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ソウル旅行記(15年2月) [海外旅行記]

今回はソウルへの旅行です。
昨年4月にJALの18500マイルを使って下記特典航空券を発券しました。
DAY1 JL3082 NGO 0825 NRT 0935
DAY1 JL959 NRT 1835 ICN 2130
DAY3 JL954 ICN 1340 NRT 1605
DAY3 JL3087 NRT 1825 NGO 1940
JL、NGO、NRT、ICNはそれぞれJAL、名古屋、成田、ソウルの略であり、行きはビジネスクラス、帰りはエコノミークラスです。成田のJALサクララウンジを初日に朝から晩まで使い倒すのが一番の目的で、ソウルに行くのはそのオマケです。なおサーチャージや空港税など10320円を別途支払いました。
ホテルはExpedia で Vestin Residence Myeongdong (軽朝食付き、2泊で10906円)を申し込みました。

初日、セントレアでソウルまでのチェックインを済ませ、保安検査後に国内線ラウンジに入りました。国際線がビジネスクラスだと利用できますが、カードラウンジに毛が生えた程度の代物です。
成田到着後、すぐにサクララウンジに入って朝食をとりました。ここのスクランブルエッグはいつ来ても美味ですが、半熟卵を食べられる日本の衛生環境のおかげです。食事コーナーの他に、ドリンクとスナックのコーナーもあり、無料マッサージやシャワールームも利用でき、ネット接続も可能で、私にとって丸一日快適に過ごせる環境です。15時からオープンするバーでオリジナルカクテル「サクラ」を飲み、定刻通り搭乗し、ソウルに到着しました。
空港からは空港鉄道(4050w)と地下鉄(1150w)を乗り継ぎ、以前にも泊まったことがある宿泊施設に到着しました。この辺は通い慣れた道です。

2日目、9時前に宿泊施設を出発し、行きつけの神仙ソルロンタンでソルロンタン(牛肉入り白湯スープ、7000w)を食べてから、地下鉄(1150w)で三成駅の近くにある第2ロッテワールドに行きました。
この第2ロッテワールドは当初36階建ての複合施設として設計され、時系列的には基礎工事が始まった後に123階建てに設計変更されました。まだ上層部は建造中ですが、隣接するショッピングモールはオープンしています。しかしこれまでにもモール内の水族館で水漏れがあったり、天井の一部が落下したり、床や壁にひびが入ったり、ドアが開かなくなったりのトラブル続きで、地元民からも「いつか崩落しそうで行きたくない」と言われています。
ビル側の説明では「このひび割れはデザイン」とのことですが、いかにも無理のある強弁です。セウォル号といい、このビルといい、完成して数年でひび割れだらけになる新生南大門といい、どうして韓国にはこのような欠陥が多発するのか、その理由を考えてみました。
韓国人の国民性といえば、強い者に媚びる事大主義、そして常に自分は正しくて他人が悪いと考える卑劣さが挙げられます。自己評価が無駄に高いのも特徴です。韓国には「ケンチャナヨ」という言葉があり、「大丈夫、なんとかなる」という意味で使われます。これと似た意味の言葉として、沖縄の「なんくるないさー」、タイの「マイペンライ」などがあります(スペインの「ケセラセラ」は少し別のニュアンスでしょうか?)。しかしこれらが南国特有の大らかさから派生した言葉なのに対し、韓国の「ケンチャナヨ」は「自分は悪くない」という責任逃れの言葉だと思われます。実際に韓国には人格障害のクレーマーが多いのですが、相手を攻める側に回った場合、彼らは相手に対するわずかな不満で激高し、とことん責め立てます。「ケンチャナヨ」は通用しません。ナッツリターン航空のナッツおばさんが良い例ですね。
その一方で「自分は常に正しい」を貫き、反省もせず、失敗から学習もせず、いい加減な仕事をしても強弁を繰り返し、低レベルな事故を繰り返してしまいます。「ケンチャナヨ」はあくまで自分の仕事ぶりを正当化するための方便に過ぎません。
これを国レベルで適用すると、「常に韓国が正しくて日本が悪い」という宗教が生まれます。韓国人にとって、この教義は、イスラム教徒にとってのコーランと同じくらい絶対的なものです。この教義を守るためであれば、都合の悪い過去を隠し、都合の良い新説を生み出し、自国の歴史を嘘で塗り固めることも厭いません。「ビッグバンの起源は韓国」と中国人に揶揄されるくらい、すべての起源を主張するのも日常茶飯事です。
つまりこの教義を守り抜くために、韓国人は嘘つきになってしまうのです。いや、彼ら自身は嘘つきだという自覚すらありません。教義に沿って創造されたファンタジーを心地よく信じているだけですから。そして彼らの教義に従えば、それに異を唱える(真実を語る)日本人は、歴史を直視しない(韓国人が創作したファンタジー史を信じない)悪い日本人だということになります。ますます彼らの耳に都合の悪い真実は届かなくなります。
一方の日本人は、原始宗教である精霊教の信者です。他人に迷惑をかけることを良しとせず、悪いことをすると罰が当たるという価値観をどこかで引きずっています。
とある大学の教授が、講義で「迷信を信じない人」に挙手させたところ、数人の学生が手を挙げました。そこでその学生たちにお守りを渡し、ハサミで切るように言ったところ、実際にはすべての学生が躊躇し、できなかったそうです。
悪いことをして罰が当たるのであれば、普段からその行いを観察している存在が必要です。そして心のどこかでそれを信じている日本人は多いと思います。亡くなった人が空の上から見ている、神様や仏様が見ている、など言い方は様々ですが、悪いことをしないよう見守っている「精霊」の目を意識して、清く正しく勤勉に生きる人の割合は、世界中で日本が一番高いと思います。それゆえ東日本大震災の直後にも大きな暴動が起きず、海外から賞賛される民度を発揮できたのでしょう。
以上述べた日韓の国民性を考えれば、韓国の建造物がすぐに崩落し、日本の建造物が崩落しにくい理由も説明できそうです。そしてこの両者が交われば、「お前が悪い」という韓国人と「そうなのかな?」と弱腰になる日本人の構図が生まれます。ネットの普及と韓国大統領による罵詈雑言のおかげで、最近ようやく日本人が真実を知るようになり、「さすがにここまで言われる筋合いはない」と静かに嫌韓が広がってきました。
しかし韓国人に対する嫌悪感のあまり「韓国がすべて悪い」という価値観で思考停止すれば、彼らと同レベルになってしまいます。不愉快な部分も正視し、論理的かつ多くの知見を背景として、より的確に韓国人を見下せるようになりたいものです。
彼らは、相手が譲歩するとすぐ図に乗ります。儒教をこじらせ、自分と相手のどちらが上かという脳内秩序にばかり目が行くからです。そこで彼らに誤解されないように、上から目線で見下してやるのが正しい接し方です。日本人の感性にはそぐわないのですが、この広い世界には色々な価値観があり、相手に合わせて付き合い方を変える必要があるので、仕方ありません。対等という価値観のない韓国と対等につきあいたいと考えるなら、それは自分の価値観を相手に強要するエゴに過ぎません。下手に出れば際限なく増長します。ならば見下すより他に正しい接し方はありません。
というわけで話が長くなりましたが、この第2ロッテワールドは韓国人をより的確に見下すために避けることのできない場所です。123階まで完成したら怖くて立ち寄れませんが、今のうちなら何とかなりそうです。
ちょうど10時半のオープン時に到着し、整形美女たちから「カムサハムニダ」と恭しくお辞儀をされながら入場しました。内部はとても綺麗で美しく、閑古鳥が鳴いています。水漏れのあった水族館は昨年末から閉館になっていました。モール内はとても綺麗ですが、トイレにトイレットペーパーを流すと詰まってしまうため、ゴミ箱に捨てないといけません。上辺だけを繕い、虚飾に彩られた韓国人に相応しいバベルの塔です。
内部を見て回っているうちに正午を過ぎたので、地下のフードコートで鳥カルビ丼(9000W)を食べました。味とボリュームは満足でしたが、丼に載せられた韓国海苔から長さ2センチほどの針金が出てきました。これでこそ安定の韓国クオリティーです。
その後、地下鉄でサムソン駅に移動し(1150w)COEXショッピングモールを見て回りました。こちらは多くの人でごった返し、地下にある水族館(22000W)にも入場のための長蛇の列ができていました。場合によっては入場しようと思っていたのですが、行列を見て断念。地下鉄で明洞に戻り(1250W)、行きつけの店でスンデ(腸詰め、3500W)を食べて帰ってきました。

3日目、前日と同じ神仙ソルロンタンで朝食をとり、一度部屋に戻ってから、9時半にチェックアウト。地下鉄と空港鉄道を乗り継ぎ、出国審査後にプライオリティパスでスカイハブラウンジとナッツリターン航空のラウンジをハシゴしました。前者で無料のプルコギを食べられるので、最近は韓国国内で肉を注文したことがありません。
ソウル出発後、成田乗り継ぎで無事に名古屋に帰ってきました。
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香港旅行記(15年1月) [海外旅行記]

今月は香港に行ってきました。
昨年4月、ANAの一部マイルの有効期限が迫っていたため、下記特典航空券を発券しました。所要17000マイル+18720円(うちサーチャージ14000円)です。これまでサーチャージが高い時期をサーチャージ不要のマイレージプラス特典航空券で乗り切ってきましたが、今回ばかりは仕方ありません。ただし昨今では原油価格の下落に伴い、サーチャージの基準となるシンガポールケロシンも下がっており、今年4月以降の発券であればサーチャージもかなり安くなりそうです。
NH1241 NGO 0930 HKG 1320
NH1242 HKG 1410 NGO 1910
NH、NGO、HKGはそれぞれ全日空、名古屋、香港の略です。
また香港での宿泊施設として、Booking.com で和平賓館(素泊まり2泊で848香港ドル、以下H$)を予約しました。ここはバックパッカーの聖地である重慶マンション内にあります。無線LANと専用シャワールームがあれば十分と思っていましたが、治安や防災面を考えると少しケチりすぎたかもしれません。香港で宿泊するのはこれで5回目ですが、旅慣れるに従ってなぜか宿泊料金が安くなってきました。


初日、前もってWEBチェックインを済ませてあったので、セントレア到着後すぐに出国審査を済ませ、プライオリティパスでラウンジに入りました。
香港到着後、A21バス(33H$)で都心部に向かい、歴史博物館(10H$)前で下車しました。ここでは香港の自然、文化が歴史順に展示されており、香港に対する基本的な理解が深まります。あちこちでビデオ上映もあり、見学に要した時間は100分ほどでした。
その後、カオスの巣窟とも言うべき重慶マンションに向かいました。辺りには独特の香辛料の匂いが立ちこめ、インド人とムスリムが怪しげな電化製品の店を開いています。私が泊まる施設はその5階に受付があり、客室は7階にありました。重慶マンション内には両替商も数多く入っており、私の知る限りでは一番レートの良い店がここに集まっています。
部屋に荷物を置き、少し休んでから再び散策に出かけました。近くの店で牛肉飯(45H$)を食べ、チムシャツォイの海岸から対岸に見える香港島の夜景を楽しんでから部屋に戻ってきました。

2日目、7時過ぎに出発したところ、近くの飲食店は軒並み閉まっていました。昨日の喧噪が嘘のようですが、夜眠らない街は朝眠っていました。仕方なく24時間営業のマックでマフィンバーガーのセット(28.3H$)を頼みました。
この日は香港島をメインに巡る予定です。チムシャツォイから地下鉄で天后に向かい(12.5H$)、そこから中環まで徒歩で散策し、帰りはフェリーに乗るつもりです。
天后駅を出てビクトリアパークに向かうと、高齢者は太極拳に、若者はバスケットやランニングに興じていました。その広大な公園を通り抜け、コーズベイウェイ駅の近くで粥の店を見つけました。途端にマックで食べたことが忘れ去りたい黒歴史になり、ここで海鮮粥(34H&)の朝食をとりました。なぜか普段より満腹ですが、歩いて消化することにします。
この辺りは下町といった風情で、香港でお馴染みの二階建てバスが連なるように走っています。歩を西に進めていくとワンジャイ駅にたどり着き、その南に広がる庶民の市場を冷やかしました。生きた鶏の隣で鶏肉を捌くのは中華圏の特徴ですが、それ以外の雰囲気は東南アジアや韓国と似ています。
さらに西に歩くと香港公園が見えてきました。噴水や滝が豊かな水をたたえる美しい園内を巡り、百万ドルの夜景を望むビクトリアピークへと上っていくトラム駅を超え、香港動植物公園へと向かいました。猿、鳥、亀が飼育されており、鬼ヶ島に向かうには面子不足ですが、無料で入場できる市民の憩いの場になっていました。
そこから西に行くと、中環から山へと上っていく長いエレベーターにぶつかります。とりあえず一番上まで行ってから、下りてきました。この辺りには洋食の店が多くありますが、せっかくなので道中にある中華の店に入り、蒸し鶏とチャーハン、コーヒーのセット(66H$)を頼みました。その頃には朝に満腹だったことを胃袋もすっかり忘れていました。
その後、フェリーターミナルの隣にある香港海事博物館(30H$)に入場。博物館好きなので何となく入っただけですが、船の模型と絵画、船に関する小物類を延々と見せられ、自分がそれで幸せになれるほど船好きではないことに気づきました。そこからはスターフェリー(2.8H$)で重慶マンションに帰ってきました。すでにデモの形跡はどこにも残っていないようです。
一度部屋で休憩してから夕食に出かけ、近くのフードコートで海南ライス(51H$)を食べてきました。これはシンガポールの料理で、蒸し鶏とそれでダシを取ったライスを一緒に食べるものです。私の好物であり、見つけた瞬間にその日の夕食のメニューが決まりました。
再び部屋に戻って小休憩し、19時半に出かけました。毎晩20時からチムシャツォイの海辺で、光と音のショーが開催されるのです(無料)。20分前に着くと、すでに人だかりができていました。ショーは定刻通り始まりましたが、元々にぎやかなライトアップに彩られているので、あたりに響く音楽とアナウンスがなければ、ショーとは気づかないレベルです。いくつかのビルの屋上から夜空めがけて光の束が行き交っていました。ちなみにこの光熱費にしろ、香港公園の噴水にしろ、香港動植物公園の維持費にしろ、かなりコストがかかっていると思われます。香港の財政にはかなり余裕があるのかもしれません。

3日目、前日より遅く出発し、7時半オープンの吉野家に向かいました。吉野家は香港や中国本土、台湾にも店舗を構えており、これらの店ではやや中華寄りのメニューも用意されています。結局、ご飯と牛皿、温泉卵のセット(23H$)を頼んだのですが、ご飯には海苔がふりかけられ、温泉卵には醤油がかかっていました。なんとなく日本国内以上に日本の味を前面に出している気がします。
店の外に出ると、ちょうどこの日はマラソン大会だったらしく、ネイザンロードは多くの参加者であふれていました。
荷物を引き払って10時にチェックアウトし、いざバスに乗ろうとしたところで、ネイザンロードを走る空港バスがマラソン大会の影響でルート変更していることを知りました。仕方なく九龍駅まで歩き、そこからエアポートエクスプレス(90H$)で空港に向かいました。値段は割高ですが、電車に乗る前に専用のチェックインカウンターで手続きを済ませられるのは楽です。
結局、11時半には出国審査を済ませてラウンジに到着しました。ここで昼食を済ませ、定刻通り搭乗し、無事セントレアに帰ってきました。
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張家界旅行記(14年12月) [海外旅行記]

今回は映画「アバター」に出てくる景観のモデルになった中国の世界自然遺産、武陵源に行ってきました。この最寄り都市が張家界です。
昨年1月にマイレージプラスの22500マイルで下記特典航空券を発券しました。空港税は別途86.1ドルです。
・11月の光州復路
DAY1 CA160 NGO 0900 PEK 1135
DAY1 CA1359 PEK 1835 DYG 2120
DAY3 CA1360 DYG 2210 PEK 0040 +1
DAY4 CA159 PEK 1700 NGO 2100
CA、NGO、PEK、DYGはそれぞれ中国国際航空、名古屋、北京、張家界の略であり、1135は11時35分を指します。
またCtrip で張家界の Flower of The Peace International Hotel(5つ星、朝食付き2泊で476元)、北京の Hotel Ibis Beijing Sanyuan(3つ星、素泊まり1泊で339元)を予約しました。


旅行初日、セントレアで張家界までのチェックインを済ませ、プライオリティパスでラウンジに入り、朝食をとりました。機内はほぼ満席で、そのほとんどが中国人です。訪日中国人が増えているというニュースを実感できました。
北京に到着すると、いつも通り白濁したPM2.5色の空が広がっていました。あまり外を出歩く気にもならず、そのまま国内線のラウンジに直行しました。
張家界到着後、地球の歩き方(中国2013)には空港から市内へのアクセスはタクシー(約40元)しかないと書かれていましたが、市内行きの無料バスを発見しました。とりあえず乗ってみたところ、民航大酒店の前に到着。そこから自分のホテルまでタクシーに乗ったところ、値段交渉性で20元でした。ホテルの部屋に着いた時には23時を回っていました。

2日目、ホテルで朝食をとり、8時過ぎに出発。今回のホテルは駅前のバスターミナルに近いという立地で選んでいます。バスターミナルまでは徒歩で、そこから武陵源行きのバス(12元)に乗りました。チケットを買わずに乗り込み、走り出してからスタッフの女性に料金を支払うシステムです。9時半過ぎに武陵源バスターミナルに着き、太陽の位置と時刻から方角を割り出し、地図を見ながらチケットオフィスに向かいました。
世界自然遺産・武陵源風景区の入場料は夏248元、冬139元です。それぞれ4日間有効で、風景区内のバス料金が含まれています。この日はバスルートに沿って風景区を一周する予定です。このバスルートは途中何カ所かで途切れていますが、有名な観光スポットを通り過ぎないための配慮だと思われます。
まずは武陵源ゲートからバスで天子山ロープウェイ麓駅に向かいました。ロープウェイ(67元)で山頂に向かっていくと、前方にアバターの景色が広がり始めます。否が応にも気分は高まってきました。山頂に着いて周りを見渡すと、「どう見てもアバターです。本当にありがとうございました」という言葉しか出てきません。巨大な石柱が林立し、その頂上には樹木が茂り、それらすべてが霧の中にかすんでいました。あとは一部の石柱に飛行石を取り付けて宙に浮かせれば完璧です。
その景色を堪能した後、バスで賀龍公園に向かいました。ここでもアバターの景色を堪能し・・・・・・というかこの景色が延々と続くので、ある意味ワンパターンです。賀龍公園から天子山駅まで歩き、そこから再びバスで天下第一橋に向かいました。ここの見所はなんと言っても天下第一橋です。隣接する2本の巨大な石柱の頂上がなぜか橋のようにくっついており、その上を普通に歩くことができます。最初なにも知らずに散策コースを歩き、後からそのからくりを知った時には足がすくみました。落差数百メートルの断崖絶壁に架けられた巨大な石橋で、重力を無視した感じがよりいっそうアバターを彷彿とさせます。
そこから迷魂台まで歩き、バスに乗って百龍エレベーター山頂駅に向かいました。ここでは落差数百メートルの石柱の上から下までエレベーター(72元)で移動しますが、下の方は岩山に入って視界が閉ざされてしまい、あっという間でした。下に着くと、これまで見下ろしていた石柱群を見上げることになります。百龍エレベーター麓駅からバスに乗り、十里画廊で乗り換えて、武陵源ゲートに戻ってきました。時刻は16時です。
武陵源バスターミナルから張家界中心バスターミナル行きのバスに乗り、到着後にターミナル横のフードコートで麻婆豆腐とご飯(12元)の夕食をとりました。山椒が利いており、成都で食べた陳麻婆豆腐を思い出させますが、そこまでのパンチはありません。ただし日本人にはこのくらいの方が食べやすいかもしれません。
超市(スーパー)で土産物や水などを買い込み、ホテルに帰ってきました。

3日目、朝食後にホテルをチェックアウトし、荷物を預けました。この日は夜遅くなるので前日より30分遅い出発です。バスターミナルから森林公園行きのバス(10元)に乗りました。この路線は生活路線になっているらしく、農作物や農具を持った人たちが頻回に乗り降りしていました。
10時過ぎにゲート近くのバス駐車場に着き、前日のチケットで入場。張家界国家森林公園ゲートから入るとすぐのところに太陽広場があります。整備された庭園の後方に前日見た石柱群がそびえ立っていました。そこからバスで黄石さいロープウェイ乗り場に向かい、ロープウェイ(65元)で山頂駅に行きました。ここには1周1.6キロの環状遊歩道があり、その周囲にはいくつかのビューポイントがあります。前日見た石柱群をこの日も幾度となく俯瞰しました。途中の売店で簡単な昼食を済ませ、下りは先ほどの太陽広場まで歩いて下りることにしました。正直なところ侮っていましたが、どこまでも下り階段が続くと膝が笑いはじめます。汗だくになって太陽広場に着いた時にはほっとしました。
そこから川の流れに沿って、約6キロの平坦な遊歩道が伸びています。金鞭渓景区と呼ばれており、一見ありふれた清流沿いの遊歩道ですが、上を見るとアバターの景色が広がっています。この不思議な光景を十分に堪能し、遊歩道が終わったところにあるバス停からバスに乗って、前日と同じ武陵源ゲートにたどり着きました。時刻は16時前です。そこからは前日と同じルートで張家界バスターミナルに戻ってきました。
前日と同じフードコートに入り、店の人が勧める川魚の味噌煮と大根のスープ(ライスはサービスで計30元)を頼みました。値段はこの店では高価な部類ですが、日本円で500円ちょっと。味は良かったので良しとます。
食後、ホテルで荷物を引き払い、タクシーで空港に向かいました。最初に30元と言われ、目安が40元と思っていたので素直に払ってしまいましたが、ダミーで動かしていたメーターを見ると10元弱でした。
空港にはフライトの4時間前に着き、読書でもしながら時間を潰すつもりでしたが、なんと暖房が入っていません。防寒具を着込み、寒さを紛らわせることに精一杯でした。
しかも出発が定刻より遅れ、北京に着いたのは翌日の0120です。空港から夜間バス(15元)に乗って三元橋で降り、ホテルの部屋に着いたのは0230でした。

4日目、ホテルで朝食(30元)をとり、荷物を預けて10時に出発しました。この日のフライトは夕刻なので、それまでに円明園に行く予定です。地下鉄(一律2元)で円明園駅に向かい、出口からすぐのところに入場門がありました。25元のチケットを買って中に入ると、広大な中華風庭園のあちこちに巨大な池が散在しています。元々は清朝の離宮で、池に浮かぶ島の上に宮殿が建てられていましたが、第二次アヘン戦争の際に英仏によって破壊され、今は土台しか残っていません(説明文には破壊した相手に対する恨みが書かれていなかったので、それを読んだだけでも日本が破壊したのではないと分かります)。再奥には洋風宮殿の残骸がありました。感想としては一度見たら十分です。
地下鉄で三元橋駅に戻り、ホテルで荷物を引き払ってから空港鉄道(25元)で空港に向かいました。北京首都空港ではいつも通りプライオリティパスでラウンジに入り、無事名古屋に帰ってきました。


今回は2日に渡って張家界・武陵源の主だった場所を見て回りましたが、初日のルートだけでも8割がた満足できると思いましたので、参考までに。
なお今回を以て、マイレージプラス改悪前に発券したチケットを使い切りました。1年間、特典航空券だけを使って毎月海外旅行に出かけるというチャレンジにも成功したことになります。
1月は香港、2月はソウル、3月はサイパン、4月は台北、5月は重慶への旅行を予定しています。
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光州旅行記(14年11月) [海外旅行記]

20歳の韓国人男性の45%に対人関係障害の可能性があるという報告があります。自分の性格に問題があると気づきにくく、対人関係に支障があり、周りの人々を苦しめ、自分の問題を他人や社会のせいにし、極端な反応を示します。
ttp://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2003021117138
平たく言えばクレーマー気質です。韓国社会では、声を大にしてわがままを通す人間が生存に有利だったのでしょう。アフリカでは足が速いことが生存に有利であり、ユダヤ人は賢いことが生存に有利に働きました。必然的にそのような個体が子孫を残しやすいので、民族の特性になっていきます。韓国には「泣く子はアメをたくさんもらえる」という趣旨の諺もあり、ごね得という価値観が社会に根付いています。
私の体感的にも「韓国人の半分弱はクレーマー」だとしたら、頷けるものがあります。そんな人間に謝罪と賠償をしようものなら、ますます増長するだけです。
以前、韓国で「日本統治時代は良かった」と語る老人を若者が撲殺する事件が起きました。その時代を懐かしむのは教育水準が低くて日本が戦前に何をしたのか知らないからだと幼少時から洗脳し、「日帝=絶対悪」という価値観を刷り込み、そう信じることがエリートの必要条件になっています。一部の人がそれに疑問を呈しても、人前では口にできない風潮があります。
一方でアジア人や黒人に対する差別意識が強く、光州が位置する全羅道は韓国内で「外国」と揶揄されてます(光州民主化運動でググって下さい)。
前振りが長くなりましたが、今回はそんな光州への旅行です。ヒャッハー!
安全のため、現地ではユニクロの上下を着こんで目立たず、英語しか話さない国籍不明の人になる予定です。そうは言っても中国人だと誤解されたら見下され、日本人だとばれたら食事に唾を入れられる恐れがあるので、難しいところですが……。

今年1月にマイレージプラスの45000マイルを使い、下記の特典航空券を発券しました。空港税は別途170ドルです。
・10月のフフホト往復
DAY1 OZ121 NGO 1140 ICN 1340
DAY1 OZ8707 GMP 1740 KWJ 1830
DAY3 OZ8704 KWJ 1110 GMP 1200
DAY3 OZ124 ICN 1500 NGO 1645
・12月の張家界往復
OZ、NGO、ICN、GMP、KWJはそれぞれアシアナ航空、名古屋、ソウル仁川、ソウル金浦、光州の略です。
またBOOKING.COMでPedro’s House(朝食込み、2泊で10万W)を予約しました。

旅行初日。セントレアでは仁川までのチェックインしかできず、プライオリティパスでラウンジを利用してから搭乗しました。
仁川到着後、空港鉄道(3650W)で金浦へ。ちなみに仁川空港の両替所では100円→890Wですが、金浦空港国内線ターミナル1階の両替所では940Wでした。町中の銀行や両替所も、仁川よりはレートが良いはずです。金浦で光州へのチェックインを済ませ、プライオリティパスでアシアナラウンジに入りました。
光州には30分近く遅れて到着しました。空港から地下鉄駅まで400メートルほど歩き、地下鉄(一律1200W)でサンチョン駅へ。そこからアンドロイド端末のナビ(MAPS.ME)を使ってペドロズ・ハウスにたどり着きました。なお韓国の地下鉄駅には番号が割り振られており、空港駅は115番、サンチョン駅は111番です。
韓国ではキリシタンが多く、ペドロというのはオーナーのキリシタン名でしょうか? 背が高く、髭を生やしたフレンドリーな若者でした。

2日目、ゲストハウスでトーストをメインとした簡素な朝食をとり、9時前に出発。この日は市内観光の予定ですが、市内の博物館は休館日で、それ以外に見るべきものがありません。
仕方なく地下鉄で103番駅に移動し,朝鮮大学の附属病院を見に行きました。ここは他の学部も備えた総合大学ですが、周りを歩く学生たちの賢そうな顔を見る限り、難易度はかなり高そうです。病院の内装は、これまで見てきた外国の病院の中で、もっとも日本との差異が小さいと感じました。院内を歩く人たちも北方アジア系の顔ですし、よく知らない人がこの風景を見たら「日本と韓国は似ている。誠意をもって話し合えば友達になれる」と誤解しても不思議ではありません。実際には「誠意を持って話せば図に乗るだけ。自分の主張に固執してばかりで話が通じない」わけですが・・・。
(余談ですが、儒教的価値観で先人の教えを尊び、自分の主張に固執していたら、ブレークスルーは起きません。韓国人が科学系のノーベル賞を受賞できない理由はこの辺りにありそうです)
韓国人には事大(強者にすり寄って媚びを売る)という習性があり、中国やアメリカに事大することで自分たちもそれと同等の存在になったと勘違いし、精一杯日本を見下そうとする癖があります。このような相手に誠意をもって接しても、自分たちより弱い相手だと勘違いされるだけです。むしろ「威圧的に」「相手を見下した感じで」「冷静かつ論理的に」が韓国人と対峙するコツです。
猿と韓国人はどちらもずる賢くて聞き分けが悪く、隙を見て手を抜こうとする習性があり、上下関係のはっきりした社会で生きています。聞くところによれば、猿まわしが猿を調教する際、まずガツンとやって両者の上下関係をはっきりと教え込むそうです。実際にこれが上手な中国には、韓国は下手に出ていますよね?
河野談話は韓国人の特性を知らないお花畑政治家による最悪の選択でした。韓国と友好関係を築くのであれば、相手の主張を逐一崩していくところから始めなければなりません。
――話がそれました。病院見学後、道向かいの南光州市場に行きました。ここはいかにも庶民のためのマーケットですが、こういう場所の衛生観念は完全に途上国レベルです。
そこから地下鉄で104番駅に向かい、旧全羅南道庁と 5.18広場を見てから、105番駅近くにある地球の歩き方に載っていた店でチュオタン(ドジョウと牛骨を煮込んだ土色のスープ、6000W)を食べました。さらに106番駅まで歩き、ロッテデパートへ。しかし地方都市のデパートなので、釜山やソウルと違って免税店はなく、建物自体の見所もありません。13時前にして完全に見るものがなくなりました。
近郊の観光地はそこに行くまでの労力に見合ったものではなく、仕方がないので109番駅からEマートやユースクエアといった商業施設に向かいました。そこで時間をつぶし、プルコギスープの混ぜご飯(7500W)を食べてからゲストハウスに帰ってきました。海外旅行先で見るものがなくなるのは初めての経験ですが、観光客があまり訪れないマイナー都市に来たので仕方ありません。

3日目、ゲストハウスで前日同様の朝食を済ませ、地下鉄で空港に向かいました。帰りは名古屋までスルーでチェックインでき、プライオリティパスでアシアナラウンジに立ち寄ってから搭乗しました。
金浦から仁川まで空港鉄道で移動し、仁川で出国審査後、HUB ラウンジに立ち寄ってからセントレアに帰ってきました。

(14年12月19日追記)
「一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、 後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。」
日本政府から朝鮮総督府への通達の中の一文です。
100年前から、朝鮮人は謝罪したらますます図に乗るクレーマーだったようです。
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フフホト旅行記(14年10月) [海外旅行記]

今回は中国、内モンゴル自治区のフフホトに行ってきました。これで中国に31ある省、自治区、直轄市のうち、22か所に訪れたことになります。
今年1月にマイレージプラスの22500マイルを使って下記の特典航空券を発券しました。空港税は別途83.9ドルです。
DAY1 CA160 NGO 0900 PEK 1135
DAY1 CA1115 PEK 1435 HET 1550
DAY3 CA1112 HET 1135 PEK 1245
DAY3 CA 159 PEK 1700 NGO 2100
DAY? 名古屋から光州まで片道
CA、NGO、PEK、HETはそれぞれ中国国際航空、名古屋、北京、フフホトの略で、1435は14時35分の意味です。
またCtripで空港バス乗り場からほど近いZhaojun Hotel(3つ星、素泊まり2泊で396元)を申し込みました。

旅行初日、セントレアでチェックインを済ませ、プライオリティパスでラウンジに入って朝食をとりました。北京に到着すると、窓の外には白濁したPM2.5が立ちこめ、ほとんど見通しが利きません。北京での乗り継ぎ時間もラウンジで潰しました。
フフホト到着後、空港バス1号線(15元)で市内中心部の新華広場に向かいました。空港バスには2号線もありますが、ほとんどの人が乗りこむ大きなバスが1号線です。今回のホテルは新華広場に近いという立地条件で選びました。3つ星と言っても、老舗の高級ホテルが施設の老朽化で星を一つ減らされたという感じで、それなりに立派です。
ホテルでチェックインを済ませ、部屋に荷物を置いてから散策に出かけました。中国では、日本人に馴染みのない地方都市でも数百万の人口を擁していることが多々あります。フフホトの人口は231万で、そのくせ市内鉄道網はないので、必然的に多くの車が行き交っていました。やはり空は白く濁っていますが、北京と違ってかなり遠くまで見通しが利くのがせめてもの救いです。
広場の北にあるショッピングセンターの6階にフードコートを見つけ、火鍋羊肉(26元)の夕食を済ませてから、ホテルに帰ってきました。

2日目、ホテルで朝食(別途40元)を取り、8時半に出発。この日はフフホト市内観光の予定です。
新華広場を越えて中山西路まで歩き、そこから58番バス(1元)で大召(35元)へ。道向かいには席力図召(30元)もあり、この2つがフフホトにおけるチベット仏教寺院のツートップです。今年は西寧、ウランバートル、北京でチベット仏教寺院を満喫したので、だいぶ見慣れた感もありますが、やはりこの雰囲気は好きです。ちょうど僧侶たちが楽器を鳴らしながら読経していたので、そちらにも耳を傾けました。
その後、市南部にある昭君博物院に行くため南向きのタクシーに乗ったところ、なぜかUターンして北上し始めます。どうも運転手の感違いだったらしく、スマホで誰かと通話した後に気づいたようでした。実はその前にも他の運転手が道を知らなかったというエピソードがあり、知名度は低いようです。昭君博物院に行くのは諦め、適当なところで途中下車しました。
今来た道を徒歩で戻り、金剛座舎利宝塔(35元)へ。ここの一番奥には外面に1500以上もの仏像が彫られた塔がありますが、さして感慨はありません。ここを見終わると時刻は正午です。
大召と席力図召がある大南街まで歩き、そこから北東にある内蒙古博物院に向かうため、北上する59番バス(1元)に乗りました。しかしこれが逆方向だったらしく、バスは北西へと向かっていきます。明らかに間違えたと気づいたところでバスを降り、今度は52番バス(1元)に乗り換えて博物院を目指しました。到着したのは13時40分ですが、「たった2元で1時間以上も異国の景色を車窓から楽しめた」とポジティブに考えることにしました。
まずは博物院のカフェで遅めの昼食(チャーハン、22元)をとり、窓口で無料入場券をもらってから入場しました。ここは内モンゴルの歴史、文化、自然、恐竜の化石、そしてなぜか西洋のガラス細工など幅広く展示されており、かなり見応えがあります。私は一通り見終わるのに140分かかりました。一番印象的だったのは活断層を示す展示で、世界地図に日本列島がなかったことです。朝鮮半島、マダガスカル島、ニュージーランド北島、南島はあるのに、日本列島だけ全くないのは完全に意図的なものでしょう。
その後、青城1号という無料バスに乗り、新華広場まで戻ってきました。一度ホテルの部屋で休憩してから再び出かけ、前日と同じフードコートで少し上品な店に入り、夕食(マトンの炒め物とヌードル、46元)を済ませて帰ってきました。
ホテルの部屋にいると、窓の外からけたたましいクラクションと爆竹の音が聞こえてきます。空が白濁するくらいPM2.5をばらまいている現状で、不要不急の爆竹くらい自制して欲しいものです。

3日目、ホテルで別途40元の朝食をとり、8時半にチェックアウト。この3日間それとなく空港バス乗り場を探していたのですが、結局分からず、諦めてタクシーを利用することにしました。前日訪れた内蒙古博物院がちょうどホテルと空港の中間地点に当たるので、そこまでは無料の青城1号バス、そこからはタクシーを利用して17元でした。
フフホト空港で名古屋までのチェックインを済ませ、途中の北京空港ではプライオリティパスでラウンジを利用し、無事名古屋に帰ってきました。
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トンガ・バンコク旅行記(14年9月) [海外旅行記]

今回はトンガ王国に行ってきました。私にとって56か国目の渡航先です。
昨年11月にマイレージプラス4万マイルと空港税73.5ドル(7383円)を払い、下記の特典航空券を発券しました。
DAY1 NH340 NGO 1440 NRT 1550
DAY1 NZ90 NRT 1830 AKL 0815+1 Iクラス
DAY2 NZ270 AKL 0935 TBU 1325
DAY4 NZ 973 TBU 1305 AKL 1510
DAY4 NZ721 AKL1900 MEL 2100
DAY4 TG462 MEL 2330 BKK 0600+1 Iクラス
DAY6 TG644 BKK 0005 NGO 0800 Iクラス
(実は当初、DAY5に BKK 乗り継ぎで NGO まで帰ってくるスケジュールでしたが、タイの政情不安を受けて減便になってしまいました)
NH、NZ、TG、NGO、NRT、AKL、TBU、MEL、BKKはそれぞれ全日空、ニュージーランド航空、タイ航空、名古屋、成田、オークランド、ヌクアロファ(トンガ)、メルボルン、バンコクの略です。またIクラスと書いてある区間はビジネスクラスで、他はエコノミーです。往復ともビジネスクラスで申し込みましたが、エコノミーしか取れない区間が結構ありました。
ホテルはbooking.com で The Tropical Villa(4つ星? 朝食付き2泊で104ドル)を予約し、英語メールで送迎を依頼しておきました(片道16ドル)。
ちなみにトンガ着のDAY 2 は土曜日、トンガ発のDAY 4は月曜日です。トンガでは日曜日に仕事をしてはいけないという法律があり、一部の指定業者を除いてすべて休業になるため、日曜日には飛行機も飛びません。

初日、午前中に仕事をしてからセントレアに向かいました。ヌクアロファまでのチェックインを済ませ、カードラウンジに立ち寄ってから搭乗。今回のケースではセントレアの国内線ラウンジを利用できないようです。
成田では ANAのラウンジに入り、夕方混んでくる前にシャワーを利用し、ヌードルバーや日本酒コーナーで時間をつぶしました。定刻通りに搭乗すると、ビジネスクラスのシートは斜め方向に設置されていました。こうすることで各シートがフルフラットになるだけの長さを確保できるのです。最初にウェルカムサービスのシャンパンを飲み、離陸後に夕食のサービスが始まりました。ニュージーランド航空のビジネスクラスではピーター・ゴードンというシェフの料理が用意されており、今回もそれを選びました。シンプルであっさりとした体に優しい料理が多い気がします。
食後はシートをフルフラットにして寝ようとしましたが、ベッドボタンを押すとなぜかシートが起きあがってきます。CAに聞くと、座位の状態で背もたれを裏返してからフルフラットにするとのことでした。こうして「横になって寝る」という地上では当たり前、機内ではプレミアムな状態を手に入れたわけですが、細かい振動と音のため熟眠できません。

浅い眠りのまま翌2日目の朝食タイムを迎え、ピーター・ゴードン監修の卵料理を食べました。
オークランド到着後、プライオリティパスでラウンジに立ち寄ってから搭乗。印象ではニュージーランド人6割、トンガ人3割、その他1割といった比率で、ほぼ満席でした。
トンガ空港では入国審査の順番が最後の方になり、両替(70$=125トンガ$、以下T$)をしていたらもう少しで取り残されそうになりましたが、何とかホテルの送迎車に乗れました。延々と続く芝生の大地に広葉樹や椰子の木、素朴な家屋が散在し、ひとたび海岸線に出れば醒めるような青い空と海が広がっています。
どうやら私が宿泊するトロピカルビラはリトルイタリーホテルの姉妹施設だったらしく、今後は前者をビラ、後者をホテルと呼ぶことにします。
ビラはヌクアロファの都心から4キロ離れた草原のど真ん中にありました。値段が安く、プライベートバスと無線LAN、ファン、プールがついているから選んだのですが、もう少し立地を重視すべでした。スタッフはとても親切ですが、プールの水は底が見えないくらい濁っていました。
部屋に荷物を置き、バスもタクシーもなさそうなので徒歩で都心部に向かい始めました。さいわい途中で通りすがりの車が止まってくれ、ヒッチハイクできました。しかも行き先を”City center”と言ったところ、それに似た名前のスーパーの前で降ろしてくれるという親切ぶりです。お礼を言って車を降り、あたりの散策を始めました。
まずは近くのスーパーでミネラルウォーター(1.5リットルで2T$)を購入。その後、いくつかの店でカヴァというこの地域独自の飲み物を探しましたが、見つかりません。諦めて王宮(立派な屋敷を外から眺めるだけ)、王家の墓(芝生で覆われた広場の中央に記念碑が建っているのを外から眺めるだけ)、教会(中に入れますが、装飾は華美ではありません)を見て回り、地球の歩き方2013にも載っているフレンズカフェ&ツーリストセンターで、ツナのチリソース風マリネ、フライド・タロイモ、ココナッツジュース(合計20.5T$)を食べてからビラに帰ることにしました。あわよくば翌日のツアーを申し込もうと思ったのですが、それは叶いませんでした。
幸いというか、ここの人たちが親切というか、帰りも通りすがりの車から声をかけてくれ、ビラの前まで送ってくれました。
夜、部屋にいると、スタッフが何か不自由していないか聞きに来てくれ、翌日(日曜日)の朝食を置いていきました。バスケットの中にカットフルーツ、リンゴジュース、リンゴ、バナナ、ミルク、シリアル、食パン、カップラーメンが入っており、部屋にはウォーターサーバーと電子レンジ、湯沸かしポット、各種食器が用意されています。これでスタッフは翌朝仕事をしなくても良くなります。
前日の寝不足もあって、この日は早めに就寝しました。

3日目、10時(日本時間6時)過ぎに起床し、部屋でブランチをとりました。トンガにはそれほど観光資源もなく、この日はビラでゆっくり過ごす予定です。とはいえ、食事だけはヌクアロファ都心部まで調達しにいく必要があり、14時過ぎに徒歩で出発しました。
この日も道を歩いているとすぐに通りすがりの車が声をかけてくれ、ヌクアロファまで送ってもらえました。
やはりすべてのショップが閉まっており、開いているのは一部のパン屋とカフェだけです。観光は昨日済ませたので、時間を持て余してしまいました。しかたなくカフェに入り、ミートボールスパゲッティ(15T$)を食べました。
その後、バーガーサンド2個とホットドッグ1個(合計10T$)を買いこみ、1時間弱かけてビラまで歩いて帰ってきました。この時はわざと左側通行の道路の右側を歩き、親切な車に声をかけられないようにして、のどかな風景を楽しみました。
この日も夜にスタッフが部屋に訪ねてきました。日曜日なので部屋の掃除はなかったのですが、バスタオルだけ交換してもらいました。また翌朝8時にホテルのレストランまで連れて行ってもらえることになり、11時着で空港まで送ってもらうよう頼みました。

4日目、8時に部屋を引き払い、すべての荷物を持ってホテルに移動。そこで料金の精算を済ませました。1泊52$(99.63T$)×2泊、空港送迎は片道30T$×2で合計259.26T$です。
ホテルのレストランで朝食をとり、そのままそこで10時半まで時間を潰すことになりました。ホテルの正面には海が広がっており、日本と同様に磯の香りがします。
定刻の10分前にホテルを出発し、30分かけて空港着。ここの売店でようやくカヴァを買うことができました。水10L用の小袋が7T$です。
バンコクまでのチェックインを済ませ、定刻通りに出発。オークランドではプライオリティパスでラウンジに入り、シャワーを利用しました。
その後少し遅れたもののメルボルン着。ここから先はビジネスクラスであり、ニュージーランド航空のラウンジに入りました。ブドウの品種ごとに各種ワインを取り揃えているのは流石です。
搭乗すると、隣り合った席が少しずつ前後にずれており、すべての席が通路にアクセスできるタイプでした。こちらもフルフラットにできますが、あえて5度くらい頭を上げておいた方が寝やすいと感じました。

今回はルネスタを内服したこともあってそれなりに眠れ、機内で5日目の朝を迎えました。
ほぼ定刻通りバンコクに着き、そのまま入国。空港内で1万円を両替すると2713バーツ(以下B)でしたが、地下の鉄道乗り場近くの両替所では2900バーツほどでした。地球の歩き方にも書いてあったので、よく読んでおくべきでした。
エアポートレイルリンク、BTS、MRTを乗り継いで(計91B)ファラムポーン駅まで行き、そこからクルンテープ駅まで歩きました。クルンテープとはバンコクの正式名称であり、日本だと東京駅みたいな位置づけの場所です。全体的な構造はヨーロッパの駅舎を思わせるのにどこかアジアンチックで、イメージ的にはハンガリーのブダペスト駅とかぶります。
そこからさらに徒歩でワット・トライミットへ。ここはビルマ軍の目を欺くため漆喰で覆われていた黄金の仏像で有名です。漆喰の仏像を移送しようとしたら予想外の重さにうまくいかず、一晩雨にさらされたところ、漆喰がはがれて黄金の姿を現したとのことで、金の大好きな中国人が大勢やってくるそうです。私は3階にある博物館(100B)と4階の黄金仏(40B)を両方見ましたが、4階だけでも良い気がします。
そこからタクシー(51B)に乗り、ワットポー(100B)へ。ここは巨大な寝釈迦仏とマッサージの仏様で有名な場所です。本堂ではちょうど読経の最中だったので、その音楽的な調べに耳を傾けながら休憩した後にマッサージを受けました。1時間で420B+チップです。ここはマッサージの専門学校も併設されており、レベルも高いとのこと。10年以上前に来たときはクーラーのない暑い部屋でマッサージを受けたのですが、今回は冷房完備でした。
そこから渡し船(3B)に乗って、ワットアルン(50B)へ。茶色く濁ったチャオプラヤー川を船で渡るとバンコクに来たという実感が湧いてきます。ここの大仏塔のテラスからは川向こうの王宮、寺院などを一望できますが、途中の階段がかなり急なので要注意です。隣国カンボジアのアンコールワットでは、やはり急な階段から転落して毎年何人かの死者が出ていますが、それに引けを取りません。
再び渡し船でワットポーの側に戻ると時刻は正午です。近くの屋台でパッタイとトムヤムクン(計160B)を食べました。
その後、王宮の裏手に続く出店を冷やかしながら北上し、再び渡し船に乗ってシリラート病院を目指しました。ここには様々な人体標本の展示があり、地球の歩き方によれば土日が休みとのことですが、実際には火曜日が休みで、その日は入れませんでした。
仕方なく病院内を見学してからタクシー(73B)に乗り、ウィマーンメーク宮殿(100B)へ。ここはかつてラーマ5世が暮らしていた宮殿ですが、私がこれまで世界各地の王宮を見てきた中でもかなり上位にランクインするほど豪奢です。写真撮影できないのが残念でなりません。見学後、売店でドリアンのアイス(30B)を見つけたので食べてみたところ、本当にドリアンの味がしました。匂いはしないので、ドリアンが苦手な人でも大丈夫かもしれません。
宮殿の敷地内には他にもいくつかの建物があり、私はここで半日つぶせそうです。中でも一番の見どころはアナンタ・サマーコム宮殿で、洋風建築なのに内装には上手にタイが入りこんでいました。そのタイ洋折衷の節操のなさから(?)世界遺産には指定されていませんが、華麗さと荘厳さだけならヨーロッパにある世界遺産級の宮殿に引けを取りません。惜しむらくは周りにいるのが中国人観光客ばかりであり、中国人酔いしてしまうことです。
ここを見終わると、時刻は16時半です。タクシー(57B)でエアポートレイルリンクの始発駅であるパヤー・タイに戻ってきました。ここからさらにサイアムやシーロムのような繁華街に繰り出す元気はなく、近くのカフェでピリ辛ポークの夕食(90B)を食べ、周囲を少し散策してからエアポートレイルリンクに乗りました。
満員電車に揺られ、空港に着いたのは19時前です。搭乗までかなり時間がありましたが、チェックインしてラウンジに直行しました(なぜか空港税は取られませんでした)。ここではロイヤルオーキッドラウンジの他にロイヤルオーキッドスパもあり、マッサージを受けることができます。ラウンジの飲食物をつまんで、30分の無料マッサージを受け、シャワーを利用し、インターネットにつないで、退屈することなく搭乗時間まで過ごせました。機内のシートは旧式でした。

そして翌6日目の7時半、セントレアに無事到着しました。

さて、ここからはカヴァの試飲レポートです。これはトンガやフィジーなど南太平洋で嗜好品として飲まれているもので、アルコールではないものの酩酊感があり、鎮静作用によって飲み会の席では皆少しずつ無口になっていくそうです。ハワイでは二日酔いの薬として飲まれているらしいので、少なくともアメリカでは合法なのでしょう。日本でも調べた限りでは合法のようです。
トンガの空港では、ファブレットを2枚重ねにしたくらいの体積の茶色い粉が7T$で売られていました。これを水10Lで割るのですが、冷水で溶かすと泥水のようですし、お湯で溶かすとハーブティーみたいになります。
飲むと心なしかホワンと酔っぱらったように感じ(プラセボ効果?)、舌がしびれ、気持ちが落ち着いて細かいことが気にならなくなります。
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グアム旅行記(14年8月) [海外旅行記]

今回は家族でグアム旅行に出かけました。
小4の長男が塾の夏期講習に行っているので、今年から家族旅行は短めです。私の頃はそんなに大変ではなかったのですが、時代も違うし、個人差もあるので、仕方ないのでしょうね。

昨年9月、マイレージプラス75000マイルと空港税121.2ドルを支払い、家族3人分(私、妻、長男)の下記特典航空券を発券しました。
DAY1 UA172 NGO 2055 GUM 0135+1
DAY2 UA5069 GUM 0245 SPN 0335
DAY3 UA5078 SPN 2035 GUM 2125
DAY4 UA171 GUM 1700 NGO 1955
UA、NGO,GUM,SPNはそれぞれ、ユナイテッド航空、名古屋、グアム、サイパンの略です。
ホテルはPICサイパンのホームページで同ホテル(2泊素泊まりで456ドル)、楽天トラベルでシェラトンラグーナグアム(クラブフロア、265ドル+税)を予約しました。
しかし出発前日になってUA5069便が運休になり、グアムからサイパン便がDAY4になると通知が来ました。もちろんDAY4にサイパンに飛び、DAY3にサイパンから戻ってくることは不可能です。やむを得ずグアム・サイパン間をキャンセルして、グアムに滞在することにしました。ユナイテッド航空からお詫びとして、家族3人の口座にそれぞれ5000マイルずつ付与されました。
PICサイパンにフライトがキャンセルになった旨を通知してキャンセルメールを送り、かわりにbooking.com で初日にヒルトングアムリゾート&スパ(素泊まり200ドル+税)を、楽天トラベルで2日目のロイヤルオーキッドグアム(朝食付き184ドル+税)を予約しました。3日目のシェラトンラグーナグアム(クラブフロア、265ドル+税)の予約はそのままですが、空港送迎だけキャンセルしました。
出発前日になって、これだけ一度にこなすとかなり大変です。

旅行初日、仕事を終えてからセントレアに向かい、チェックインしました。この時間はプライオリティパスで入れるラウンジがないので、MUFJプラチナアメックスでゴールドカードラウンジに入ってから、搭乗しました。

2日目の午前1時にグアム着。入国審査を済ませ、タクシー(23.2ドル+チップ)でヒルトンホテルに向かいました。予約情報が届いていたかったらしく、少し待たされましたが、何とかチェックイン。部屋に入ると、そのまま寝入ってしまいました。
朝になり、ロビー階にあるカフェでパンなどを買って(12.7ドル)朝食にしました。その後、ウォータースライダーが併設されたプールで泳ぎ、正午前にチェックアウト。赤いバス5日券(大人2人と子供1人で63ドル)を買い、マイクロネシアモールに向かいました。こちらのフードコートで昼食をとり(3人で27.9ドル)、スーパーで買い物を済ませると、モール中央の特設ステージでチャモロダンスのショー(無料)が始まっていました。妻は初めてだったらしく、興味深そうに見ていました。
そこから再び赤いバスに乗り、DFSへ。水中に設置されたガラスのチューブ内を歩いて観光するアンダーウォーターワールド(3人で58ドル)に入場してから、再び赤いバスに乗って、ロイヤルオーキッドに向かいました。ここはタイとゆかりのあるホテルだったはずです。直前になり、このホテルの高い部屋しか残っていなかったため、窓からホテルプールにそのままアクセルできる四人部屋でした。プールそのものは何の変哲もなく、あまり手入れも行き届いていませんでした。
夕食は私が買い出しに行くことになり、グアムプレミアムアウトレット(GPO)のフードコートでモンゴリアンBBQ(2人前で18ドル、それを3人でシェアしました)を買ってきました。前日が夜行便だったこともあり、この日は家族3人とも早めに就寝しました。

3日目、ホテルで朝食をとった後、手入れの不十分なプールにもう一度入る気になれず、代わりにジムの機械を色々と試して楽しみました。正午にチェックアウトし、15時にシェラトンにチェックインするまで時間を潰す必要があります。私一人ならかなりアクティブに動くのですが、妻と長男がいると、とたんに活動量が下がってしまいます。
まずは赤いバスでヒルトンに向かい、カフェで買ったものをラウンジで飲食して時間を潰しました。それから再び赤いバスに乗り、GPOへ。こちらでもカフェに立ち寄り、買い物をしているうちに15時近くになったため、再び赤いバスに乗ってシェラトンに向かいました。
この日はクラブフロアで予約してあるので、ラウンジを利用できます。クラブフロア専用の受付でチェックイン後、部屋に荷物をおいてからラウンジに向かいました。ワインとソフトドリンクで乾杯し、パンやピーナッツをつまんだ後、長男を連れてプールに泳ぎに行きました。その間、妻はラウンジでまったりです。
ここのインフィニティープールは水面と海との境界線が分かりにくい構造で、解放感に溢れています。子供用プールには滝やウォータースライダーもあり、大人も子供も楽しめること請け合いです。それらを満喫した後、再びラウンジに戻りました。17時から20時まではカクテルサービスタイムになっており、アルコール類の他に、海老のフリッター、マグロの唐辛子和え、焼き魚、ベジタブルスティック、春巻き、モヤシサラダ、チーズなどが並んでいました。
それらを食べた後、妻が甘いものが欲しいと言い出したので、赤いバスで再びGPOへ。小さなシナモンブレッド5個セット(3.69ドル)、フードコートのソフトクリーム(トッピング自由で値段は重量性、私たちはてんこ盛りにして10.24ドル)を食べてから、ホテルに帰ってきました。

4日目、朝7時過ぎからラウンジで朝食をとり、8時オープンのインフィニティプールに向かいました。9時からは子供用プールの他、シェラトンアドベンチャーズと呼ばれるホテル内アクティビティーもオープンします。私と長男はホテル近くの無人島までカヤックに挑戦するつもりでしたが、この日は波が高く、残念ながら中止になってしまいました。
前日と同じプールで泳ぎ、その後ラウンジに立ち寄ってから、正午前にチェックアウト。赤いバスでGPOとKマートをハシゴし、前者ではフードコートで昼食をとり(3人で26.4ドル)、後者では土産物を買いました。その後、Kマートから空港までタクシー(14.4ドル+チップ)で移動し、チェックイン、出国審査後、プライオリティパスでラウンジに立ち寄ってから、日本に帰ってきました。

今後の予定ですが、9月トンガ(一部ビジネスクラス)、10月フフホト、11月光州、12月張家界、1月香港、2月ソウル(往路のみビジネスクラス)、3月サイパン、4月台北、5月重慶まで発券済みです。すべてマイルを使った特典航空券です。
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タシケント・サマルカンド旅行記(14年7月) [海外旅行記]

今回はウズベキスタン周遊旅行です。まず初めに、今回の旅程を旅行会社風に書き出してみます。
1日目 名古屋からソウル経由でタシケントへ。着後、専用車でホテルまで送迎。タシケント泊。
2日目 朝8時発の超特急列車に乗り、世界遺産の街サマルカンドへ。市内観光後、サマルカンド泊。
3日目 正午発の特急列車に乗り、タシケントへ。タシケント泊。
4日目 終日市内観光。22時過ぎの便でタシケント発。機中泊。
5日目 ソウル乗り継ぎで夕方、関空着。近鉄特急で名古屋へ。お疲れ様でした。

以下が実際の手配内容です。
昨年8月、ユナイテッド航空の20000マイルを使い、下記の特典航空券を発券しました。
6月のウランバートル旅行復路
DAY1 OZ121 NGO 1150 ICN 1350
DAY1 OZ573 ICN 1730 TAS 2100
DAY4 OZ574 TAS 2220 ICN 0850+1
その際に空港税を90.9ドル(9126円)払い、上記搭乗区間の200%に当たる17024マイルを358ドル(35944円)で買い戻しました。
また昨年12月、MMのホームページで下記航空券(空港税込み)を107900ウォン(10777円)で購入しました。
DAY5 MM006 ICN 1455 KIX 1635
OZ、MM、NGO、ICN、TAS、KIXはそれぞれ、アシアナ航空、ピーチアビエーション、名古屋、ソウル、タシケント、関空の略であり、結果的にこれらの航空券を2976マイルと55847円で入手した計算です。
ホテルはbooking.comで、Tashkent Railway Hotel(素泊まり47ドル)、Jahongir B&B(朝食付き38ドル)、Hotel Uzbekistan(4つ星、朝食付き62ドル)を一泊ずつ予約しました。支払いはすべて現地です。
またhttp://www.advantour.com/jp/uzbekistan/trains.htmで、 Afrosiyob train №162 ビジネスクラス(45ドル)と Sharq train №009 一等車(30ドル)の手配を依頼し、空港からホテルまで送迎(15ドル)してもらう際、料金と引き換えにチケットを受け取ることにしました。
VISAは時間があれば自分で手配もできたのですが、何しろ毎月海外旅行をしている身としては決められた日数内で確実に手配したかったので、専門業者に代行を依頼しました(返送料込み、8600円)。

旅行初日、セントレアでタシケントまでのチェックインを済ませました。プライオリティパスで、セントレアと乗り継ぎ地ソウルのラウンジに立ち寄り、タシケントにはほぼ定刻通りつきました。
旧ソ連だけあって税関はうるさいらしく、手持ちの通貨を正確に申告しつつも緊張していたのですが、特にトラブルもなく終了。空港の外に出ると私の名前を書いたボードを持った人が待っていたので、手配してあった電車チケットのことを知っているか探りを入れ、偽物ではないことを確認してからついていきました。
途中路肩に車を止めてチケットを受け取り、清算を済ませました。その際、空港では1ドル2370スム(以下S)だったところ、1ドル2700Sで両替できると言われました。しかし闇両替は違法なので断りましょう。ゲフン、ゲフン。
実際には、警察官がすぐ近くにいるのに闇両替を持ちかけられたり、ホテルスタッフからホテルの両替はレートが悪いからと闇両替を勧められたりするのですけどね。
途中、近くのスーパーとカフェに立ち寄ってくれたので、現地通貨でミネラルウォーター(1100S)と惣菜、パン(5600S)を買い、それからホテルに送ってもらいました。
ホテルに着くと、若い男性からオーバーブッキングだと言われ、車で5分ほどのところにあるグランドタシケントホテルに案内されました。一応、翌朝の駅までのタクシーはアレンジしてくれましたが、これなら元のホテルのほうがグレードは上ですね? ちなみに料金は元のホテルと同額を請求されました。
今はただ、あの案内人が偽物(グランドタシケントホテルの回し者)でなかったことを祈るばかりです。

2日目、前日買ってあった惣菜とパンで朝食をすませ、ホテル前まで来てもらったタクシーに乗って駅に向かいました。料金は9000S。しかし本来は3000Sくらいのはずで、どう見てもぼったくりです。本当にありがとうございました。
こうなるのが嫌で、わざわざ駅ナカのホテルを予約してあったのに……。
出発の40分前に電車に乗ると、すでにシートの半分以上は埋まっていました。その後、満席になってから出発。旅行会社にチケット手配を依頼しておいて正解でした。この電車はタシケントからサマルカンドまでの350キロを2時間10分で走る高速鉄道です。かなり揺れる中、美人過ぎる客室乗務員たちが大きなクロワッサンと紅茶のサービスをしてくれました。その後、売りに来たアイスクリーム(3000S)も買って損はないと思います。
サマルカンド駅到着後、嵐のような「タクシー?」攻撃をやりすごし、駅前のバス乗り場で73番バス(700S)に乗りました。地球の歩き方2013の地図とネクサス7のGPSを見比べていると、郷土史博物館のそばを通りかかったので、バスを降りました。しかし地球の歩き方の大雑把な地図と私の勘違いのせいで、見つけられません。諦めて今度は91番バス(700S)に乗り、レギスタン広場の前で降ろしてもらいました。
ここは青の都と呼ばれるサマルカンドの中心広場であり、美しいイスラム模様と宝玉のように青い尖塔を擁する3つの巨大な神学校に囲まれた世界遺産です。表から見るだけなら無料、内部にも入るなら16200Sです。無料でも7割がた満足できますが、せっかくなので内部までじっくり見てきました。それぞれ中庭を取り囲む四角形の建物になっており、中庭に面した場所には小さな土産物屋がたくさんありました。
その後、近くのカフェに入り、ヌードル入りスープとピロシキっぽいパン(計7000S)で昼食をすませ、3色のソフトクリーム(1500S)も食べました。暑さと疲れに参っていたこともあり、なかなか美味です。
食後、かつて中央アジア最大級と言われたビビハニム・モスク(10000S)に行きましたが、レギスタン広場と同じような建造物をもう一つ見たという印象です。向かいにあるビビハニム廟(8000S)は、地下に安置されたティムール妃ビビハニムの棺を見て終わりでした。
その後、市民の胃袋と言うべきショブ・バザールに立ち寄りました。サマルカンド名物の固くてしっとりとしたナン(高さ8センチ、直径30センチで4000S)に惹かれて衝動買いしてしまい、荷物が重くなったまま、ハズラティ・ヒズル・モスク(8000S)に向かいました。ここは何の変哲もない小さなモスクでした。
次に、霊廟が並ぶシャーヒズィンダ廟群(7000S)に行きました。ティムールゆかりの人たちの棺が納められた建物が延々と続き、そこを抜けると一般人の墓地になります。こちらのお墓には亡くなった人の似顔絵と生年月日、没年月日が記されており、生前に会ったことのない人たちの死を偲ぶ気持ちが自然にわいてきました。
ここまで観光を済ませ、時刻は15時過ぎです。スーパーに立ち寄ってミネラルウォーターを買い、ホテルにチェックインしました。
部屋でサマルカンド・ナンをかじりながら休憩し、夕方になってから再び外出。通りすがりのカフェでマトンスープ(5000S)を頼んだところ、ここでもサービスでサマルカンド・ナンが出てきました。
それから再びレギスタン広場に向かい、夕方の広場を堪能してから帰ってきました。

3日目、朝8時からホテルで朝食をとり、9時前にチェックアウト。
徒歩でアミール・ティムール(10000S)に行き、入場しました。ここはチンギスハーンによって破壊され尽くしたサマルカンドの町を再建した、ティムールの廟です。青い玉ねぎ屋根が美しく、中にはティムールやその関係者たちの墓石が安置されていました。遺体はその真下、地下3メートルに葬られているそうです。
建物の裏手には地下への入り口があり、近くの人が「秘密の部屋」と日本語でジョークを言いながら手招きしてくれたので、入ってみました。しかし中は単なる土産物屋です。何となく騙された気がして、何も買わずに出てきました。
その後、昨晩のうちに正確な位置を把握してあった郷土史博物館(10000S)まで歩き、入場しました。謁見室のような場所があり、そこは見応えがありましたが、他の細々とした展示物は印象に残っていません。
そこから北にあるウルベルグ通りまで歩き、バス停で22番バス(700S)に乗って、サマルカンド駅に到着しました。きっとタクシーに乗っても日本円で300円程度でしょう。大した額でないことは分かっていますが、バスを乗りこなすと達成感が得られて幸せになれるのです。
1203発の電車に乗り、1530にタシケント着。私が乗った一等車は3人掛けの個室でしたが、他の二席に地元の男性が座り、大声で会話していたので、何となく落ち着きませんでした。途中、コーヒー(2000S)とパンの中にジンギスカンを入れたようなサモサ(8000S)を売りに来たので購入し、昼食にしました。
タシケント到着後、地下鉄(一律1000S)に乗りかえました。入り口の所持品チェックで、警察官からパスポートを見せるように言われたので、見せたところ、ビザの日付を指しながら逮捕の仕草をするので肝が冷えました。結局は何も問題なかったのですが、言いがかりをつけて賄賂を要求するつもりだったのでしょうか?
地下鉄の駅構内は華麗な装飾が施されていますが、いかんせん薄暗く、広告の類いもないので陰鬱な感じがします。電車も殺風景な古い車体で薄暗いため、旧社会主義国の香りがプンプンします。言い替えるなら、体制に不都合な個人はすぐにくびり殺されそうな、自分の命の価値が限りなく希薄になった感覚です。あまり気分の良い乗り物ではありません。
コスモナウトラル駅で降り、そこから徒歩でウズベキスタン歴史博物館へ。翌日が月曜日で、主要な博物館は閉館なので、この日のうちに一つだけでも見ておこうと思ったのです。内部は恐竜時代から現代まで時代に沿って展示されており、かつてこの国がインダス文明やギリシャ文明、仏教などの影響を受け、その後イスラム化したことが伝わってきます。
見学後、ホテルまではショッピングセンターやティムール広場を通って徒歩で向かいました。ホテルサマルカンドという名前や立地から考えるに、日本でいう帝国ホテルのような位置付けかもしれません。しかしそれは共産主義時代の話であって、資本主義の現在では、ホスピタリティーが少し足りない4つ星ホテルになっています。レジストレーションに2時間かかると言われたので(これまでのホテルはすぐに済みました)、外出するのにパスポートが必要だと言って急かすと、渋い顔をされました。
部屋に荷物を置き、パスポートを受け取ってから、夕食をとりに出掛けました。少し歩いたところにオープンエアのカフェを見つけ、マトンの成形肉ステーキと付け合わせのワンプレート料理を注文しました。ナンが2枚ついて表示価格は11800S、サービス料が上乗せされて13600Sでした。

4日目、7時からホテルで朝食をとり、8時半過ぎに出発。ホテル前のティムール広場で、その中央にあるティムールの巨大な騎馬像の写真を撮りました。
そのまま徒歩でナヴォイ・オペラ・バレエ劇場に向かい、肌色の美しい建物を見ながら小休止。ここは第二次大戦後に抑留されていた旧日本兵たちによって建てられたもので、その後タシケントに壊滅的なダメージを与えた大地震でも、びくともしなかったそうです。
さらに徒歩で地学博物館(5000S)まで歩き、入場しました。展示の8割ほどはロシア語で説明された岩石の羅列ですが、生後2ヶ月の恐竜の化石は一見の価値ありです。入場者は私一人で、スタッフが付かず離れずの距離をとりながら時々英語で説明してくれました。
その後一旦ホテルに戻り、小休止をしてからチェックアウト。荷物をロビーに預けて再び出発しました。
昨晩と同じカフェに行き、写真とロシア語のメニューを見てシチューとミネラルウォーターを注文しました。個人的にはマトンシチューを期待していたのですが、日本で食べなれたビーフシチューだったので少しがっかりです。サービスのナンが2枚ついて、総額13600Sでした。
その後、地下鉄に乗ってチョルスーへ。ここは庶民的なマーケットの総本山で、人々の生活の息吹を感じることができます。羊肉、ナン、野菜、卵、惣菜、果物などが食品ごとに区画割りされて売られていました。
近くにあるクカルダシュ・メトレゼという神学校(2000S)も一緒に見てから、地下鉄でコスモナウトラルへ。そこから徒歩でウズベキスタン工芸博物館(8500S)まで歩き、イスラム模様をこれでもかと言うほど堪能しました。
ここからホテルまではこの2日間で踏破した道です。途中、ショッピングセンターやナヴォイ・オペラ・バレエ劇場に立ち寄りながらティムール広場を経由し、もはや行きつけとなったカフェへ。マトンの串焼きと付け合わせのワンプレートディッシュ、ミネラルウォーター、サービスのナン2枚で総額17600Sでした。
その後ホテルで荷物を引き払い、ティムール広場から時計台と市役所の間の道を少し南下したところにあるバス停で、南方向の67番バス(1000S)に乗り、空港に向かいました。15時半から19時までは、16~17分間隔でバスが来るようです。空港には19時前に到着しました。
チェックインを済ませ、ドキドキの出国審査を無事終了。税関申告では手持ちの通貨を数字と英語で正確に記すのですが、日本円や現地通貨の数十円くらいは誤差のうちかな? と思いつつ、なにか言いがかりをつけられて賄賂を要求されたらどうしようと心配していました。
なおタシケント空港にはプライオリティパスで入れるラウンジはなく、そのまま夜行便に搭乗しました。

翌5日目の朝にソウル着。空港地下にある格安韓国料理店でビビンバ(5000W)の朝食をとった後、人気の少ない場所で仮眠をとりました。正午過ぎにピーチアビエーションのチェックインを済ませてから、ラウンジで昼食をとり、シャワーを利用。フライトが2時間ほど遅れたものの、無事に関空着。
関空からは南海電鉄ラピートβ(ピーチ機内で1030円)、近鉄特急(金券ショップで3400円)を乗り継いで、名古屋に帰ってきました。

さて、今回も旅行の総コストを出してみました。
航空券(ソウルまで)2976マイルと55847
航空券(ソウルから)10777円
ビザ取得 8600円
往路 名駅からセントレアまで 870円
復路 関空から名駅まで 1030円+3400円
ホテル3泊 147ドル
タシケント・サマルカンド往復+タシケント送迎車 90ドル
ウズベキスタンSに両替した米ドル 100ドル
ソウル仁川国際空港でのビビンバ 5000W ≒ 500円
以上を1ドル=105円で換算すると、2976マイルと116409円になりました。これは今回の総額(名古屋駅を出発してから名古屋駅に戻ってくるまで)と、前回のモンゴル旅行の帰路航空券の総額です。
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ウランバートル旅行記(14年6月) [海外旅行記]

今回は2回目のウランバートル(モンゴル)旅行です。
昨年8月、ユナイテッド航空の42500マイルを使い、下記のとおり3回分の特典航空券を発券しました。
・5月 NGOからXNN往復
・6月 NGOからULN往復
・7月 NGO発TAS経由ICN行き
また空港税を191.9ドル(19267円)払い、上記搭乗区間の200%に当たる29538マイルを621ドル(62350円)で買い戻しました。結果的に上記すべてのチケット(空港税、サーチャージ込み)を12962マイルと81617円で入手した計算です。
今回はそのうちNGOからULN往復分を利用しますが、具体的なスケジュールは下記のとおりです。
DAY1 NH340 NGO 1440 NRT 1550
DAY1 CA168 NRT 1900 PEK 2155
DAY2 CA901 PEK 0835 ULN 1050
DAY4 CA902 ULN 1150 PEK 1400
DAY4 CA159 PEK 1700 NGO2100
なお、NH、CA、NGO、XNN、ULN、TAS、ICN、NRT、PEKはそれぞれ、全日空、中国国際航空、名古屋、西寧、ウランバートル、タシケント、ソウル、成田、北京の略です。
ホテルはagoda.comでIBIS Beijing Sanyuan(3つ星、素泊まりで5475円)を予約し、Zaya Hostel のホームページで朝食付き1泊30ドル×2泊+空港送迎15ドルを申込みました。

そして旅行初日。昼過ぎにセントレアに向かい、カードラウンジに立ち寄ってから、成田に向けて飛び立ちました。
成田ではプライオリティパスでユナイテッド航空のラウンジへ。今回利用したのはビジネスクラスラウンジですが、巻き寿司やそば等がありました。ちなみに以前利用したファーストクラスラウンジでは、握り寿司もあったと記憶しています。
北京にはほぼ定刻通りにつき、2230のエアポートトレイン(25元)に乗り継いで、三元橋駅の近くにあるホテルに到着しました。ここは北京で乗り継ぐ際、私が定宿にしているところです。

2日目、ホテルをチェックアウト後、三元橋を0605に出るエアポートトレインに乗って空港に向かいました。プライオリティパスでCAファーストクラスラウンジに入り、朝食をとってから搭乗。ウランバートルにはほぼ定刻通り到着しました。
送迎を頼んであったので、空港の制限エリアを出たところで迎えの人と落ち合い、両替をしてからホテルまで送り届けてもらいました。100円=1790トゥグリグ(以下T)です。車窓から外を眺めると、草で彩られた大地に平屋建ての家屋がまばらに立ち並び、青い空に綿菓子のような雲が浮かんでいました。乾いたアスファルトからは砂ぼこりが立ちこめています。
まだ正午にも拘らずチェックインさせてもらえたので、部屋に荷物を置いてから出かけました。最初に旧国営のノミンデパートに出掛け、その最上階にあるフードコートで昼食をとりました。しかしマトン入りスープ(3900T)の食券を買ってから店にいくと、そのメニューはないとのことです。しかたなく1000Tの追加料金を払って、マトン入りヌードルの大盛りに変更しました。
その後、チベット仏教の寺院であるダンガン寺(3500T)に行きました。ご本尊は身長25メートルの巨大な立像であり、仏様なのに着飾っていました。
そこから町中を散策しながらスフバートル広場まで歩き、町の中心に位置するこの広大な広場で休憩しました。スフバートルはモンゴル革命の指導者ですが、今となってはその奥にあるチンギスハーン像のほうが人気のようです。たまたま軍隊風の制服を来た若者たちが大勢来て、チンギスハーン像の前で記念写真を撮っていました。みな非常に打ち解けた様子だったので、入隊の記念ではなく、軍隊学校の卒業式なのかもしれません。つい自分自身の大学の卒業式と重ね合わせてしまいましたが(遠い目)、どこの国でも若者の明るさは同じです。
次に自然史博物館に足を伸ばしたものの、改装のため休業中でした。やむをえず民族歴史博物館(5000T)に移動し、先史時代から1990年のモンゴル革命までの展示物を歴史順に見てまわりました。
その後、ノミンデパートで土産物や濃厚なモンゴルビールなどを買い、通りすがりのカフェで夕食をとりました。マトンのシチュー、ライス、コールスローサラダなどが載ったワンプレート料理で6800Tでした。
この日はここで観光を切り上げ、ホテルに戻りました。

3日目、ホテルで朝食をとり、8時に出発しました。人気の少ない朝のスフバートル広場まで歩き、そこで少し時間を潰してから南下し、バヤンゴルホテル前のバス停で7番バス(500T)に乗りました。この先にある見晴らしの良い丘の上に、ザイサン・トルゴイという記念碑があるのです。
うっかりバス停を乗り過ごして終点まで行ってしまいましたが、これで正解でした。終点はザイサン・トルゴイがある丘の裏手にあり、ここからのほうが標高差は少なく、自然の遊歩道を歩いていけるので、表側から石造りの階段を上っていくより楽で爽快です。記念碑自体は共産党政権時代の群衆を描いたものですが、ここからは山あいの自然とウランバートルの都心の双方を一望できます。
帰りは表側の階段を下りて、最寄りのバス停から7番バスに乗り、ボグドハーン宮殿博物館(5000T)の近くで下車しました。ここはチベット仏教の活仏の一人である8代目ボグドハーンが冬の宮殿として利用していた場所です。豪華ではないけど、立派で快適に過ごせる場所でした。
その後再び7番バスに乗り、スフバートル広場の手前で下車。時刻は正午です。近くにあったカフェで羊のスープとジャスミンティー(7500T)の昼食をとってから、チョイジンラマ寺院博物館に向かったものの、なぜか休館でした。
その後、近くにあった政治粛清祈念博物館(2500T)に足を伸ばしました。ここはその名の通り、共産政権時代に吹き荒れた粛清の犠牲者たちを悼んで建てられた場所です。どう見ても本物にしか見えない頭蓋骨が、銃創の開いた状態で多数展示されていました。
時刻はまだ14時です。時間をもて余しそうだったので、バヤンゴンホテル前のバス停から11番バス(500T)に乗り、空港まで往復してみることにしました。所要30分で空港近くのバス停につき、そこから徒歩5分で空港着。帰りも同じ場所から11番バスに乗り、スフバートル広場の周りをぐるっと一周して、小環路南西(トルコ大使館の北西50メートル)にあるバス停で降りました。公共交通機関を利用して、地元民の人いきれを感じるのも楽しいものです。なお11番バスと22バスは経路こそ違うものの、空港近くのバス停とトルコ大使館北西のバス停は共通です。
そこからザナバザル美術館(5000T)まで歩き、チベット仏教の曼荼羅や仏像を満喫しました。私の「いつかチベットに行くかなきゃ死んじゃう病」も、先月の西寧旅行以来ほとんど治ってしまった気がします。
その後、地球の歩き方に載っていたモダン・ノーマッドというモンゴル料理の高級レストランに向かい、ミネラルウォーター、羊のスープ、羊の鉄板焼(計18200T)の夕食をとりました。ホテルの部屋に戻ってきたのは19時過ぎでした。

4日目、ホテルで朝食をとり、8時にチェックアウト。前日確認してあったトルコ大使館北西のバス停まで歩き、11番バスより先にやって来た22番バスに乗って空港に向かいました。しかしこちらは渋滞するメインロードと未舗装の道路を走るため、空港まで50分以上かかりました。空港と都心部を行き来するなら11番バス一択です。幸い、11番バスはそれほどレアキャラではありません。
空港で残った通貨を再両替し、チェックインと出国審査を済ませてから、プライオリティパスでラウンジに入って時間を潰しました。北京でも行きつけのCAファーストクラスラウンジで時間を潰し、無事名古屋に帰ってきました。

ところで最近、旅のお供に持っていく電子端末が NEXUS7 になりました。手頃な bluetooth キーボードと組み合わせれば長文の入力もさほど苦痛ではなく(フリック入力はいまだに慣れません)、amazon の電子書籍を入れておけば読書もでき、Maps With Me というソフトを入れて世界中の地図をダウンロードしておけば、オフ回線でもGPSで位置情報を確認でき、目覚まし時計にもなり、もちろんネット接続やUSBメモリの使用(専用ソフトが必要)もできるので、これ一台ですべて事足ります。
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西寧旅行記(14年5月) [海外旅行記]

今回は中国の西寧に行ってきました。
西寧は標高2300メートルに位置する青海省の省都で、イスラム教徒の回族が人口の1~2割を占め、チベット鉄道の出発地でもあります。中国には省、自治区、直轄市とあわせて31の地方行政区分がありますが、私はこれで21か所に訪れたことになります。
昨年8月、ユナイテッド航空の22500マイルを使い、下記の特典航空券を発券しました。

DAY1 CA160 NGO 0900 PEK 1135
DAY1 CA1261 PEK 1840 XNN 2110
DAY3 CA1208 XNN 1020 PEK 1235
DAY3 CA159 PEK 1700 NGO 2100
6月のNGO発、NRT、PEK経由、ULN行き

CA、NGO、NRT、PEK、XNN、ULNはそれぞれ中国国際航空、名古屋、成田、北京、西寧、ウランバートルの略です。
また空港税を101ドル(10141円)払い、上記搭乗区間の200%に当たる12514マイルを263ドル(26406円)で買い戻しました。結果的にはXNN往復とULN往路のチケットを9986マイルと36547円で入手した計算です。
ホテルはCTRIPでZhongfayuan Hotel(4つ星、朝食付き、2泊で536元)を予約しました。

初日、セントレアでチェックイン手続きと出国審査を済ませ、プライオリティパスでスターアライアンスラウンジに入りました。ここのスパゲッティやサンドウィッチは、私にとって日常的な食べ物になりつつあります。
定刻通りにセントレアを発ち、正午前に北京着。飛行機を降りると、普段はPM2.5で白濁している空気がいつになく澄んでおり、はるか遠くまで見通しが利きました。この時期なので、PM2.5が黄砂と共に日本に飛んで行ったのかもしれません。これはこれで複雑な気分ですが、市内観光をするには好都合です。エアポートエクスプレス(25元)と地下鉄(一律2元)を乗り継ぎ、北京最大のチベット仏教寺院、よう和宮に向かいました。これで3回目の参拝になりますが、「いつかチベットに行かないと死んじゃう病」の私にとって、必要な応急処置なのです。
そして3回目でやっと気づいたのですが、チベット仏教では一部の仏様が冠やネックレスで着飾っています。一般的に、悟りを開く前の菩薩は冠やネックレスなどの装飾品を身につけていますが、悟りを開いた仏は一切の装飾具を排除しています。奈良の大仏も装飾具をつけず、両脇の菩薩は着飾っていたはずです。しかしここでは尤量寿仏など一部の仏様が装飾具をまとい、ご本尊である身長18メートルの巨大な仏様も着飾っていました。現世的なお洒落に気を使う仏様は、これが初めてです。
その後、再び地下鉄とエアポートエクスプレスを乗り継いで空港に戻り、保安検査を済ませてCAファーストクラスラウンジに入りました(プライオリティパス利用)。はっきり言って、エコノミーの機内食よりもここの食事の方が美味です。ちなみに機内では気圧や湿度が低いため、同じものを食べても地上より物足りなく感じるそうです。
西寧には15分ほど遅れて到着し、空港バス(21元)と徒歩でホテルに到着しました。ホテルの部屋に入った時には23時を過ぎていました。

2日目はチベット仏教ゲルク派六大寺院の一つであるクンブム(タール寺)、青海省博物館、青海省最大のイスラム寺院である東関清真大寺を巡る予定です。
7時過ぎに起床し、ホテルで朝食をとってから、タクシーで西寧新寧路汽車駅に向かいました(12元)。ちなみに中国語では、汽車がバスを、火車が電車を表します。一部の文字は簡字体を使わないと通じないので、地球の歩き方中国(13~14)に乗っていた文字を書き写し、それを見せました。このご時世、タクシーの運転手に日本語のガイドブックを見せるのは危険です。
汽車駅(バスターミナル)で、こう中行きのチケット(5.5元)を買い、0900発のバスに乗りました。0955に終点に着き、下車したところの反対車線、斜め後ろから帰りのバスが出ることを確認してから、道路標識に従って徒歩でタール寺(80元)を目指すと、10分ほどで正面に門が見えてきました。しかし実際の入り口とチケット売場は、そこから少し左に下った先にあるので注意が必要です。
中に入ると、チベット仏教の建物が連なっていました。どこまでも延々と――それこそ「いつかチベットに行かないと死んじゃう病」が治ってしまう程の勢いです。私の場合、十分に満喫して所要2時間半でした。周りにいるのは信者ばかりで、あちこちで跪いて祈りを捧げる姿を見かけました。しかし出てくる際に団体観光客が入場するところとすれ違ったので、午後になると観光客で混んでくるのかも知れません。
その後、清真(イスラム料理)と書かれた店で米粉(ヌードル、6元)を食べてから、1320発のバスに乗り、1405に西寧新寧路汽車駅の近くに戻ってきました。そこから徒歩で青海省博物館(入場無料)に向かい、チベット族や他の少数民族に関する展示やこの地区で発掘された石器、土器などの展示をみました。ここは正直なところ、それほどでもありません。
次の目的地は東関清真大寺ですが、博物館の南の道を東に直進するとたどり着きます。東関清真大寺に向かうバスはたくさんあり、そのうち一つくらいはここを通るだろうと思ってバス停で待っていたら、22番バス(1元)がやってきました。
東関清真大寺(25元)には丸い白帽子を被った回族の男性がたくさんいましたが、私は銀川でも回族が集う清真大寺に行ったことがあるので、それと似ているという当たり前の感想しか抱きませんでした。ちなみに観光客は建物内部には入れません。
その後、商城(ショッピングセンター)地下の超市(スーパーマーケット)で土産物を買ってから、上品そうな清真レストランに入ったところ、結構お値段の張るお店でした。羊肉をゆでた名物料理と野菜サラダ、スープで108元です。
この日は早めにホテルで休むことにしました。

3日目、0640にチェックアウトしてから、朝食券を持って7時オープンの朝食会場に行きました。中国のホテルでは、スタッフが部屋の状況を確認してから押金(預り金)を返してくれるので、チェックアウトに時間がかかるのです。
食事を終えて0730にホテルを発ち、目の前を走っていた2番バス(1元)に乗ると、2つ目の停留所が空港バスの発車場所(こう中路と八一路の交差点の北西にある汽車駅)の道向かいでした。実際の乗り場は汽車駅の建物の奥まった場所にあります。
2014年5月現在、ここから空港へは6時と、8時から20時まで30分おきにバスが出発しています。
8時のバスに乗り、所要30分で到着。この空港にはプライオリティパスで入れるラウンジがないのが残念です。
北京到着後は国際線のCAファーストクラスラウンジで時間をつぶし、2105にセントレアに帰ってきました。
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ポンペイ旅行記(14年4月) [海外旅行記]

今回はミクロネシア連邦のポンペイ島に行ってきました。私にとって54カ国目の渡航地です。
しかしこのタイトルだとイタリアのナポリにあるポンペイ遺跡と間違える人も多そうなので、そちらについても触れておきましょう。

私がポンペイ遺跡を訪れたのは12年ほど前のことです。ローマからナポリ・ポンペイを周遊する日本語ガイドの日帰りツアーに申し込みました。ナポリは入り組んだ海岸線に面した都市で、世界三大夜景の一つです。他の二つは香港と函館ですが、この呼び方をしているのは日本人だけかもしれません。ともあれ、海岸線を境に真っ暗な海と街の明かりが描き出す光のコントラストが、世界三大夜景に選ばれる条件のようです。
その海岸線を午前中に見た後、地元のレストランでパスタを食べ、午後にポンペイまで足を伸ばしました。
火山の噴火によって一日で沈んだポンペイは、高度な都市計画に基づいて造られていました。道路は碁盤線のようにまっすぐ走り、様々な区画に様々な店が並んでいました。娼婦街や公衆浴場もあり、公共施設に寄付をした町長選挙の立候補者が自分への投票を促す表示を出すこともありました。うずくまった人型の岩も発掘されており、噴火の凄まじさをうかがい知ることができます。

さて、ここからが今回の旅行記です。昨年5月にUAの2万マイルを使って、下記航空券を発券しました。
DAY 1 UA172 NGO 2055 GUM 0135+1
DAY 2 UA155 GUM 0820 PNI 1303
DAY 3 UA155 PNI 1531 GUM1755
DAY 3 UA5079 GUM 2030 SPN 2120
DAY 4 OZ606 SPN 0250 ICN 0630
DAY 4 OZ124 ICN 1500 NGO 1645
UA、OZ、NGO、GUM、PNI、SPN、ICNはそれぞれユナイテッド航空、アシアナ航空、名古屋、グアム、ポンペイ、サイパン、ソウルの略で、2055は20時55分を表します。空港税は55.1ドル(5700円)であり、搭乗区間マイルの200%に当たる12572マイルを265ドル(27414円)で買い戻しました。結果的に7428マイルと33114円でポンペイとソウルを周遊する航空券(サーチャージ、空港税込)を入手した計算です。
しかし今年2月末、下記のように一方的に旅程を変更されてしまいました。
DAY 1 UA172 NGO 2055 GUM 0135+1
DAY 2 UA155 GUM 0820 PNI 1303
DAY 3 UA155 PNI 1531 GUM1755
DAY 3 UA137 GUM 0720 SPN 1020
確かに今回の旅行はポンペイが主な目的地であり、ソウルはおまけですが、あちこちの空港でラウンジを使い倒すつもりだったので当てが外れました。しかしこの件でUAに電話してもヤブヘビになりかねず、黙っていました。
ホテルはhttp://www.visit-micronesia.fm/jp/state/p_stay.htmlからSouth Park Hotelを選び、旧棟のシングルルーム(朝食なし、空港送迎つき、53ドル)をメールで申込みました。またグアムでの宿泊が急遽必要になったため、楽天トラベルでAQUA SUITES GUAM(朝食なし、空港送迎つき、84.36ドル)を申込みました。空港からの送迎はそれぞれ英語メールで依頼しておきました。

初日、仕事を終えてからセントレアへ。この時間はプライオリティパスで入れるラウンジがないので、ゴールドカードのラウンジに立ち寄りました。UAのエコノミークラスはアルコールが有料なので、ここで前もって飲んでおきました。

2日目の未明にグアムに到着し、。入国と出国を済ませてから Sagan Bislta ラウンジへ。ここではシャワーを利用でき、飲食も自由です。プライオリティパスのおかげで、町中のホテルに泊まらなくても快適にオーバーナイトできました。
明るくなってから飛行機に乗り、途中トラック諸島で一部の乗客を入れ替えてから、ポンペイに着きました。ホテルから送迎スタッフともすぐに会え、途中マングローブの森が見える道を通り抜けて、ホテルに送ってもらえました。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置いてから市内散策へ。時刻は1400過ぎです。
私が泊まったホテルは、コロニアという旧首都の西の外れにあります。しかし旧首都とは言っても、主な建物は一キロ四方の範囲に固まっており、食料品の他に日用雑貨も取り扱うスーパーが数件ある程度の田舎町に過ぎません。あたりには熱帯雨林が広がり、道路にはボロボロになった二十年ほど前の日本車が走っていました。そのため右走行にもかかわらず、右ハンドルの車が目立ちます。ミクロネシア連邦では、車の後方にナンバープレートが付いていますが、前方にはありません。スーパーには日本、韓国、アメリカ、フィリピンからの輸入品が並んでおり、一部の衣料品と農作物を除いてこの島で作られたものはなさそうです。これといった観光名所もなく、暑いだけなので、2時間ほどで市内観光には飽きてしまいました。
ここで島全体に目を向けると、コロニアは島の北端にあり、円形をした島の外周には太い道が走っています。これをレンタカーで一周すると5時間ほどかかりますが、東端に石造りの遺跡があることを除けば、基本的に何もないそうです。あとは無人島に行ったり、釣りをしたりするのがこの島での楽しみ方らしいのですが、今回はそこまでの時間はありません。それに日本語のガイドブックすらない場所で、どこに行けばそのようなツアーを申し込めるのかという情報もないままに来てしまいました。ホテルではネットが繋がらず、携帯電話はまさかの圏外です。普通の観光地なら、空港やホテルロビーに現地ツアーのパンフレットが山積みになっていますが、それもありません。あとはもう、翌日のフライトまで時間をつぶすしかなさそうです。
スーパーでミネラルウォーター(1リットルで0.9ドル)と弁当(フライや野菜などの惣菜と炊き込みご飯、3.83ドル)を買いこみ、海と森を望む小高い丘の上にあるホテルの部屋で夕食を済ませました。景色の良いホテルを選んでおいたのが、せめてもの救いです。

3日目は0800に起床し、ホテル併設のレストランで朝食をとりました。ハムの入った大きなオムレツと付け合わせのサラダ、ライス、コーヒーで8ドルです。この日のフライトは1531ですが、チェックインが始まるのは1400らしく、1330にホテルをチェックアウトして空港まで送ってもらえることになりました。
それまで部屋にいても退屈なので、再び散策に出かけました。
せっかくなので少しでも海に入ってみたいと思い、途中でスーパーに立ち寄り、サン・ミゲ・ライト(フィリピンの低カロリービール、1ドル)を買ってから、前日の空港からの送迎ルートを徒歩で逆行して、マングローブの森を望む海辺にやってきました。しかし水の透明度は低く、ともすれば数十メートル先にあるバラック小屋の住人の排泄物が流れてきそうです。指先で海水の温度を確かめるだけにして、道路脇のベンチに座り、マングローブの森と海を眺めながらビールを飲みました。これはこれで悪くないのですが、日本に帰ればもっと楽しいことがたくさんある気がします。
人々は道を教えてくれたり、挨拶してくれたり、笑いかけてくれたりして、南国特有のおおらかさと人の良さを感じます。熱帯雨林に囲まれ、ボロボロの車に乗って、テレビは衛星放送しかなくて、docomoの携帯電話は圏外。ポンペイは良くも悪くもそんなところです。
その後はホテルの部屋に戻って過ごし、ホテル併設のレストランでスペシャルランチ(ご飯、ヒレカツ、チキンカツ、ソーセージカツ、フライドチキン、マグロの刺身、サラダで8ドル)を食べました。比較的、日本人と近いものを食べている印象ですが、量は多めです。
1330に空港まで送ってもらい、チェックインをしましたが、フライトが遅延しているとのこと。結局グアムに着いたのは定刻より80分ほど遅い1915でした。しかし送迎の人はそれを知らなかったらしく、帰ってしまったようです。結局、25分ほどかけて空港からホテルまで歩いてしまいました。
チェックインの際に翌朝の送迎について確認すると、タクシーを呼ぶから自分で払うようにとのこと。しかし私の記憶では往復の無料送迎がついていたはずです(そもそもそれがこのホテルを選んだ最大の理由です)。部屋に荷物を置き、もう一度ネットで予約内容を確認し、日本語で書かれた説明文をスタッフの目の前で機械翻訳してみせたら、やっと信じてくれました。というか、予約プランくらいスタッフの側で把握しておいてほしいものです。結局翌朝0500に空港まで送迎してもらえる約束を取り付け、その日は早めに休みました。

そして4日目の0500――なぜかタクシーが来ており、それに乗せられて料金を支払わされました。往復無料送迎プランで客を釣っておいて、これでは詐欺でしょう? AQUA SUITES GUAMにはクレームを入れるつもりです。
それはさて置き、空港でチェックイン後にラウンジを利用し、定刻通り名古屋に帰ってきました。
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コタキナバル旅行記(14年3月) [海外旅行記]

今回はコタキナバル旅行です。昨年5月にユナイテッド航空の2万マイルを使って、下記の旅程を予約しました。
(1月旅行分)
DAY3 CA4452 LJG 0850 CTU 0955
DAY4 OZ324 CTU 0030 ICN 0450
DAY4 OZ122 ICN 0850 NGO 1035
(3月旅行分)
DAY1 OZ121 NGO 1140 ICN 1340
DAY1 OZ757 ICN 1850 BKI 2320
DAY4 OZ758 BKI 0100 ICN 0710
空港税は87.9ドル(9093円)です。発券直後に14922マイルを314 ドル(32483円)で買い戻しました。
また下記航空券を107900ウォン(10777円、空港税込)で購入しました。
DAY4 MM002 ICN 1025 KIX 1205
CA、OZ、MM、NGO、CTU、LJG、ICN、BKI、KIXはそれぞれ中国国際航空、アシアナ航空、ピーチアビエーション、名古屋、成都、麗江、ソウル、コタキナバル、関空の略であり、要は1月に訪れた麗江からの復路と今回のチケットを合計5078マイルと52353円で入手した計算です。
ホテルは expedia で Cititel express Kota Kinabalu(3つ星、素泊まり2泊で8716円)を予約し、2日目の日帰りツアーとしてinSabah.com でKinabalu Park & Poring Hot Spring Day Trip(英語ガイド混乗ツアー、昼食つき180リンギット、以下R)を申し込みました。

初日、いつもよりゆっくりとセントレアに向かい、チェックインと出国審査の後、両替所で2924円を80Rに両替しました。コタキナバルの両替所は20時で閉まってしまうとの情報があり(実際には22時まで)、空港からホテルへのタクシー代など最低限の現地通貨を用意しておこうと思ったのです。一般的にマイナー通貨の国で両替したほうがレートは良く、日本円よりメジャーな通貨は米ドルとユーロしか存在しません。マレーシア旅行なら、現地で両替するのが基本です。
幸い飛行機はほぼ定刻どおりに飛び、名古屋とソウルではプライオリティパスを使ってラウンジに入りました。翌週プチ講演の予定が入っていたので、その資料を作って時間をつぶしました。私の講演用スライドはこれまで撮りためた1万枚以上の世界各地の写真をバックに使うので、それだけで注目を集める仕組みです。
コタキナバルにも大きな遅延なしに到着し、エアポートタクシー(専用カウンターで前払い、30R)でホテルに向かいました。空港にはATMがあり、夜間も稼動していました。建物の外に出ると、ねっとりとした熱気が全身を包み込み、小洒落たビルの横ではいつ終わるとも知れない工事が延々と続いています。こういうのを見ると、東南アジアに来たという実感が湧いてきます。

2日目、ホテル近くのATMで300Rをおろしてから(手数料込み9888円)、ホテルで朝食(25.5R)を食べました。ここの朝食は値段の割に今一です。
8:15 ガイドがホテルロビーまで迎えに来てくれ、ツアーバスに乗り込みました。この日のツアーは、世界自然遺産にも指定されているキナバル公園と、第二次世界大戦中に日本軍が掘り当てたポーリン温泉を巡るものです。個人でこの2箇所をハシゴするのは困難だったので、ツアーに参加しました。大型バスがほぼ満席になるくらいツアー客がいて、その過半数は中国人で、日本人は私一人でした。ガイドは英語と中国語で説明していました。
最初にキナバル・マーケットに立ち寄りました。ここは民芸品のマーケットであり、近くの展望台からは標高4095メートルのキナバル山を望めます。ゴツゴツとした山肌がむき出しになった、とても雄雄しい山です。
次に世界自然遺産・キナバル公園へ。もっとも今回のツアーでは、山の麓にある自然林のハイキングコースを30分ほど歩くだけです。ミッキーマウスフラワーや脚長クモなど少し珍しいものも見ることができました。
その後、中華料理の店で昼食をとりました。店内には50カ国以上の国旗が飾られているのに日の丸が見当たらず、私はフィリピン人夫婦や白人女性と一緒に、中国人や韓国人の席から少し離れた小さなテーブルに案内されました。そこに作為を感じたのは気のせいでしょうか?
食後、日本軍が掘り当てたポーリン温泉に向かいました。最初にツアー客全員で熱帯雨林の森に張り巡らされた細いつり橋を渡り、それから50分ほどのフリータイムがありました。施設内には複数の温泉施設があり、蛇口からは熱い湯が出ていますが、大きなプールのような場所の水はすっかり冷めていました。私を含むツアー客の何人かは水着着用で温泉(プール?)を楽しみました。
その後、ラフレシアという直径70センチほどもある巨大な赤い花を見てから(希望者のみ、別途30R)、バスで3時間かけてコタキナバルに戻ってきました。到着した時には19時半を廻っていました。
私はホテル近くのショッピングセンターで下ろしてもらい、地下のフードコートでナシゴレン・スペシャル(8.5R)を食べてから、ホテルに帰ってきました。

3日目、ホテル近くにあるカフェテリア形式の店でマレーシア料理の朝食をとりました。調子に乗って取り過ぎたので14.1Rでしたが、10Rでも十分だと思います。
8時半にホテルをチェックアウトし、荷物をフロントに預けました。この日は個人で市内観光をする予定です。最初に王宮ふもとのバスターミナルでミニバス(1R)に乗り、リカス・スクエアに近い海岸沿いの道で降ろしてもらい、そこから徒歩でコタキナバル・ウェットランド(15R)に向かいました。ここは市内からほど近くにあるマングローブの原生林です。水の上にドーム上の根を張り巡らし、そこから直立する幹が無数にそびえ立っていました。つい数週間前に西表島でマングローブの原生林を見たばかりですが、あちらは大勢で船に乗って巡るのに対して、こちらは遊歩道をほぼ貸切状態です。気分よく散歩していたところ、遊歩道から尻を突き出して大便をしている男性客を見てしまいました。ここでは入場時に住所氏名を名簿に書くことになっていたので、出る際にもう一度確認したところ、私以外に中国人男性客が一人だけ入場していました。ああ、やっぱり……。いつもながら中国人の民度には呆れます。
帰りは再び海岸沿いの道まで歩き、そこでバス(2R)に乗って元のバスステーションに帰ってきました。途中、カラムンシン・コンプレックスというショッピングセンターに立ち寄り、地下のフードコートで牛肉とコーヤをご飯にぶっかけた料理(7R)を頼んで昼食を済ませ、徒歩でサバ州立博物館(15R)に向かいました。
ここにはサバ州の動物、歴史、文化に関する展示物がありますが、鯨の実物大の骨格模型が一番目を引きます。また屋外には昔の集落を再現した場所もあり、風通しの良い昔の家屋で寝転がってみると意外と快適でした。施設内に併設されているイスラム博物館にも立ち寄りましたが、クアラルンプールのマレーシア・イスラム博物館と比べると、どうしても見劣りしてしまいます。
本当はその後、サバ州立モスクにも足を伸ばす予定だったのですが、暑さでダウンしてしまったので、残り時間は市内のショッピングセンターでつぶすことにしました。「地球の歩き方 マレーシア・ブルネイ12~13」に載っているハコッド・オアシスという店に行き、フィッシュ・スパ(ドクターフィッシュが足の角質を食べてくれる)を試そうとしましたが、”not available”とのこと。仕方なく、別の店でフットマッサージ(1時間42R)をしてもらいました。
その後ショッピングセンター内を散策して時間をつぶし、前日と同じ店でナシゴレン・シーフード(7R)を食べてからホテルで荷物を引き払い、王宮ふもとのバスターミナルを19時に出発する空港バス(T1まで30分、5R)に乗りました。空港にはフライトの5時間半前についてしまいましたが、市内でこれ以上やりたいこともなかったので仕方ありません。
2210にチェックインが始まり、出国審査を済ませた後、プライオリティパスでラウンジに入ってシャワーを利用しました。ここのシャワーは一つしかないので早い者勝ちです。コタキナバルでは空港ですらまともなトイレに遭遇できなかったのですが、さすがにここのシャワールームはきれいに掃除されていました(マレーシアではトイレットペーパーの代わりにホースを使うので、便座や床がよく分からない水で濡れています)。

4日目の朝にソウルに着き、一度入国してからMMのチェックインを済ませ、ラウンジに立ち寄りました。ここで飲食を済ませておけば、LCCの機内では寝ているだけで済むという算段です。なお、もしここでソウル到着が遅れたらMM便に乗り継げず、購入したチケットが無駄になってしまいます。だからと言ってMMの午後便にすると、ラウンジにも入れないまま中途半端な時間をつぶさなければいけません。これまでのOZ758便の遅延データを踏まえ、99%大丈夫と踏んでMM002便を選びました。当初はセントレア行きのエアアジア便を期待していたのですが、撤退してしまったので仕方ありません。
関空には定刻どおり到着し、ラピートβ(MM機内で1000円)と近鉄特急(デラックスシート、金券ショップで3600円)を乗り継いで名古屋に帰ってきました。
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ソウル旅行記(14年2月) [海外旅行記]

今回はソウル旅行です――というより「JAL成田国際線ラウンジを利用するついでにソウルまで行った」という表現が近いかもしれません。今回の旅行で一番の楽しみは2年ぶりにこのラウンジを使い倒すことであり、個人的にはシンガポールのシルバークリスラウンジや北京T3のファーストクラスラウンジより高く評価しています。
昨年3月末にJAL18500マイルと空港税など9990円を払って下記航空券を発券しました。往路はビジネスクラス、復路はエコノミークラスです。
DAY1 JL3082 NGO 0810 NRT 0920
DAY1 JL959 NRT 1835 ICN 2130
DAY3 JL954 ICN 1340 NRT1605
DAY3 JL 3087 NRT 1825 NGO 1940
JL、NGO、NRT、ICNはそれぞれ日本航空、名古屋、成田、ソウルの略です。
ホテルは楽天トラベルでユンゲストハウス(朝食付き、2泊で8386円)を予約しました。
下記を比較すれば分かりますが、ソウルの放射線量は東京以上です(単位の違いに注意)。韓国人は日本の放射能汚染を恐れていますが、まったくナンセンスな話です。
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/30108982.html
http://new.atmc.jp/

旅行初日、セントレアでチェックインと保安検査を済ませた後に国内線ラウンジに入りました。このラウンジはゴールドカードのラウンジに毛が生えた程度で特別の感慨はありません。かつてセントレア・成田間が国際線の扱いだった時代には国際線のサクララウンジを利用でき、そちらでは無料のマッサージサービスや飲食を楽しめたのですが、仕方ないですね。
成田到着後、すぐにサクララウンジに入りました。ここでは時間帯によって食事メニューが変わり、マッサージサービスやシャワールームも利用でき、夕方オープンするバーでは日本酒ベースのオリジナルカクテル「SAKURA」を楽しめます。朝から晩までラウンジでまったりと過ごすこの時間が今回一番の醍醐味です。
定刻どおりに成田を発ち、仁川国際空港着。空港鉄道(4050W)と地下鉄(1150W)を乗り継いでホテルにたどり着いた時には23時20分を廻っていました。

2日目、9時過ぎにホテルを出発し、明洞の行きつけの店で海鮮海苔巻き(3000W)を食べました。この日は何をするか決めていなかったのですが、これまで20回近くソウルに来ていて、これ以上行きたい場所もなく、地下鉄(1850W)で仁川に向かうことにしました。東仁川(160番駅)で降り、駅前の中央路を駅から遠ざかる側に面したバス停で6番バスに乗って仁川上陸作戦記念館(入場無料)へ。これまでの経験上、韓国最大の観光資源は北朝鮮関連だと思ったからです。ソウルに限って言えば、世界文化遺産よりも板門店のほうがはるかに行く価値があります。
しかしここの展示はそれほどたいしたことはありません。しいて言えばマッカーサーが使っていた帽子とサングラスがあったことくらいでしょうか? そのくせ往復共にアクセスの難易度は高く、帰りは冷や冷やしながら8番バスで松内(150番駅)まで戻ってきました。
地下鉄1号線で市庁に行き(1450W)、津波のように青くうねりながら日本統治時代の旧市庁舎を背後から飲みこもうとする新市庁舎を見学しました。一応、誤解のないように言っておくと、この新市庁舎は東日本大震災前にデザインされたものですが、完成したのは震災後です。現在、旧市庁舎は図書館になっており、新市庁舎の内部にはうっそうと茂る緑が壁一面に生えていました。
その後、肉饅頭のスープ(7000W)、スンデ(米の腸詰、3000W)を食べてから、ロッテ免税店と明洞を散策し、ホテルに帰ってきました。日本語表記のない店(日本人を歓迎する意思表示をしていない店)では、料理に唾を入れられたりして嫌がらせを受ける危険が高まります。明洞付近は日本人観光客を収入源にしており、おおむね大丈夫だと思いますが、韓国語表記しかない地方の店に入るのは勇気が必要です。必然的に明洞付近に戻ってきてから遅めの昼食と早めの夕食をとることになりました。
ロッテ免税店では中国語がしばしば聞こえてきて、日本語を話していた人の割合は2~3割くらいでした。数年前に比べたらずいぶんと減ったものです。

3日目、朝早くに行きつけのシンソンソルロンタンという店でソルロンタン(7000W)を食べ、朝の寝静まった明洞を散策してからホテルに戻ってきました。少し時間をつぶしてからチェックアウトし、地下鉄と空港鉄道を乗り継いで空港へ。1120にはチェックインが始まっており、保安検査と出国審査後にプライオリティパスでHUBラウンジに入りました。ここのプルコギは美味いので、わざわざソウル市内で高い金を払って肉を食べなくても満足できます。実際、今回の旅行で宿泊費の他に使った金額は4万Wちょっとでした。
なお、色とりどりの民族衣装を着た大名行列のような一団が空港内を歩いていました。観光客向けのショーですが、実はかつての朝鮮半島では高価な染料が手に入らなかったため、多くの人は白い衣装を着ていました。韓流歴史ドラマの登場人物たちがあのカラフルな衣装を着ているのは韓国人の願望に過ぎません。ただし彼らはいつしか願望を真実と思い込むようになり、嘘を大声でまくし立てるうちに何も知らない白人などはそれを真に受けてしまうので、注意が必要です。竹島は日本の領土であり、従軍慰安婦は金銭的なやり取りのあった事実上の売春婦です。というか、昔ながらの遊郭の制度を戦場に持ちこんだという表現が近いかもしれません。そのうち4割は日本人でした。父親に売られ、あるいは朝鮮人の民間業者に騙され、軍がそれを取り締まることはなかったと思われるので、彼女たち自身は可愛そうな人かもしれません。しかしそのおかげで生活を助けられていたのは彼女たちの家族です。少なくとも今、日本政府が朝鮮半島の売春婦に謝罪と賠償をする必要はまったくないと信じています。それに日本側が謝罪しても、相手はこれまで「心からの謝罪ではない、あんなものは認めない」とヤクザの理論を振りかざしてきました。彼らは乾いた大地に水が染み込むように謝罪と賠償を吸収し、増長する民族です。
なお、私自身はソウルを定刻どおり出発し、成田を経由して無事に名古屋に帰ってきました。

さて、今後の予定ですが、3月はコタキナバル(マレーシア)、4月はポナペ、5月は西寧、6月はウランバートル、7月はタシケント、8月はサイパン、9月はヌクアロファ(トンガ王国)、10月はフフホト(中国内モンゴル自治区)、11月は光州(韓国全羅道)、12月は張家界(映画アバターのモデルになった中国の世界遺産)に行く予定です。すべてマイレージプラスの特典航空券で、ルール改悪前に申し込みました。今年はすべて特典航空券で毎月海外旅行に出かけるという、無駄に前代未聞な記録に挑戦するつもりです。
光州が位置する全羅道は、差別意識の激しい韓国にあって「外国」と揶揄される民度をもつ被差別地域です。常識の斜め上を行く嫌がらせにあわないよう「日本人だとばれたら負けだと思ってる」をモットーに敵地視察に励みたいと思います。
今からヒリヒリして楽しみだぜ、ヒャッハー。
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麗江・成都旅行記(14年1月) [海外旅行記]

今回は中国の麗江と成都への旅行です。
昨年5月にユナイテッド航空の3万マイルを使って、下記の旅程を予約しました。
(1月旅行分)
DAY1 CA406 NGO 1540 CTU 2205
DAY2 CA4451 CTU 0640 LJG 0800
DAY3 CA4452 LJG 0850 CTU 0955
DAY4 OZ324 CTU 0030 ICN 0450
DAY4 OZ122 ICN 0850 NGO 1035
(3月旅行分)
DAY1 OZ121 NGO 1140 ICN 1340
DAY1 OZ757 ICN 1850 BKI 2320
DAY4 OZ758 BKI 0100 ICN 0710
空港税は合計で121.2ドル(12538円)です。このうち一部区間のマイルの200%にあたる14922マイルを314 ドル(32483円)で買い戻しました。
また下記の航空券を107900ウォン(10777円、空港税込)で購入しました。
(3月旅行分)
DAY4 MM002 ICN 1025 KIX 1205
CA、OZ、MM、NGO、CTU、LJG、ICN、BKI、KIXはそれぞれ中国国際航空、アシアナ航空、ピーチアビエーション、名古屋、成都、麗江、ソウル、コタキナバル、関空の略であり、要は1月と3月の旅行のチケットを合計15078マイルと55798円で入手した計算です。
ホテルはCTRIPで成都のYuhang Business Hotel(準一つ星半、空港送迎付き、素泊まり99元)と麗江のRH. Spring Hotel(準二つ星半、素泊まり180元)を予約しました。後者はTop 10 Special Chinese Traditional Inns 2007に選ばれた宿です。

初日、昼過ぎにセントレアでチェックインを済ませ、プライオリティパスでラウンジに入ってから搭乗しました。この日搭乗する成都行きは上海経由です。上海までは搭乗率2割程度であり、上海に着いたところで成都行きの乗客(4人だけ)は空港スタッフの誘導で入国審査を済ませ、国内線ターミナルへと案内されました。
ここで再びラウンジに入って時間をつぶしてから搭乗し、2230に成都着。上海から先は国内線になるため、中国人で満席でした。上海の空は白濁したPM2.5色に霞んでいましたが、成都ではかなり遠くまで見通しが利きます。この日泊まるホテルは無料送迎サービスを提供しており、前もって英語メールで依頼してあったのですが、案の定スタッフらしき人は来ていません。ホテル予約カウンターに電話をかけてくれないか依頼したものの、何となく断られ、結局その場にやってきた若い男性の言い値(60元)でホテルまで送ってもらうことになりました。
距離は2キロ程度なので非常に割高ですが、50元に値切ろうとしても首を縦に振りません。もっとも本当の悪人なら、私を車に乗せた後で暗闇に連れ込んで強盗に早変わりするので、値段にはあまりこだわらないはずです。逆に値切り交渉に応じないということは、きちんと私をホテルまで送り届けるつもりなのだろうと安心して、その人に着いていきました。ホテル近くまで来ると、私と一緒に車を降りて屋台のおばさんに道を尋ねてくれ、おかげで無事にホテルまでたどり着くことができました。外国で夜中、安全にホテルまでたどり着くためのコストと思えば、高くても仕方ありません。

翌朝は0430にモーニングコールがあり、0500に空港まで送り届けてもらいました。成都はチベットへのゲートウェイになっており、ラサ行きの便がたくさん飛んでいます。「いつかチベットに行かないと死んじゃう病」の私には目の毒ですが、現在は団体旅行でないと入境許可証を取れないらしいので当面は諦めています。
麗江到着後、エアポートバス(20元)で市内に向かいましたが、驚いたことに空が晴れています。中国では白濁したPM2.5色の空がデフォルトですが、まるで中国以外の国みたいに晴れているのです! 遙か彼方にある山の稜線がくっきりと浮かび上がり、青い空との鮮やかなコントラストを描き出していました。赤煉瓦づくりの昔ながらの家屋も見かけ、まるで20年前の中国にタイムスリップしたようです。さすがに街中に入ると近代的なビルを見かけるようになりましたが、相変わらず空は晴れていました。
市内到着後、地球の歩き方 成都・九寨溝・麗江 2014~15の地図を見ながら徒歩で麗江市博物館(黒龍たん景区や旧市街と共通で80元)に向かいましたが、またしても地球の騙し方にしてやられました。地図では象山東路より少し北にあることになっていますが、実際にはかなり南です。麗江にはトンパ文字というユニークな絵文字を用いる少数民族ナシ族が住んでおり、博物館の展示はこのナシ族に関するものです。
その後、博物館の東にある登山口から山の中腹(鳥居)まで登りました。青い空と麗江の街並みを一望でき、絶景なのですが、標高2400メートルの麗江ではすぐに息が上がってしまいます。
その後、黒龍たん(水の澄んだ美しい湖)を一周し、近くの店で牛肉麺(8元)を食べてから世界文化遺産の麗江古城に向かいました。通りには店が建ち並び、かなり商業化されていますが、何となく散策するのが楽しい場所です(但しどこまでも同じような街並みが続いているので、1~2時間も歩き回れば十分です)
少し飽きてきたところでホテルに向かい、チェックインをしました。ここで対応してくれた若い男性スタッフが初心者だったので、前払いのホテルバウチャーに追加料金を要求してきて、説明に少し手間取りましたが、無事チェックイン。古い家屋をそのまま用いたような内装は趣があり、お茶もサービスで飲めるので、なかなか当たりです。スタッフも誤解があったことを除けば感じの良い人でした。
その後再び街中に出かけ、羊肉串(3本10元)、風花雪月ビール(7元)、KFCのコーヒー(7.5元)、米麺を鶏ガラスープにつけて食べる雲南省の麺とビール(合計40元)、ココナッツジュース(10元)を食べ歩きしてから帰ってきました。世界遺産の雰囲気を崩さないように、KFCも外装は周りの景色になじむ中国様式でした。
一度ホテルに戻って休み、暗くなってから再び散策してみると、ライトアップされた街並みには千と千尋の神隠しを思わせるノスタルジックな情緒が漂っています。民族舞踊のショー(120元から)もやっていましたが、時間の半分以上は中国語の漫才トークらしく、眠さも相まって断念しました。

3日目は朝5時に起床し、5時半にチェックアウト。麗江古城を通り抜けて6時半のエアポートバスに乗る予定です。6時過ぎにエアポートバス乗り場に着いたところ、ミニバスの運転手が20元で空港行きの乗客を集っていました。料金はエアポートバスと同じなので、すぐに出発できるこちらに乗ったところ、高速道路脇の一般道を猛スピードで駆け抜けるスリリングな運転で6時45分に空港に到着しました。チェックインを済ませ、ラウンジで菓子類をつまんでから搭乗し、寝ているうちに成都に到着しました。この日は前回の成都旅行で行き損ねた世界遺産・都江えんに行く予定です。PM2.5の影響なのか、空は白く霞んでいました。
空港からエアポートバス1号線(10元、30分)、地下鉄(錦江賓館から茶店子客運駅まで3元)、高速バス(都江えんまで17元、60分)、市バス7番(2元、12分前後)を乗り継いで到着しました。外国で公共交通機関を乗り継ぐ際の鉄則として、帰路の乗り場を確認しておく必要があります。途中で昼食をとり、到着したのは13時過ぎでした。
都江えんを一言で説明すると、今から2000年以上前に大河の潅漑工事をしてその支流を成都平原に引き込んだ分岐部です。そのおかげで現在の成都は人口1200万の大都会になっており、当時の中国の潅漑技術とマンパワーは世界一ィィィィ、という理由で世界文化遺産になりました。これを知らないと、単なる川の分岐部がなぜ世界遺産なのか疑問に思うはずです。
入場料は90元で、中には中国式庭園や寺院もありますが、やはり一番の見所は人工的に作られた支流の壮大さです。支流にうまく水を引き込むとともに、洪水の時に支流の水を本流に戻すためのバイパスまであり、これを2000年以上前の人が作ったとは恐れ入るばかりです。西門から入り、離堆公園、人時堤、金剛堤、吊り橋を通って玉塁山公園から東門へと抜けたところ、前半は壮大な大河の流れを間近に感じられ、後半は山の上からその全貌を一望できました。観光の所要時間は3時間程度です。
東門を出たところに、ミニー(ミッキーマウスのガールフレンド)を少し不細工にした着ぐるみが歩いていました。中国お得意のパチモンでしょうか? 写真を撮ろうとしたところ、その隣にいたパンダの着ぐるみに見つかり、パンダやミニーと一緒に写真を撮られ、二体あわせて40元請求されました(写真撮影一体当たり20元)。シャッターボタンを押してくれる際には着ぐるみを脱ぐのですが、ニ体とも50過ぎの肉体労働社風のおじさんが入っていました。見てはいけないものを見てしまった気がします。きっと40元はその罰金なのでしょう。
精神的に打ちのめされながら、行きと逆ルートで成都の茶店子客運駅まで戻ってきました。時刻は17時半です。ここから地下鉄で○(馬累)馬市に向かい(3元)、その近くにある陳麻婆豆腐店に入りました。
もともと麻婆豆腐は、陳というアバタ(麻)だらけの老婆が作った料理です。この店はその名の通り麻婆豆腐の総本山であり、中華の鉄人・陳健一もその流れを組んでいたはずです。マグマのように煮だった麻婆豆腐とライス、ビール、副菜を頼んで38元でした。山椒がよく効いた劇辛の麻婆豆腐は、CoCo壱番屋の3辛以上の戦闘力を秘めています。
食後、地下鉄(2元)とエアポートバスを乗り継いで空港に戻ってきました。フライトの4時間半前に到着したので、KFCでコーヒー(10元)を頼んで時間をつぶしました。成都にはプライオリティパスで入れるラウンジがないのが痛いところです。
空港内の本屋には、韓国のガイドブックが山積みにされている一方、日本のガイドブックは数えるほどしかありません。現状を鑑みれば、さもありなんです。私のように好きこのんで敵対感情の強い国に旅行する酔狂は日中ともに少ないのでしょう(ちなみに来月はソウルです)。もちろん今回の旅行中も日本語のガイドブックを人前で広げず、英語だけを話し、極力日本人だとばれないように腐心しました。

深夜、日付が変わってから成都を発ち、乗り継ぎ地のソウルではラウンジでシャワーを利用して朝食をとりました。名古屋には定刻より少し遅れて帰ってきました。
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シンガポール・プノンペン旅行記(13年12月) [海外旅行記]

今回はシンガポールとプノンペンを周遊してきました。シンガポールに入国するのは10年ぶりですし、これまで渡航したアジアの中で首都に行ったことがない唯一の国がカンボジアでした。アンコールワットには行ったのですけどね……。
今年2月にユナイテッド航空の3万マイルを利用し、空港税89.5ドル(8605円)を払って下記の航空券を発券しました。発券直後に14266マイルを300ドル(28843円)で買い戻したので、最終的に15734マイルと37448円で入手した計算です。
DAY1 SQ815 KIX 2330 SIN 0540+1
DAY3 TG404 SIN 1225 BKK 1345
DAY3 TG584 BKK 1825 PNH 1940
DAY 4 OZ740 PNH 2350 ICN 0650+1
DAY5 OZ122 ICN 0850 NGO 1035
SQ、TG、OZ、KIX、SIN、BKK、PNH、ICN、NGOはそれぞれシンガポール航空、タイ航空、アシアナ航空、大阪、シンガポール、バンコク、プノンペン、ソウル、名古屋の略です。
ホテルはbooking.comでシンガポールのAmrise(2つ星、素泊まりで70シンガポールドル、以下S$)とプノンペンのOhana Phnom Penh Palace (4つ星、朝食付き61$)を予約しました。またhttp://evisa.mfaic.gov.kh/Default.aspx でカンボジアのビザ(28$)を取得しました。
カンボジア国内には内戦の名残でかなりの銃器が出回っているらしく、人気の少ない場所を一人で出歩くのは危険そうです。普段から置き引きには注意を払っており、詐欺にもそれなりに対応する自信がありますが、銃口を突きつけられたら何もできません。そこでパスポートやクレジットカードなど真の貴重品はズボン内に隠し、ダミーの貴重品(数万円)をバッグに入れ、普段使いの財布を別に持ち歩くことにしました。これなら二段階まで貴重品を強奪されても何とかなります。
地球の歩き方に載っていた犯罪多発地区を頭に入れ、外務省の海外安全ホームページを読み、不案内な旅行者だと悟られないよう人前でガイドブックを開かないようにして、もし銃を突きつけられたらパニクった様子でパスポートをホテルに置いてきたと主張し、愛想笑いをして――撃たれないように最大限のシミュレートをしておきました。ここまでの警戒水準を発動するのは久しぶりです。

初日、名古屋から近鉄特急と南海電鉄ラピートβを乗り継いで関空に向かい、定刻通りシンガポールに旅立ちました。
2日目の朝6時前にシンガポールに着き、MRT(2.1S$)でマリーナ・ベイへ。まだ朝も早いため、普段なら混んでいるマーライオン周辺もゆっくり観光できました。マーライオンの正面、マリーナ・ベイを挟んだ向こう側にはマリーナ・ベイ・サンズがあり、その奥には巨大な樹木型のオブジェ(スーパーツリー)がそびえるガーデンズ・バイ・ザ・ベイがあります。そのあたりを徒歩で散策し、9時半過ぎにマリーナ・ベイ・サンズ最上階、地上200メートルのサンズ・スカイパーク(20S$)に行きました。屋上にある船の前方部分が入場料を払うと入れる展望台で、後方部分がホテル宿泊客専用のプールになっています。隣に見えるインフィニティー・プールは、なかなか快適そうでした。
その後、地下のフードコートで海南チキンライス(野菜付きで8.8S$)とヌードル(4.8S$)を食べ、ラッフルズ卿の上陸ポイントやクラーク・キーを散策してからMRT(1.2S$)でリトル・インディアへ。ここから南東に歩いていくと、インド人街とアラブ人街の双方を散策できます。ほんの数百メートでここまでカルチャーが異なる場所はなかなか貴重です。インド人街を抜け、サルタン・モスクとその近くにあったラッフルズ病院(富裕層専門?)を見学していると、雨が降ってきました。夜行便で寝不足だったこともあり、MRTでホテルに向かい、チェックインしました。そのままベッドに倒れ込むように寝入ってしまい、目が覚めると19時です。本当は夜景を見に行ったり、シンガポールスリングを飲みに行ったりしたかったのですが、まだ小雨が降っており、この時間から再び都心に繰り出す元気もなかったので、ホテル周辺にある中華の屋台で夕食を済ませて戻ってきました。
過去3回のシンガポール旅行では観光者向けの美しい場所だけを見てきましたが、下町にはかなりディープなチャイナ・ワールドが広がっています。

3日目は7時半に起きて8時にチェックアウト。そのまま空港に向かい、アーリーチェックインを済ませてから、プライオリティパスでスカイビュー・ラウンジに入りました。時刻は9時20分です。この日はラウンジと機内食で飲食を済ませ、食費をゼロにする予定です。遅めの朝食をとり、ラウンジで時間をつぶしてから、バンコク行きに乗りこみました。
バンコクでもラウンジをハシゴして時間をつぶし、定刻通りにプノンペン着。ネット上で取得したビザはどうも認証に問題があったらしく、入国審査で少し手こずりました。ビザそのものは3×4センチの写真と20ドルを用意すれば空港で簡単に取得できるので、この方が安くてお勧めです。結局8ドル余分に払って心労を買っただけでした。
市内の観光客が訪れそうな場所ではドル建てが一般的ですが、念のために空港内で3000円を両替すると100400リエル(以下R)になりました。
空港の制限エリア内でタクシーに乗るための黄色い紙(TAXY、9$と書かれています)を受け取り、正規のタクシー乗り場からタクシーに乗りました。料金は到着時に運転手に支払うシステムです。ホテルは川沿いの大通りから少し奥に入ったところにあり、大通りはこの時間も外国人観光客で溢れていたので、少しだけ出歩いてみました。お洒落なカフェでメインディッシュは3.75$から、カクテルは一律2.25$といった具合でかなりリーズナブルです。現地の雰囲気を見て、警戒水準を一段階引き下げることにしました。街中は外国人観光客で溢れているので、旅行者然としていても狙われる危険は少ないでしょう。

4日目は終日プノンペン市内観光です。
ホテルの朝食会場は屋上にあり、オープンエアーの席で川を眺めながらの食事は快適でした。このホテルは当たりです。チェックアウトして荷物をフロントに預けてから、9時にホテルを出発しました。
まずはトゥクトゥク(値切って3$)でトゥール・スレン博物館(2$)へ。ここはポルポト時代に政治犯とその家族を収容し、拷問した場所です。タタミ一畳分くらいの狭い独房や、広い部屋の真ん中に鉄製ベッドが一つだけ置かれた拷問部屋が現在も残されており、笑顔を禁止する表示がありました。かつてここには2万人以上が収容され、生きて解放されたのは7人だけとのことです(処刑場所は別にありますが、今回は行きませんでした)。収容者たちの写真が展示されていましたが、男女ともにそれこそ小学生から老人まで幅広い年齢の人たちが写っており、そのうち一部は顔が腫れ上がったまま目を見開いていました。どう見ても殺害後です。                              
その後、再びトゥクトゥク(値切って3$)でホテルに戻り、そこからトンレサップ川沿いを歩いてワット・プノン(1$)へと向かいました。丘の上に建てられたこの寺院は、きらびやかな本堂と白亜のストゥーパ(尖塔)を有し、一見の価値ありです。
その後プノンペン駅に向かったところ、なぜか大勢の軍人が駅舎を占拠しており、それ以上近づけませんでした。駅の見学は諦め、セントラル・マーケットまで歩きました。中央は貴金属、その周りでは衣類や食料品が売られていましたが、地元民仕様であり、少なくとも私が欲しいものはありません。
その後コンビニに寄って缶ビールを飲んでから、ホテル周辺のカフェに入り、チキンのフライドライスとシンガポールスリング(合計6$)の昼食をとりました。
酔いが回ると熱中症になりやすいので、水をたくさん飲む必要があります。すると尿意をもよおすので、国立博物館(5$)に行ってトイレを借りました。ここにはクメール時代の仏像が多数展示されていますが、ネパールに比べると鼻の低い像が多いと感じました。また当時は王が代替わりすると国教が仏教になったりヒンズーになったりしたので、その際に削られてしまったのでしょう。鼻の欠けた仏像を多数見かけました。
次に王宮とシルバーパゴダ(25000R)に向かいました。即位殿と銀を敷きつめたシルバーパゴダはどちらも豪奢で見応えがありました。後者の本尊は数十センチ大のエメラルド仏で、バンコクのワット・プラケオを彷彿とさせます。これらを見学し終えると17時になっていました。トンレサップ川沿いの広場で風に吹かれながらヒューマン・ウォッチングをして時間をつぶし、18時になったところでお洒落なカフェに入り、タイ風ヌードルとグラスワイン(7.5$)の夕食をとりました。
食後、ホテル隣にある地元民の市場を散策してから(やはり欲しいものは皆無です)、荷物を引き払い、トゥクトゥク(公定料金7$)で空港に向かいました。夜風に吹かれてのドライブは快適ですが、信号待ちで物乞いが寄ってくるので少し緊張しました。フライトの4時間以上前に着いてしまいましたが、街中でもこれ以上することはありませんし、安全面を考えて早いうちに空港まで移動したかったので、よしとします。ただしカンボジアにはプライオリティパスで入れるラウンジがなく、これが痛手でした。
定刻より少し遅れてプノンペンを発ち、翌5日目の朝にソウル着。ここでラウンジを利用してシャワーを浴び、名古屋に帰ってきました。

ポルポト時代の銃器が残っているという話で警戒水準を上げていったのですが、基本的にカンボジア人は素朴で控えめな人たちです。今回の旅行中に私の危険センサーが発動することはありませんでした。私は日本の企業に中韓よりもアセアン諸国とバングラデシュに目を向けることを推奨します。インド人とも仲良くしたいところですが・・・ダメ元でゴリ押ししてくる強烈な国民性が日本人にはきついはずです。
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ダッカ旅行記(13年11月) [海外旅行記]

今回は2度目のダッカ旅行です。
昨年8月に初めてのダッカ旅行(http://ryokodo.blog.so-net.ne.jp/2012-08-26)をした際、現地の人とフェイスブック友達になっていましたが、その人に誘われての再訪です。ジアと呼ぶことにしますが、ダッカ大学(日本でいう東大)で学んだエリートです。
今年5月末にマイレージプラス3万マイルと空港税93.4ドル(9657円)で発券し、マイルアクセラレーターを利用して17220マイルを362 2ドル(37449円)で買い戻しました。最終的に12780マイルと47106円で入手した計算です。
DAY1 TG673 KIX 0030 BKK 0500
DAY1 TG 321 BKK 1055 DAC 1230
DAY2 SQ447 DAC 2320 SIN 0525+1
DAY3 SQ860 SIN 0830 HKG 1215
DAY3 NH1242 HKG 1410 NGO 1845
KIX、BKK、DAC、SIN、HKG、NGO、TG、SQ、NHはそれぞれ、関空、バンコク、ダッカ、シンガポール、香港、名古屋、タイ航空、シンガポール航空、全日空の略で、1055は10時55分を指します。
ホテルはagodaでHotel 71(朝食付き、1泊3572円)を予約し、ビザは専門業者に依頼しました。
初日、ジアは空港近くのモスクで礼拝を済ましてから空港まで迎えに来てくれるというので、その言葉に甘えることにしました。今回の旅行プランは基本的にジアにお任せです。
私も彼へのお土産として、うなぎパイ、どらやき、ドラえもんのコミック、コアラのマーチを用意しました。
どらやきは世界的に有名なドラえもんの大好物ですが、メーカーによっては酒精やみりんなどアルコール類が入っているため、そうでないのを探すのに苦労しました。味の素には豚の触媒が用いられている可能性があり、基本的に旨味系はNGです。どらやきが登場して、しずかちゃんのお風呂シーンがないこと(性的描写はタブー)を条件にコミックを探し、のび太の宇宙開拓史に行き着きました。イスラム教徒へのお土産は結構大変です。

出発前日、仕事を終えてから近鉄特急と南海ラピートβを乗り継いで関空に向かい、タイ航空便に乗りました。バンコクのスワンナプーム国際空港ではプライオリティパスで利用できるラウンジが増えていたので、新しいところにも行ってみました。きれいなシャワーブースがありますが、数が少ないので時間帯によっては混むかもしれません。
ダッカには定刻前に着き、入国審査と税関を通過しました。税関では前の客が質問責めにあっていましたが、私は "Japan, OK" の一言で終わりです。なお空港内で8000円を両替したところ、5920タカ(以下T)になりました。
ジアとの細かい待ち合わせ場所を決めていたかったので、一度ターミナルの外へ出てみると、再入場には200Tが必要とのことです。そのまま外で待っていると、空港職員が事情を聞いてジアに電話をかけてくれました(私の携帯ではかかりませんでした)。チップを要求されたので100T支払いましたが、その人が最後まで案内してくれたおかげでジアに出会えました。
ジアと一緒にCNG(小型三輪タクシー)に乗り、ホテルに荷物をおいてから、今度はリキシャ(人力車)で独立戦争博物館に向かいました。ここでは300万人の死者を出した1971年の独立戦争に関する資料が収められており、ジアがバングラデシュの苦難の歴史を英語で説明してくれました。ただ、私にとっては初めて聞く人名ばかりだったので、戦争の年数と死者数しか頭に残りませんでした。--ジア、ごめん。
それからジアの母校であるダッカ大学に行き、学内のカフェでチキンカレーとライスを食べました。今回、ジアは私にバングラデシュ人の日常を見せてくれるとのことで、床に座って手づかみで食べてみましたが、パサパサした長粒米を手でつかむのは結構大変です。
その後、大学内で記念撮影をしたり、ジアが礼拝をしている間待たされたり、芝生で歌と踊りに興じている人たちを眺めたり、ジアの後輩で外国人と初めて話すという女性に地球の歩き方を見せて観光地の説明をしてもらったりして、時間が過ぎていきました。その際、相手の指に触れたらイスラムの戒律に抵触するのではないかと心配しましたが、ジアは知り合いの女性と挨拶代わりに握手していたので、大丈夫なのかも知れません。
暗くなってからジアの家に招待され、ディナーをごちそうになりました。しかしイスラムの戒律があるので、私とジアの奥さんが同じテーブルで食事をすることはできません。六人掛けの机に載りきらないほど料理とデザートを出され、それをジアに山盛りでよそってもらいながら一人で食べました。料理は辛くデザートは劇甘なので、少量なら美味しくても、食べ続けると途中でつらくなってきます。その後、ジアやそのお母さん、奥さん、長男、姉妹、姪が食事をしている間、私は一人だけ別室で待たされました。
それからジアの行きつけの盛り場(と言っても紅茶を飲んでおしゃべりするだけです)に案内されました。そこにいた人から日本とバングラデシュの共通点を聞かれて返答に困り、"I have no idea." と答えてしまいました。
その後、ジアがリキシャでホテルまで送ってくれ、その日は解散になりました。
リキシャに揺られながら話をしましたが、ジアの月収は20万円とのことです。もちろん自分は成績優秀だから他国にも行けるし、そうしたらもっと稼げるけど、バングラデシュが好きだから移住しないと言っていました。なお半年後に車を買う予定だそうです。バングラデシュは車の関税が400%もあり、本体価格250万円のカローラが総額で1250万円になるそうです。香港やシンガポールでも、税金で本体価格が3~4倍に跳ね上がりますが、5倍という国は初めてです。
この日の支払いはすべてジアがしてくれたので、最後にいくらか払おうとしましたが、ジアが断るのでその言葉に甘えることにしました。ジアの月収はこの国ではかなり恵まれた水準だということもありますが、本気で歓待してくれているのが伝わってきました。

翌朝、ホテルで朝食を済ませて8時半に待ち合わせをしていましたが、ジアの到着は9時過ぎでした。ホテルに荷物を預けてチェックインし、リキシャでバス乗り場に行きました。すべてジア任せなので、行き先も知らないままボロボロのバスに乗り、70分ほど揺られてから降りました。バングラデシュの交通渋滞とマナーの悪さは相変わらずで、途中私が乗っているバスと隣のバスがぶつかり、こすられるような音を立てていました。
着いた場所はダッカの東南30キロのところにある古都ショナルガオです。ここで民族博物館に入りましたが、あたりは公園になっており、家族連れでやってきて1日過ごすことも多いそうです。デートスポットにもなっており、イスラムの衣装を着た女性が男性に肩を抱かれている場面を初めて目撃しました。
博物館を見学した後、リキシャで18世紀に作られた小さなモスクを見に行きました。ジアはこの時代にドーム状の天井をどうやって作ったのだろうと不思議がっていましたが、18世紀であればそれ以上のものを作る技術は世界中に存在していたはずです。
再びリキシャに乗ってレストランに行き、牛乳の油と肉類で米を炊き込んだビリヤニとビーフカレーを食べました。その後、近くを流れるメグナ川(日本なら間違いなく一級河川)まで移動し、そこでエンジン付きのボートに乗って対岸近くまでのクルーズを楽しみました。
そこからバス乗り場までリキシャで移動し、紅茶を飲んでからバスに乗りました。バングラデシュ人はことあるごとに紅茶を飲むようで、前日には合計5杯ご馳走になりました。砂糖が入っているので、それだけでも腹が膨れます。バスは行きより綺麗でしたが、渋滞がひどく、窓が開いているので、途中で喉が痛くなってきました。
ダッカ到着後はホテルで荷物を引き払い、ジアお勧めの店でお土産まで買ってもらい、18時半過ぎに空港まで送り届けてもらいました。途中、ジアのお母さんから電話がかかってきたので、私も代わってもらい、前日のディナーのお礼を言いました。空港に入るところでジアと分かれる時は名残惜しさを感じました。
今回、現地通貨は最初のチップ以外全然手つかずでしたが、ここで初めてミネラルウォーター(20T)を買って飲みました。残ったTは再両替せず、ジアとの思い出として日本に持って帰ることにしました。
少し時間をつぶしてから、フライトの3時間前にチェックイン。プライオリティパスでラウンジに入り、軽食をとってから搭乗しました(ここにはシャワーはありません)。
それから先の国際線区間は私にとってありふれた日常であり、途中のシンガポールと香港でもラウンジを利用し、無事に名古屋へと帰ってきました。


さて、来年1月末でマイレージプラスが改悪されます。そのため私も駆け込みで来年末までのチケットを取る予定ですが、それでも5万マイル以上余ってしまいます。ただ、改悪されてもそれほど痛くない使い方を予想しているので何とかなるでしょう。マイレージプラスの癖を知っていれば、自ずと傾向と対策が見えてきます。
今のところ、12月シンガポールとプノンペン、1月麗江、2月ソウル(往路ビジネス)、3月コタキナバル、4月ポナペ、5月西寧、6月ウランバートル、7月タシケント、8月グアムとサイパン(家族3人)、9月ヌクアロファ(往復とも一部ビジネス)を発券済みです。このうち2月のソウルはJALマイル、あとはマイレージプラスです。
ちなみに1月と3~7月の旅行6回の合計で95000マイル未満+ソウル・名古屋間を2回別手配です。マイレージプラスは旅行の順番や発券方法などでマイルを切り詰められ、そのシステムを完璧に把握すると無駄をそぎ落とした芸術作品のような特典航空券を作れます。


最後に空港に向かう途中で聞いたジアの言葉を紹介します。
バングラデシュは美しい国だ。美しい場所がたくさんある。このことを多くの日本人に伝えてほしい。多くの外国人に観光に来てもらい、国を発展させたい。自分は2年間ドバイで仕事をしたが、そこで外国人がバングラデシュに対してネガティブなイメージを持っていることを知った。自分はそれを変えたい。自分にたくさんのお金があれば多くの外国人を歓待できるが、そうではないので一対一の歓待しかできない。
以上です。交通渋滞と交通マナーの悪さ、砂埃と排ガスによる空気の悪さは併記しなければなりませんが、人々は正直で、親切で、日本のことが大好きです。ぜひ皆さんも一度訪問してみて下さい。
ただ私個人の意見としては、バングラデシュは観光ではなく工場の移転先として有望です。
若い人が多く、エネルギーにあふれ、国民性も日本人から見て首を傾げることは(意外に)少ないはずです。人件費は安く、ジアのようにとても優秀な人間を年俸240万円で雇用できます。
現在日本車のシェアは70%ですが、自動車の普及率はまだまだです。もしバングラデシュ国内で日本メーカーの車を生産できれば、関税400%の壁もなくなり、爆発的に普及する余地があります。それ以外の産業でも、工場を作るメリットはありそうです。
もしバングラデシュへの投資を真剣に考える方がいましたら、hmdknsk@hotmail.comまでメールを下さい。ジアというとても優秀で信頼できる男を紹介します。


Dear Zia.
I came back home. I enjoyed my stay in Bangladesh with you very much.
Of ourse I remember your massage, and will spread it. You are my friend, and I know how you love Bangladesh. So I have to say below in order to change Bangladesh better.
In fact, I think Bangladesh is a not a good country for sightseeing, but a good country for building factories.
Traffic heaviness in Dhaka is serious, and there are a lot of dangerous. Many Japanese will get tired, and be afraid of traffic in Dhaka. I thnk your country should make lots of signals, keep traffic lane, and separate cars and CNGs from rikishas and walking people. And then, traffic will become smoother. Japanese traffic became better like this.
There are about 250 countries in the world, and Japanese can travel to 180 countris without VISA. But we need VISA to visit Bangladesh. It makes difficult for many Japanese to visit Bangladesh.
There are a lot of country rsik to build factories in South Korea and China. I think Japanese companies should build many factories in Bangladesh, Myammer and Indonesia. Bangladeshi people are honest and good. They will become good business partners for Japanese.
Four handred percent tax for inported cars in Bangladesh is very high. But if Japanese companies make cars in your country, tax may not be necessary.
I will spread your massage and my opinion by my blog which is visited by about 120 people per day.
I can just only say my opinion. But I believe you have a power to change your country.
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クック諸島旅行記(13年9月 [海外旅行記]

今回はクック諸島のラルトンガ島に行ってきました。正式名称はニュージーランド自治領クック諸島ですが、クック諸島独自の国旗、国歌、議会を有しており、ニュージーランドとクック諸島間のフライトは国際線の扱いなので、1つの国としてカウントすることにします。これで53カ国目です。
なおクック諸島ではニュージーランドドル(以下、NZ$)が使われていますが、1、2、5NZ$相当の独自硬貨(クック諸島ドル)も流通しています。コインを作るだけなら安上がりですし、人口2万人ほどの小国がその程度のことをしても、ニュージーランドの信用を背景に、通貨の下落は起きない仕組みです。
昨年10月、マイレージプラスの25000マイルと空港税110ドル(8993円)で特典航空券を発券し、搭乗区間マイルの200%に当たる40882マイルを818ドル(66877円)で買い戻しました。要は空港税込み75870円でクック諸島行きの航空券を購入し、15882マイル貯まった計算です。
ホテルはVara’s Beach(http://www.varas.co.ck/)のBeach Studio - Single(素泊まり、90NZ$)を予約しました。
今回のフライトスケジュールを示しますが、1泊5日のマイル修行みたいな日程です。
DAY1 SQ615 KIX 2330 SIN 0510+1
DAY2 SQ211 SIN 0925 SYD 1855
DAY2 NZ60 SYD 2115 RAR 0705
DAY3 NZ45 RAR 1830 AKL 2100+1
DAY4 SQ282 AKL 2350 SIN 0640+1
DAY5 SQ860 SIN 0830 HKG 1215
DAY5 NH1242 HKG 1400 NGO 1855
それぞれシンガポール航空(SQ)、ニュージーランド航空(NZ)、全日空(NH)、大阪(KIX)、シンガポール(SIN)、シドニー(SYD)、ラルトンガ(RAR)、オークランド(AKL)、香港(HKG)、名古屋(NGO)の略であり、2330とは23時30分のことです。なおクック諸島は日付変更線の向こう側にあり、日本とは19時間の時差があります。

せっかくこれだけの時間をエコノミークラスで寝て過ごすので、今回は旅行医学の実験を試みることにしました。題して「機内で寝る方法」です。
私個人の経験として、アモバンやサイレースなどの眠剤を内服すると筋弛緩作用が効いてしまい、かえって寝苦しくなります。その点、筋弛緩作用が少ないとされるマイスリーでは大丈夫だったのですが、今回行う実験はその延長線上です。
具体的には、アモバンから余計な光学異性体を除外して筋弛緩作用を少なくしたルネスタ、そもそも作用機序が違うロゼレム(メラトニン分泌系)、そしてダイアモックスを内服すると、どうなるかというものです。
ダイアモックスは日本旅行医学会で高山病の予防薬として推奨されていますが、これは血液をアシドーシスにして呼吸性代償性アルカローシスを惹起する(要は呼吸中枢を賦活する)ものです。高所では空気が薄く、睡眠時無呼吸症候群になりやすいのですが、ダイアモックスを内服することで呼吸がしっかりして、高山病を軽減できます。一方、睡眠時無呼吸症候群になると熟眠感が得られません。そして機内はおよそ標高2000m相当の気圧(0.8気圧)です。
これらの情報を元に、以下のような仮説を立てました。
気圧の低い機内でダイアモックスを内服する→高山病が軽減される→睡眠時無呼吸症候群が軽減される→睡眠が深くなり、熟眠感が得られる。
今回3回ある機内泊のうち、初日はダイアモックス半錠とルネスタ1錠、2日目はルネスタ1錠、そして3日目はダイアモックス半錠とロゼレムを内服する予定です。
(この結果は旅行記の最後にまとめます)

初日、名古屋駅から近鉄特急デラックスシート(金券ショップで3600円)と南海電鉄ラピートβ(関空トク割ラピートきっぷ1100円)を乗り継いでKIXに向かいました。この時間帯、プライオリティパスやゴールドカードで入れるラウンジはありません。本屋やコンビニで時間をつぶし、定刻通り2330に出発しました。SQはエコノミークラスでも全席にプライベートTVがあり、ラッフルズホテル発祥のシンガポールスリングを飲めます。
乗り継ぎ地のSINではプライオリティパスを使って、スカイビュー(T1)、レインフォレスト(T1)、アンバサダー(T3)の各ラウンジをハシゴしました。ちなみに私のお勧め順に並べてあります。次のSYDでは利用できるラウンジがなく、一般エリアで時間をつぶしてから、NZ便に乗り継ぎました。ここではトランジット客用の保安検査を済ませた後、搭乗ゲートのところでチェックイン手続きをしました。

日付変更線を越えて、2日目の0710にラルトンガ着。熱帯雨林に覆われた島の中央には切り立った岩山がそびえており、半袖一枚でちょうど良いくらいの気温です。
空港内に両替所はなく、ATMで1回6.5NZ$の手数料を支払って、PLUSマークのついた銀行の預金カードから150NZ$を引き出しました。なお、町中の両替所でも日本円は取り扱っていません。
その後20分かけて、クック諸島の随一の繁華街(そして首都)アバルアの西にある土曜マーケットまで歩きました。機内では着陸直前まで寝ていたため、フィッシュ&チップスとミネラルウォーター(8.5NZ$)の朝食を済ませてから、アバルアの町を散策することにしました。
その主要部分は通りに面した数百メートルほどの場所にあり、小規模な商店街といったところです。主要な品を海外からの輸入に頼っているため、スーパーやショッピングセンターの値段は決して安くありません。1.5Lのミネラルウォーターが最安値で2.5NZ$でした。
地球の歩き方13~14に載っているクック諸島博物館&図書館(5NZ$)にも行きましたが、足早に見て回れば、カップヌードルができるより早く見終わってしまう程度の内容です。
結局、海に面したベンチで休憩して時間をつぶし、11時過ぎに土曜マーケットでワンプレートランチ(鶏肉と豚肉のBBQ、キャベツ、茹でたサツマイモ、赤いソースで味付けしたポテト。10NZ$)の昼食を済ませてから、正午発の時計回りのクックズ・アイランド・バス(5NZ$)に乗りました。バスは日本のお古らしく、車内に日本語表記が残っています。国によっては「日本のお古=メンテナンスをしっかりしていた優良車両」ということで、わざと日本語を残してもらうこともあるそうです。
手違いがあって私が降りる場所を通り過ごしてしまい、その先で反時計回りのバスに乗り換えました。運転手が申し訳なさそうに話を付けてくれたので、そちらは無料です。今度のバスの運転手はとにかく陽気で、車内放送を使って鼻歌を歌い、知人を見つけてはバスを降りて抱擁するという南国ならではの気質でした。ビーチ沿いの道を走りながら車窓の景色をたっぷり楽しめたので、これはこれで良しとします。
13時過ぎにホテルにチェックインし、すぐ傍にあるクック諸島随一と言われるムリ・ビーチで泳いでみました。ビーチ沿いの景色は素晴らしいのですが、波は高く透明度が低いので、防水カメラで水中を撮ってもがっかりでした。
その後ホテルの部屋に戻り、睡魔におそわれて18時過ぎまで眠りました。2晩連続で機内泊だと寝不足にもなります。その頃にはホテル対面のカフェが閉まっていたので、数百メートルほど北上し、テヴァラヌイ文化村のすぐ北にあるRICKSHAWというアジア料理の店でヌードル(18.5NZ$)を食べてから帰ってきました。クック諸島はレストランでの食事も割高に感じます。テヴァラヌイ文化村での民族舞踊のディナーショー(89NZ$)にも興味があったのですが、値段と体力を考えて見合わせた次第です。この日は早めに就寝しました。

3日目、この日は日曜日です。8時に起床し、近くのカフェで朝食(トースト2枚に焼きトマトがたくさん載ったもの、12.5NZ$)をとりました。
チェックアウトは10時までと早いので、10時ちょうどにチェックアウトし、アバルア10時発の時計回りバスに乗って11時過ぎにアバルアに戻ってきました。この日のフライトは1830なので、16時頃まで町中で時間をつぶす予定です。それなのに・・・スーパーやショッピングセンターを含むほぼすべての店が休業しており、ゴーストタウン状態です。一国の首都がこうなることは想定外であり、お土産を買い損ねてしまいました。
教会の隣にある公民館みたいな場所にたくさんの人が集まり、クリスマスソングに合わせて踊る練習をしていましたが、それが終わると解散してしまいました。
そうかと言って、午後になってもゴーストタウン状態に変わりはなく、木陰から海を眺めてぼーっとするか、本を読むくらいしかすることがありません。昼食は一軒だけ開いていた24時間営業のオープンエア(というか大きな屋台)の店で、ローカルフードのワンプレートディッシュ(10NZ$)を注文しましたが、同じ便の人たちは夕方まで何をしているのか謎です。
食後、15時頃まで海を眺めていましたが、さすがにそれも飽きたので早めに空港に移動しました。徒歩で30分の道のりです。
なお余談ですが、クック諸島ではドコモの携帯は使えません。アンテナはバリ3なのに、メールも通話もできませんでした。こんなことは、暴動があった数ヶ月後に中国ウイグル自治区のウルムチに行って以来のことです。

1830のフライトでラルトンガを発ち、(日付変更線を越えて)翌4日目の2100にオークランド着。プライオリティパスでラウンジに入り、シャワーを利用しました。昼間、潮風に吹かれていたので、ここでのシャワーは本当に助かりました。
その後、2350にオークランドを発ち、翌5日日の0630にシンガポール着。
シンガポールと香港でもラウンジを利用し、無事に名古屋まで帰ってきました。

さて「機内で寝る方法」の実験結果ですが、私はルネスタを使用しても筋弛緩作用で寝苦しくなることはありません。今後、私のラインナップに加えても良さそうです。その一方で、なぜかロゼレムを内服した回には腰の力が抜けたようになり、腰痛で寝苦しく感じました。
私はダイアモックスを地上で内服すると、過換気症候群に似た胸苦しさを感じますが、機内ではそれがなくなります。むしろダイアモックスを内服した方が楽に呼吸できると感じました。
睡眠の質の差はあまり感じませんでした。もともとイビキをかきませんし、高所でも睡眠時無呼吸症候群になっていないのかもしれません。
結論として、私は次回からダイアモックス半錠とルネスタ1錠を内服するつもりです。ただしこれは個人差があるので、万人にお勧めするものではありません。
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ロンドン、ダブリン旅行記(13年8月) [海外旅行記]

今月は家族3人でロンドンとダブリンに行ってきました。私は13年前にもロンドンに来たことがありますが、ダブリンは初めてです。今回の旅行で、私は52カ国、妻は32カ国、9歳の長男は25カ国に訪れたことになります。

以下はすべて、大人2人と子供1人の総額です。
昨年末に中国国際航空のホームページで名古屋発、北京経由、ロンドン行きの往復航空券を購入しました。航空券代189800円、燃油税42000円、燃油サーチャージ81480円、空港税など63370円。合計で338850円です。
またブリティッシュエアウェイズのホームページでロンドン発、ダブリン行きの往復航空券を購入しました。こちらは航空券代が90ポンド(以下GBP)で、それにサーチャージ111GBPと空港税158.1GBPが上乗せされ、合計で359.1GBP(51450円)でした。
ホテルはExpedia で、Park Inn Hotel & Conference Centre London Heathrow(4つ星、素泊まり1泊で11269円)、Glen Guesthouse, Dublin(2つ星、朝食付き1泊で13709円)、Maranton House Hotel, London(3つ星、朝食付き4泊で71196円)を予約しました。
また、First Great Western(http://www.firstgreatwestern.co.uk/)でロンドン(パディントン)からグロスター(52.5GBP、8159円)、グロスターからバース(17.5GBP、2720円)、バースからロンドン(51.25GBP、7965円)の鉄道チケットを購入しました。
以上、合計505318円と現地での出費が今回の旅費になります(最終的な概算は60万円弱でした)。

大雑把な旅程は下記のとおりです。
1日目 0920名古屋発、北京経由で1745ロンドン着。ヒースロー空港近くに宿泊。
2日目 0645ロンドン発、0800ダブリン着。ダブリン市内観光。ダブリン泊。
3日目 ダブリン市内観光。1545ダブリン発、1700ロンドン着。ロンドン泊。
4日目 グロスターとバース観光。ロンドン泊。
5日目 グリニッジ観光。ロンドン泊。
6日目 ロンドン市内観光。ロンドン泊。
7日目 ロンドン市内観光。2025ロンドン発。
8日目 北京経由で2100名古屋着。

初日、朝7時過ぎにチェックインを済ませ、プライオリティパスでラウンジに入り、朝食をとりました。
私がMUFJプラチナアメックス(年会費21000円)を持っており、妻は家族カード会員なので、この二人はプライオリティパス会員で無料、9歳の長男はラウンジを1回利用するたびに2100円です。
セントレアを定刻通りに出発し、乗り継ぎの北京でも1時間半ほど時間があったので、ファーストクラスラウンジに入りました。ここはプライオリティパスで入れるラウンジの中でもトップクラスの快適さで、中国嫌いの妻もお気に入りの場所です。
定刻通り1410に北京を発ち、ロンドンには1815に着きました。日本時間で翌日0215です。私は時差ボケ対策としてとにかく寝ることを心がけており、機内では主に寝て過ごしました。入国審査後、ATMでPLUSマークのついた銀行の預金カードからGBP紙幣を引き出し、ホテルホッパ(大人は往復8GBP、子供は無料)と呼ばれるバスでホテルに向かいました。ホテルの部屋には1930頃に着きました。

2日目、ホテルを0415に出発するホテルホッパに乗り、ダブリン行きの便が出るターミナル1へ。チェックイン後、プライオリティパスでラウンジに入り、朝食をとりました。
0645ロンドン発、0800ダブリン着。ダブリンでは無料の博物館を回る予定なので、ダブリンパスで元を取るのは難しく、各所でチケットを買うことにしました。
エアリンクと呼ばれるバス(ファミリーチケット片道11.5ユーロ、以下E)で市内に向かい、ホテルで大きな荷物を預けてから市内観光へ。まずはアイルランド最古にして最高学府であるトリニティーカレッジに向かい、ツアー(オールド・ライブラリー入場料込み大人10E、子供無料)に参加しました。しかしキャンパスについて説明する学生ガイドの英語はかなり早口で、ほとんど聞き流してしまったので、オールド・ライブラリーに直接入場しても良かったと思います。ここにはアイルランドの至宝であるケルズの書がありますが、その価値について知らないと単なる古い本に過ぎません。上の階にはスターウォーズの撮影にも使われたというロングルームがあり、こちらの荘厳な室内は素人目にも素晴らしいものです。
その後、近くの店でフィッシ&チップスの昼食をとり(合計25E)、疲れてしまった妻と長男をホテルまで送り届けてから、私一人で再び観光に出かけました。アイルランドの上院と下院があるレンスター・ハウスのツアー(無料)に参加し、1時間ほどかけて屋内をゆっくり見た後、残った時間で国立考古学・歴史博物館(無料)を見てから帰ってきました。アイルランドはそれほど大きな国ではなく、その国力と同様にそこそこの内容、というのが正直な感想です。後者には紀元前後に殺害、切断されたミイラの展示もあり、かつてのヨーロッパ民族がかなり血なまぐさかったことを物語っています。
夕食は近くのスーパーで買った総菜で済ませました。

3日目、8時過ぎにホテルで朝食をとってからクライストチャーチ大聖堂(6E)へ。ここはおよそ千年前に建てられた教会で、地下には猫とネズミのミイラ、古書などの展示品があり、薄暗い中にお洒落なレストランもあります。
この日は都合により、観光を早めに切り上げることにしました。11時前にホテルに戻り、荷物を引き払ってから空港へ。フライトの4時間前にチェックインし、ラウンジで3時間ほど時間をつぶしてから搭乗し、ロンドン・ヒースロー空港には17時過ぎに到着しました。
空港でオイスターカード(大人に同伴する子供は無料)を購入してから地下鉄でアールズ・コート駅に向かい、ホテルにチェックインしました。Expediaで写真を見た時にはお洒落なホテルだと思ったのですが、4階まで階段でのぼる必要があり、トイレの水勢は弱く、暑いのにクーラーはなく(今年が異常な猛暑というだけで、普段は必要ないのでしょう)、微妙にストレスがたまる仕様です。もっとも値段と立地で選んだので、他の部分は仕方ありませんが・・・
この後、私一人でパディントン駅に行き、翌日の切符をあらかじめ受け取り、下調べを済ませておきました。

4日目は、ハリーポッターの撮影に使われたグロスター大聖堂と、ローマ時代の大浴場跡でバス(風呂)の語原にもなった世界遺産バースを周遊する予定です。
ホテルの朝食は8時からで、0936にパディントン駅を出発するので、移動時間を考えるとややタイトです。そこで朝食前に最寄りのアールズ・コート駅まで散歩に出かけ、サンドウィッチやパスタなどその日の昼食を買ってから、ホテルに戻って朝食をとりました。アールズ・コートからパディントン間では地下鉄で10分です。前もって下調べをしておいたので迷わずにすみました。
列車はパディントン駅を定刻ちょうどに出発。10分遅れまでは定刻と見なし、それでも定刻運行率が80%強、30分遅れ程度なら地元の人も諦めモード、というイギリスの鉄道にしては珍しいかもしれません。
車内で少し早めの昼食をすませ、1127(定刻の3分前)にグロスター着。その足でグロスター大聖堂(寄付任意)に向かいました。私はすっかり忘却の彼方でしたが、長男に「ここは怖い魔法を使った授業のシーンに似ている」「ここは雪景色に鳩が飛ぶシーンに似ている」と言われると、何となくそんな気もしてきます。
その後は金曜日に開かれているグロスターのマーケットでラム(子羊肉)サンドやラズベリーなどを食べ歩いて時間をつぶし、1344発の列車でバースに向かいました。
バースにも定刻通り1505に到着し、千年以上の歴史があるバース・アビーと呼ばれる教会(寄付任意)に立ち寄ってから、ローマン・バス(大人2人と子供1人で35GBP)に入場。小学校のプールくらいはありそうな公衆浴場は今でこそ吹きさらしですが、ローマ時代には巨大な天蓋まであったとのことです。
人混みに揉まれながら世界遺産の遺跡を観光した後は、出口付近にあるパンプ・ルームに行きました。ここでは天井の高い優雅な内装のホールで三重奏の生演奏を聞きながら、アフタヌーンティーを楽しむことができます。13年前は現地発着ツアーで来たのですが、その時のガイドが「ここのアフタヌーンティーはイギリスで一番すばらしい」と言っており、現に素晴らしかったので、再訪した次第です。もっともグロスターで食べ歩きしたため、胃袋の空きはなく、私と妻は5GBPのカクテルを、長男は3.5GBPのノンアルコールカクテルを頼みました。
その後、スーパーで軽めの夕食を調達してから、1813バース発の列車に乗り、車内で夕食をすませました。こちらも定刻通りの運行であり、遅延に備えて次善の策をあれこれ考えていた私としては拍子抜けです。パディントンにも定刻の1939に着き、地下鉄に乗り継いでホテルに帰ってきました。

5日目は世界遺産の湾口都市、グリニッジに行くことにしました。
地下鉄とドッグランズ・ライト・レイルウェイを乗り継ぎ、カティ・サーク駅へ。オイスターカードを使えば、ホテルからここまで1人3GBP以下です。
駅の近くにはカティ・サークという帆船がありますが、入場料1人12GBPを払ってまで入りたい場所でもなかったのでスルーしました。旧王立海軍学校のペインテッド・ホールとその対面にある礼拝堂、国立海洋博物館(いずれも無料)を見てから、旧天文台へ。ここは言わずと知れた子午線が通る場所で、ここから望むグリニッジの町並みは壮麗です。子午線のある中庭への入場料は1人7GBPですが、実はその裏にも子午線が延びており、こちらで写真を撮れば無料です。
その後、駅近くまで戻って来た時には正午を過ぎていました。昼食のレストランを探すことにしましたが、困ったことに長男が醤油系を欲しがります。どうやらイギリスを訪れた日本人がしばしば発症する疾患にかかってしまったようです。
これは旨味欠乏症と呼ばれる疾患で、一口だけなら不味くないイギリス料理を食べ続けることで、次第に体内のグルタミン酸が欠乏していくものです。末期になるとインスタントラーメンすら美味く感じるようになり、結果的にイギリスの食事は不味かったという刷り込みがなされてしまいます(半分マジメ、半分ネタです)。
早期治療のため中華の店に入ることにして、中国人に囲まれながらヌードルを食べました。
その日は早めに観光を切り上げ、ホテル近くのスーパーで食料やワインを買い込み、ホテルの部屋でプチ宴会をして過ごしました。ちょうどテレビで「ハリーポッターとアズガバンの囚人」を放映していたので、前日に見た修道院の景色がないか探したものの、見つかりませんでした。

6日目、最初にキングスクロス駅に行き、9と3/4番ホームで写真を撮りました(無料)。9番ホームのほうに歩いて行くと、少し離れた場所に行列ができているので、すぐに見つかるはずです。係員がマフラーを貸してくれ、9と3/4と書かれたホームの壁に半分つっこんだカートにつかまり、記念撮影しました。私が行った時には、待ち時間は5分でした。
その後、地下鉄に乗って大英博物館(寄付任意)へ。ここは大英帝国が世界中から集めた品を収蔵した巨大な博物館ですが、有名なロゼッタストーンを除けば、これまで世界中の博物館を訪れた私には少し物足りなく感じました。エジプトの展示はカイロで、ギリシアの展示はアテネで、中国の展示は上海で、日本の展示は東京で見た方が充実しています。ただ、一カ所でこれだけ多くの国に関する展示を見られるという点では唯一無二の場所です。
その後、地下鉄を乗り継いでウォータールー駅に行き、巨大観覧車のロンドン・アイ、壮麗なゴシック建築のビッグベンの写真を撮ってからホテルに帰ってきました。ロンドン・アイは18.9GBPという値段にも関わらず、長い行列ができていました。
この日もホテル近くのスーパーで食料やワインを買い込み、部屋でプチ宴会をしました。

7日目、ホテルで朝食をとり、荷物を預けてから、地下鉄でエンバンクメント駅に行きました。トラファルガー広場を見てからウエストミンスター寺院まで歩き、入場しようとしたところ、長い行列ができています。やむを得ず入場を諦め、セントジェイムズパークとバッキンガム宮殿前を散策してから、通りすがりのカフェで昼食をとりました。2種類の値段が表示されており、カフェ内で食べたところ高い方の料金でした。欧州では複雑な消費税が導入されている国が多く、おそらくカフェ内で食べると持ち帰りより余分に税金がかかるのでしょう。
その後、欧州でも第一級の美術品を集めたナショナル・ギャラリー(寄付任意)を駆け足で回りました。欧州では生首をトレイに載せた絵画を時々見かけますが、ここにも数枚ありました。生首は青ざめた色をしているのが定番なので、おそらく実際にそういう色になるのでしょう。セザンヌやゴッホなど近代作家の作品も展示されていました。
そこから地下鉄に乗り、モニュメント駅へ。ここのすぐ近くにロンドンブリッジとタワーブリッジがありますが、前者は普通の橋で、後者が船の通過に合わせて上がる跳ね橋です。"London Bridge is falling down, falling down" という歌は別の橋を歌ったものだと聞いたことがあるので、タワーブリッジのことなのでしょう。
その後、高さ60メートルの大火記念塔(大人3GBP、子供1.5GBP)に上り、ロンドンの町並みを一望してから、地下鉄でホテルに帰ってきました。荷物を引き払い、ヒースロー空港には16時前に到着しました。
オイスターカードの精算をして、チェックインを済ませてから、プライオリティパスで No.1 ラウンジへ。ここではカウンターで食べ物や飲み物を自由に取れる他、一人一品だけ料理を注文することができます。機内では寝て過ごすつもりだったので家族三人で思いっきり飲食し、ラウンジスタッフに顔を覚えられてしまった気がします。

ロンドン2025発、北京には翌1330着。北京では、プライオリティパスで行きつけのファーストクラスラウンジへ。私自身も旨味欠乏症にかかっていたらしく、寿司や牛肉の炒め物がいつもより美味く感じられます。
今回は6フライトすべてでラウンジを利用しましたが、やはり有り難いものです。観光を済ませて空腹のまま空港にたどり着けますし、ラウンジでくつろいでおけば機内でのストレスも軽減できます。
その後は北京1700発、名古屋2100着で無事に帰ってきました。

私は基本的にアジア、オセアニアでは特典航空券を利用し、欧米では航空券を購入してマイルを貯めています。航空券代トータルを抑える方法を考えていったら、そうなりました。
なおヨーロッパではベッドマネーやチップ、屋台での注文を除けば、通常はクレジットカードを使えます。その方がマイルも貯まり、両替レートも良いので、現金の用意は最低限にした方が良いでしょう。
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ソウル旅行記(13年7月) [海外旅行記]

今回は家族、親戚でソウル旅行です。
3月頃、親戚と飲み会をしているうちにどこか旅行しようという話になり、LCCAのエアアジアでソウルに行くことになりました。大人4人、子供2人の6人連れで、チケット代は座席指定料や空港税を含め、大人も子供も1人当たり19980円です。
今回は格安旅行が旅のテーマであり、大人2人と子供1人のトリプルで一部屋7100円というホテルに泊まることにしました。しかし数日前になってオーバーブッキングの知らせがあり、元のホテルが用意した別のホテルに泊まることになりました。そちらは普通に予約すると19000円するホテルであり、更にきちんとした謝罪メールまでもらいました。個人的には棚ぼたの気分ですし、次回は今回泊まる予定だったホテルに泊まってみたいと思います。

20日、フライトの2時間前にチェックインし、ラウンジに立ち寄ってから搭乗。ソウル到着後、エアポートトレイン(大人4050ウォン、小学生1900ウォン、以下W)と地下鉄(大人1150W、小学生500W)を乗り継いで明洞へ。ホテルに荷物を置いてから、行きつけのB級グルメ店に行き、ロッテデパート、スーパーをハシゴし、行きつけのシンソン・ソルロンタンという店でソルロンタン(7000W)を食べて帰ってきました。
翌21日はホテルで朝食をとった後、地下鉄とエアポートトレインを乗り継いで空港に向かい、ラウンジで昼食をとってから帰ってきました。
自分で書いていて「なんだかなー」と思いますが、行き慣れたところに大勢で行っても、定番のおすすめを紹介して終わりという退屈な旅になってしまいます。やはり一人旅で変わったことにチャレンジする方が性に合っていますね。

ところで最近は、韓国政府関係者が「日本人は過去の歴史を正視し、未来志向になるべきだ」という趣旨の発言を繰り返しています。
そこで私なりに過去の歴史を正視してみました。事実と反することがあれば訂正をお願いします。
・日本は日清戦争に勝利した後の下関条約第一条で、朝鮮の独立を清に認めさせた。
・日朝併合の間、朝鮮人の識字率は4%から61%へと急上昇した。もちろん日帝はハングルも教えている。
・日朝併合の間、100キロだった鉄道が6千キロに延伸され、ダムが作られ、インフラ整備が行われた。
・本来なら戦後、朝鮮側がインフラ整備の代償として日本側に多大の謝礼金を払うべきだという試算があった。
・実際には日本側が韓国に多大な賠償金を支払っており、それが漢江の奇跡と呼ばれる戦後韓国の発展の原動力となった。
・インドネシアは日本のおかげで発展した韓国をうらやみ、日本との友好のために曽我さん一家の再開の場を申し出た。
・しかし日本からはあまり感謝されなかった。
・慰安婦については、これを多額の給与で募集した資料が残っているが、強制徴収したという資料は存在しない。
・当時は民間のブローカーが存在し、儒教を重んじる朝鮮半島では、女は家のために犠牲になるべきという風潮があった。
・親が前金を受け取り、娘は慰安婦として売られて行くこともあった。彼女たち自身は被害者である。
・現在の韓国は世界有数の売春大国であり、数年前に売春宿の取締があった際、売春婦たちが「私たちには売春して生活する権利がある」とデモを行った。
・韓国兵はベトナム戦争時代、3万人のベトナム人女性を妊娠させ、その子供(ライダイハン)を置き去りにした。
・現在、韓国での人口当たりの性犯罪率は日本の10倍である。
・以前フィリピン人から「日本軍はフィリピンで悪いことをたくさんしたが、それはみな日本人ではなくコリアンだ。日本人は誰も知らないが、フィリピン人はみな知っている」と言われた(個人的経験)。
・慰安婦の4割は日本人だった。
・慰安婦と兵士が普通に恋愛することもあり、当時の慰安婦の写真には笑顔で映っている女性も存在するが、韓国の教科書ではその部分が削除されている。
・日本の政治家はこれまで幾度となく韓国に謝罪をしているが、反日教育で育った韓国の若者はその事実を知らない。
・韓国の言い分は「日本人は過去の歴史を知らない」である。
しかしこのように歴史を正視していても過去志向に過ぎません。パククネ大統領にはぜひ未来志向になってもらいたいものです。
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貴陽・大同旅行記(13年6月 [海外旅行記]

今回は中国の貴陽と大同、すなわち中国少数民族の故郷と世界遺産雲岡の石窟を巡る旅です。現在の中国人にはネガティブなイメージが強いのですが、かつての中国人が豊富な観光資源を作り出してきたも事実なので困ったものです。
すべて中国国際航空(CA)利用で、初日に上海経由で貴陽まで飛び、2日目は貴陽観光後に北京へ。3日目は大同に移動してから市内観光。最終日に大同から北京経由で名古屋に帰ってくるルートです。
昨年8月、マイレージプラス2万マイルと空港税72.5ドル(5794円)を支払って発券しました。その後8946マイルを206ドル(16462円)で買い戻したので、最終的に11054マイルと22256円が今回の航空券にかかった総コストです。
ホテルはCtrip で貴陽机場賓館(3つ星、朝食付き258元)、北京空港奥笠賓館(2つ星半、空港往復送迎つき268元)、大同賓館(4つ星、朝食付き288元)を予約しました。このうち北京空港奥笠賓館は先月にも利用したところです。

出発当日となる14日、午前中に少しだけ仕事をしてからセントレアに向かいました。1540(15時40分)発のフライトに乗り、上海で乗り継ぎ、貴陽に着いたのは定刻より30分遅い2330でした。夜遅くに到着するため、空港ターミナルから徒歩で行ける貴陽机場賓館を選びました。ターミナルビルを出れば、正面左手にすぐ見えるはずです。

15日、朝食をとってから0830にチェックアウト。空港まで歩き、エアポートバス(10元)に乗って市内に向かいました。終着点(所要25分)は貴陽駅のすぐ近くで、地球の歩き方2013(以下ガイドブック)に載っている空港バス乗り場から1キロ近く離れているので注意して下さい。駅の写真を撮ってから、ガイドブックにある空港バス乗り場まで歩き、乗り場はここで間違いないことを確認しました。
そこからタクシー(10元)に乗り、貴陽省博物館(無料)へ。1階は陶磁器、2階は主に少数民族に関する展示になっています。しかし少数民族好きの私がゆっくり見ても40分ほどしか時間をつぶせず、次は甲秀楼に向かうことにしました。博物館前からタクシーに乗ろうとしたら、鉄道駅(火車駅)行きの2番バスが目の前を通って行きました。2階建てになっており、かなり本数の多い幹線バスのようです。すぐにやってきた次のバス(1元)に乗り、シェラトンホテルの前で降りました。この2番バスは鉄道駅から貴州省博物館に向かい、また鉄道駅に戻ってくるルートらしく、かなり使い勝手が良さそうです。
そこから徒歩で甲秀楼(無料)に向かいました。これは川の中央に建てられた登楼のような建物ですが、まあちょっと趣があるね、という程度の代物です。ツアーに参加して遠出すればそれなりに見所もありますが、貴陽市内だけだと大した観光資源はありません。今回の貴陽旅行は大同に行くついでのおまけです。その後、ガイドブックに載っている翠微園(無料)、貴陽○明古寺(○は黒今)(2元)にも行きましたが、いずれも微妙でした。
その時点で正午になっていたので、昼食をとることにしました。しかし麺類の安食堂ばかりで、あまり惹かれるものがなく、結局、川魚のピリ辛火鍋(30元)を食べました。それから貴州民族博物館(無料)に行ったものの、こちらも立派なビルの中に少し展示がある程度で、10分ほどで見終わってしまいました。
ガイドブックを眺めてもこれ以上行きたい場所はなく、無理に中国の町中を歩いても汚れた空気で喉が痛くなるだけです。結局早めに観光を切り上げ、空港バスに乗って15時前に空港に戻ってきました。
クーラーのきいた空港ビル内で時間をつぶし、17時過ぎに到着フロア左奥の洒落た中華レストランで炒飯セット(38元)を食べました。素直においしいと言えるレベルですが、どうも貴陽の料理は山椒や唐辛子の利いた辛い物が多そうです。
1910発のフライトで貴陽を発ち、北京に着いたのは定刻より少し早い2150でした。その後、到着ゲート横にある旅客服務中心の係員のおかげでホテルスタッフとも合流でき、2250にホテルの部屋に到着しました。混乗バスによる無料送迎サービスなので、この位のタイムロスは仕方ありません。

16日は0330にモーニングコールがあり、0400集合です。0410に空港に到着し、0500からチェックインが開始になりました。プライオリティパスでファーストクラスラウンジに入り、朝食タイム。この日のフライトは1時間ほどと短く、ドリンクサービスが精一杯だろうと考えたので、そのつもりで食べておきました(機内ではミネラルウォーターのボトルとあんパン2個が配られました)。
定時に離陸し、機内でウトウトした後、定時に着陸。と思ったら誰も降りようとしません。それもそのはず、なぜか北京空港に引き返していたのです。結局それから1時間ほど待たされてから再び離陸し、定刻より2時間15分遅れの1040に大同空港に到着しました。昼間の観光時間を2時間以上削られたのは少し痛手です。
ターミナルビルを出てすぐのところに泊まっていた空港バス(10元、35分)に乗り、終点の大同賓館で降りました。ここが今回の宿泊ホテルです。正午前でしたがチェックインさせてもらえ、部屋に荷物を置いてからすぐに出発しました。ホテル前を走っている17番バス(1元)に乗れば、終点の公交四公司が雲南石窟行き3番バスの始発場所です。終点の雲南石窟まで1元、25分でした。空港から12元で到着でき、公共交通機関を乗りこなした満足感が得られました。時刻は1230です。
食堂で牛肉面(12元)を食べてから、雲南石窟(120元)に入場しました。池の上に建てられた趣のある寺院を通り抜けた後、第1窟から20窟まで番号順に見学していきます。文化大革命の名残かもしれませんが、工具のようなもので均一の穴をたくさん開けられたり、頭部を削り取られたりした仏像も散見しました(カンボジアのアンコールワットには、ポル・ポト派の兵士が試射した銃弾の跡が残っています)。見所の一つである第6窟は閉鎖されており、いくつかの窟は修理中でしたが、世界遺産と言われて納得できる内容です。団体ツアーが訪れる時間帯(午前中?)とずれていたらしく、少ない人通りの中で落ち着いて見学できたのも助かりました。
その後再び3番バスで共交四公司に戻り、そこからタクシー(7元)で華厳寺(60元)に向かいました。寺の前には広場があり、その周りに建つ古い木造建築に癒されます。ネパールの旧王宮を思い出しました。
この寺には東洋のビーナスと呼ばれる菩薩像があるらしく、一通り見学して目星をつけました。しなやかな腰のラインが官能的な菩薩像です。カンボジアのアンコール遺跡群の一つ、バンテアイ・スレイにも東洋のビーナスと呼ばれる女神像がありますが、私は華厳時の方が魅力的だと思います。
時刻は1630。疲れもあり、どうしても外したくなかった2カ所を回れたので、これで観光を切り上げることにしました。ファストフードなどの食べ歩きで夕食を済ませ、徒歩でホテルまで帰ってきました。大都市と違い、それなりに空気はきれいです。

17日は0925発のフライトに乗る予定です。大同空港は1日5便しか出発便がなく、ガイドブックには出発の2時間前にエアポートバスが出発すると書かれています。ということは少し余裕を見て0715にはエアポートバスに乗り込んだ方が安全です。ホテルの朝食が0700からだったので、0630にチェックアウトし(中国のホテルではチェックアウトに10分くらいかかります)、少し早く0650にレストランに入れてもらい、0710に食べ終わり、0715にホテルの道向かいに泊まっているエアポートバスに乗りました。0720に出発したので、早めに来て正解です。
北京には1040に到着し、トランジットカウンターで名古屋行きのチェックインを済ませ、BGSプレミアラウンジとCAファーストクラスラウンジをハシゴして時間をつぶしました。やはり後者の方が飲食物は豊富です。
その後、17時発のフライトでほぼ定刻通り名古屋に帰ってきました。

今後の予定ですが、以前報告したのと少し変更があります。
7月ソウル、8月ロンドンとダブリン、9月ラルトンガ、10月サイパン、11月ダッカ、12月シンガポールとプノンペン、1月麗江、2月ソウル、3月コタキナバル、4月ポナペの予定です。
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