに頭を下げていないのですが、皇太子(今上天皇)はかなり深く頭を下げて国王と握手していました。
王と天皇はイコールで、王>皇太子という位置づけでしょうか? そういえば最近来日したブータンのワンチュク国王は、取材陣の前で合掌しながらおじぎをするなど、国王らしからぬ腰の低さが印象的でした。
昼食は地球の歩き方2011に載っていたネワール料理のボエチャンに行くつもりでしたが、なぜか閉まっていたため、同じくネワール料理のベッレ・モモに行きました。マトンのモモにフライドチキン、スープ、ソフトドリンクがついたセットが250R、チキンケバブが230R、それに税金とサービス料がついて597Rでした。
 食後、ナラヤンヒティ王宮博物館(500R)へと行きました。ここは2008年の王室廃止まで実際に使われていた王宮で、燦々と日の差し込む天井の高い国王謁見の間が見事でした。裏には2001年に当時の皇太子が王や王妃ら王族を皆殺しにした後、右利きなのに左から銃弾を打ち込んで自殺した事件の現場がありました。この時、王の弟とその息子だけは無事で、王の弟が次の王に即位しましたが、いわくつきの即位であり、議会を廃止したりするなど傍若無人な行為が目立ち、2008年王室が廃止された次第です。
 15時過ぎに一度ホテルに戻って休憩し、16時半に再びダルバール広場まで散歩に出かけました。次第に日が沈み、ライトアップが始まる17:40までダルバール広場を見学し、それから前日予約したボジャン・グリハへと徒歩で向かいました。
食前酒、ポテトのカレーソース煮、モモ、豆のスープ2種類、ごぼうのピクルス、コリアンダー入りチキンカレー、キャベツのカレー煮、白身魚のフリッター、ほうれん草ソテー、長粒米、ヨーグルト、チャイのセットメニューにエベレストビールをつけて総額1600Rでした。18時半から民族舞踊のショーが始まり、20:15まで見たところで店を出ました。民族舞踊の中身そのものは前日と大きな違いはありません。その後、ホテルまで40分ほど歩いて帰ってきました。

翌28日はホテルで朝食を済ませてから、部屋に荷物を置いて8時にスワヤンブナート(200R)に向けて徒歩で出発しました。ここは小高い山の上に建つヒマラヤ最古の仏教寺院であり、麓まではホテルから20分ちょっとで到着しました。しかし標高差100メートルはある階段を登ると途中で息切れがしてきて、ここが標高1500メートル近いことを思い知らされます。
頂上には半球状のドームの上に人の顔が描かれた尖塔が建つストゥーパを中心に、土産物屋や博物館、寺院などがあり、サル、犬、鳩がたくさんいました。ストゥーパの周りには、マニ車と呼ばれるお経の書かれた金色の円柱があり、これを一回転させるとお経を一回読むのと同じ効果が得られるそうです。ネパールの他、ブータンやチベットにも同じものがありますが、私は「いつかチベットに行かないと死んじゃう病」の部分症状として、マニ車を見つけると回転させる習性があるので、ストゥーパ周囲のマニ車をすべて回しました。パブロフの犬は鈴の音を聞くとよだれを出し、私はマニ車を見ると回してしまうのです。
そこで70分ほどゆっくりしてから、10時のオープンにあわせて麓の自然史博物館(100R)へと向かいました。ここは大学の付帯施設であり、暗い倉庫のような場所に様々な剥製、ホルマリン漬けの標本、動物の骨などが所狭しと並べられており、夜中に一人では居たくない場所です。10分ほどでお腹いっぱいになり、そこから徒歩で35分ほどかけてホテルに帰ってきました。
ホテルでトイレを済ませてから(町中の汚いトイレを使うのにはかなりの抵抗があります)、チェックアウトして、近くでタクシーを拾いました。地球の歩き方には300~350Rが相場と書かれていましたが、300Rと500Rのせめぎ合いから値段交渉が始まり、結局450Rとかなり妥協してしまいました。それでも最終的に3700R使いきれずに財布に残ったので、個人的には構わなかったのですが、現地の運転手に日本人は言い値を払うという思い込みをさせないために、少しでも値切っておこうと思いました。
空港まではタクシーで約30分でした。チェックインと出国審査を済ませた後、プライオリティパスでエグゼクティブラウンジに入りましたが、ここにはチキンやマトンなどのネワール料理、サンドウィッチ、フルーツの他、たくさんのアルコール類がありました。
ここから先は、飛行機に乗っては着いた先でプライオリティパスを使う、ラウンジモードに突入です。私はバンコク、ソウルともこれまでに何度も訪れており、6時間強の乗り継ぎ時間で行きたい場所も特になかったので、無料のラウンジで食べ物や酒をつまんで寛ごうと思ったのです。
まずはTG便で13:50カトマンズ発、18:25バンコク着。バンコクのCIPラウンジは一回に2時間までしか滞在できないため、3箇所をハシゴして時間をつぶしました。

翌29日、アシアナ(以下OZ)便で00:50バンコク発、08:00ソウル着。ソウルではMATANAラウンジで朝食を摂り、シャワーを利用してから、Hubラウンジへ移動。そこでフライト間際まで時間をつぶしましたが、これらのラウンジはプルゴギや白キムチ、サラダ、スープ、チャーハンなどをビュッフェ形式で自由に食べられるようになっており、アルコール類もあるため、私は半日いてもまったく苦になりません。というか、そもそも苦にならない時間をすごすためにラウンジがあるわけで、ラウンジに入り浸る目的でこのスケジュールを組んだわけですが・・・。
OZ便で15:00ソウル発、16:45中部に到着しました。

こうして無事に帰って来たところで一言。
「僕は死にましぇーん!」
いや、101回目の海外旅行だったのでただ何となくです。古いネタですみません。
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マニラ旅行記(11年10月) [海外旅行記]

今月は4回目のマニラ旅行です。
前回の旅行記(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2010-10-12)を読んでいただいた前提で話をしますが、今回は前回とよく似たリピート旅行です。
2月にデルタ航空の2万マイルを使って発券し、セントレアの空港税2500円を別に払いました。アメリカ系航空会社の特典航空券なので燃油サーチャージは必要ありません。
ホテルは前回と同じく、四つ星のパールホテルです。5月頃、オクトパストラベルが割引券を乱発していたため、それを使って3泊朝食付きを9000円で予約できました。往復も前回と同じく、エイビスの送迎(37.92ドル)を利用します。

21日、18時半過ぎにセントレアに到着し、楽天プレミアムカードでラウンジへ。この時間帯、プライオリティパスやダイナースカードではビジネスクラスラウンジに入れません。
出発は定刻の20時より10分早まり、マニラのアキノ国際空港には現地時間の22:40に到着しました。入国審査の行列に並び、23:10に入国。1万円を5200ペソ(以下P)に両替し、レンタカー会社の窓口から送迎車に乗り、23:50 ホテルに着きました。

22日は朝8時に置き、ホテルで朝食。マニラ近郊にはあまり魅力的なエクスカーション先がないため、市内をぶらぶらと散策して過ごす予定です。
まずはフィリピン各地の建物を移築したナヨン・ピリピーノに行こうと思い、高架鉄道でU.N.アベニュー駅からエドサ駅まで移動(15P)。そこからタクシーに乗りましたが、最初200Pと吹っかけてメーターを入れようとしません。それなら止まるように抗議したところ、やっとメーターを入れてくれました。確か昨年の時点では初乗り35Pで、メーターの他に10Pのサーチャージが追加請求されるはずでしたが、今回メーターは40Pから始まりました。これに10Pのサーチャージを追加で払う必要があるのかよく分かりません。メーターで110Pだったので、150Pを出しておつりでさりげなく確認しようとしたところ、つり銭がないと言い出したので、あきらめて120Pを渡して降りました。
10年近く前に来たときは、フィリピン各地の美しい景色がミニチュアで再現され、見ごたえのあるテーマパークだったのですが、すぐ隣に空港の滑走路を作るため、その8割以上が削り取られ、今ではほとんど何も残っていません。
帰りは黄色いタクシーの運転手が声をかけてきました。初乗り70Pでメーターの上がり方も早い気がします。それを指摘したところ、空港のイエローキャブで普通のタクシーとは違うと言います。たしかに空港から市内への移動は、割高でも普通のタクシーより安心できるイエローキャブを使ったほうがよいという書き込みをどこかで見た記憶があり、車体の色は普通のタクシーと違って黄色です。いわゆる値段の高い高級タクシーに乗ってしまったのでしょう。帰りは行きと同じ区間で230ペソ(一の位は切り上げ)でした。
そこから高架鉄道でアヤラ駅へ(10P)。ここはマニラ髄一のショッピングセンターが集う町です。散策していたところ、突然50代の男性が笑顔で近づいてきました。"Hello, I am your hotel's staff"と言いながら、握手を求めてきます。"What hotel?" と聞き返したところ、適当な方向を指差してごまかそうとしました。もう一度問い詰めたところ、"Dusit Thani"と答えたので、"No, good-bye" と言って立ち去りました。あっけに取られてこの男の言いなりになると、「後で返すから金を貸して欲しい」と言われるか、睡眠薬入りの食事をご馳走になってしまうかのどちらかだったでしょう。
私のブログの顔にもなっているジョリビーに敬意を表して、昼食はそこで摂りました。ビーフン風のヌードルにドリンクがついて78Pでした。その後アヤラ博物館(425P)に行きましたが、ここではフィリピンの歴史が順を追ってジオラマで展示されていました。原住民が暮らしていると、中国人が来て、スペイン人が着て、アメリカ人が着て、それから旧日本軍が来て、という歴史が分かりやすく展示されており、上の階ではモダンアートの展示もありましたが、これで425Pというのはやや高い気もします。
その後、スーパーで大好物のドリアンを見つけ、屋外に出て人気の少ない場所で食べました。昼は軽めのはずだったのに、これで一気に腹が膨れてしまいました。帰りは行きと同様に高架鉄道を乗り継いで、25PでU.N.アベニューまで帰ってきました。
その後ホテルで休み、18:40に夕食に出かけました。行き先は前回と同じザンボアンガです。途中の屋台でゆで卵の山を見つけたため、「バロット?」と聞くと店の人がうなずきます。これはアヒルの有精卵のゆで卵で、日数がたつほど中身がピヨピヨしてきます。一個13Pで買って食べましたが、まだかなり初心者向けの状態であったため、私としては拍子抜けでした。もっとこう、殻を割ると同時に肉汁があふれ出すような上級者コースを期待していたのですが・・・。
19時に店に着き、カレカレとザンボアンガライス、ビールで781Pでした。前回まで何となく苦手だったカレカレですが、今回は慣れたのか、あまり抵抗なく食べることができました。20時半からの民族舞踊のショーを見た後、明るい大通りを歩いて帰ってきました。

23日も朝8時からホテルで朝食を摂り、9時出発。イントラムロス内を散策し、途中、地球の歩き方に乗っているイラストラードというスペイン統治時代の面影が残るカフェでマンゴのフローズン・スムージー(197P)を飲んでクールダウンしました。
その後、カーサ・マニラ博物館(75P)でスペイン人の金持ちの家を見た後、マニラホテルに向かいました。私の中では、ここのメインダイニングでのランチが今回の旅行のハイライトでした。しかしいつの間にか日曜休業になっており、その日は入り口が閉まっていました。日曜日以外なら1000P++でランチコースを食べられるようです。
仕方なく、地球の歩き方に乗っていた近くの海上レストラン(パンタラン・マニラ)へと向かいました。ここは海にせり出した桟橋の上にテーブル席があり、海風に吹かれながらシーフードを食べることができます。私は deep grilled oyster(貝殻つきの牡蠣にチーズを乗せて焼いたもの8個)と本日のスープ(カニの身が入ったクラムチャウダー)、ガーリックライス、ビールを頼んで466Pでした。偶然にも牡蠣とガーリックライスの組み合わせが絶妙で、マニラホテルの無念を晴らすことができました。
その後ホテルで休み、17時に再び夕食のために出かけました。近くにあるロビンソン・コマーシャル・コンプレックスに出かけ、そこを散策した後、1階にあるCABALENというフィリピン料理のバイキングの店(368P)に入りました。レチョン(豚の丸焼き)を切り取って皿の上に並べたものやカレカレなど、定番のフィリピン料理があり、十分満足できました。

翌24日は朝4時にエイビスの送迎車に迎えに来てもらい、6:45発のフライトで名古屋に帰って来ました。

さて、私の海外旅行暦も今回でようやく100回となりました。11月はカトマンズ、12月は釜山~ソウル、1月は釜山、2月は北朝鮮に近い中国の延吉、3月はハバロフスク、4月は中国内陸の銀川、5月はクアラ・ルンプール、6月はマニラ。一応ここまでは発券済みです。

ところで話はまったく変わりますが、最近ニュートリノが光速を超えたニュースが話題になっています。しかし相対性理論によると、光速を超えた物質の質量や長さは虚数になってしまいます。私は必ずしも超光速の物質を否定する立場ではありませんが、それ(虚数の存在)を我々が観測できるのかという点で否定的な立場です。
ローレンツ変換によると時間と空間は速度によって変化し、それを表現するのが高校数学で出てくる行列です。もし仮に質量も長さもなく周りの状態を認識できる存在があったとして、それが光速になると時間は止まり、時間と空間の概念が曖昧になります。そして光速を超えると時間と空間が入れ替わるため、時間は空間と同じ三次元である、というのが高校時代からの私の仮説?です、もちろん時間はエントロピーが増大する方向にしか流れないため、我々の認識する時間が逆行することはないのですが、過去に戻って自分の先祖を殺すと自分も消えてなくなると言うSFのタイムパラドックスは、時間を一次元としか認識できない故の誤りだとずっと思っていました。相対性理論における四次元空間の二点の距離を求める公式を見たら、時間は空間に対して虚数の存在であり、虚数は実数という一次元では表現できない複数次元の存在であると気づくと思います。
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